和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

安心感の素

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

 悲観と不安

アーリーリタイアメントの話を妻にしたところ、予期せぬ大反対にあってしまいました。妻はこう言います。自分の病気のために仕事を辞めないでほしい。これから先何があるか分からないのだから働けるうちは働いてほしい。

 

何度言葉を変えて説明しても、妻は、私の早期退職の考えを、自分の病気のため、すなわち、介護離職なのだと譲りません。また、無収入になることは妻にとってはとても大きな不安で、キャッシュフロー表を見せても、想定上の安心は何の保証にもならないようです。

 

発病前までは、ある程度の蓄えが出来たらアーリーリタイアメントを考えても良いかもしれないと、心配性の妻にしては、私の考えに寄ってきたと思ったのですが、治療中の今は、心配性の上に心配の重ね塗りをしているような感じです。

 

思えば、最近、娘の就活への“介入”がやや行き過ぎの感があることにしても、妻は、何かに怯えている、あるいは、見えない不安と戦っている様子でした。私には妻が、見るもの、聞くもの全てを悲観的に捉えているようにしか見えませんでした。

 

話を私のアーリーリタイアメントに戻すと、先日、自家製のキャッシュフロー表を基に、フィナンシャルプランナーとオンライン面談を行ないました。妻の体調の良い日を見計らって面談日を設定したのですが、妻の表情はあまり冴えませんでした。

 

面談は、夫婦で作ったキャッシュフロー表が楽観過ぎるのか、または、固すぎるのか。項目に抜けがないか、などプロの目線で資金計画のチェックをしてもらい、老後生活に関する妻の不安を払拭することが狙いでした。

 

ところが、効果は期待と裏腹に、妻の態度を一層硬化させてしまいました。仕舞には、私がフィナンシャルプランナーと“ぐるになって”、「私を騙そうとしている」と取り乱してしまいました。そんなこともあり、私は早期退職プランを当面棚上げすることにしました。

 

先走りを反省

私は、状況が許すのであれば、目先のお金よりも“今使える時間”を大切にしたいと言う思いから、妻にアーリーリタイアメントを提案しました。ここ数日間、妻を説き伏せることだけを考えてきたのですが、これは私の勇み足と言うよりも、妻の心を理解しようとする思いやりに欠けた行動でした。

 

妻にとって - それは、私たち家族にとっても – 一番大事なことは病気の寛解です。それに向けて治療を続けている妻にしてみれば、それ以外のことを行動に移すよりも、治療に専念できる環境を維持する方を選びたいのが当然です。生活に変化を及ぼすことは、たとえ私が良かれと思ったことであっても、妻にとっては不安の種にしかならないのだと言うことにようやく気付きました。

 

今どうしても仕事を辞めなければならない理由はありません。まずは、妻に安心感を与えることを最優先に過ごしたいと思います。「思い立ったが吉日」は、私の吉日でしかありませんでした。自分の思いだけで先走ってしまったことを反省しています。

 

それにしても、50代半ばに差しかかろうとしている人間が、普段は分かったようなことを口にしているにも拘わらず、いざと言う時に周りが見えなくなってしまうとは。私は歳を重ねても成長出来ていません。

 

安心感と希望

妻が先々に明るい希望を持てるようにするためには、今置かれている環境が彼女にとって安心できるものでなければなりません。私が仕事を続けることで、一定の収入を継続して得られること。上の娘は社会人2年目ですが、元気に仕事を続けること。下の娘は、まずは学業に専念し、2年後には仕事に就くこと。家族それぞれ、妻が安心できるように生きて行くことが大切だと思いました。

 

その上で、希望も必要です。抗がん剤の投与は、来年の春まで続きます。その後に、妻が楽しみにしていることを叶えてあげたいと思います。コロナ禍が来春、どのようになっているかは想像できませんが、旅行や外食、ショッピング。治療後の楽しみに期待を持つことで、苦しい治療を少しでも和らげたい。それが私の思いです。

 

介護休業明けの1か月。私は自分の頭の中で大騒ぎし、妻も巻き込んでしまいましたが、結局は戻るべきところに戻ってきました。妻が安心して治療を続け、少し先の未来に希望を持ちながら生きて行く姿は、私や娘たちにとっての安心感や希望にもつながります。そんな当たり前の、簡単な答えを得られました。