イライラの芽(1)

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すっきりしない日々

遡れば、小学校高学年の頃からでしょうか、「すっきりとした気分」でいられる日というのは、年に数えるほどしかないような気がしていました。先生に叱られたことを引き摺って、いつまでもうじうじ考え込んだり、友人のお願いを安請け合いして後悔したり。そんな些細な出来事で数日間も気が重い日が続いた・・・そんな経験、無いでしょうか。

 

もう少し大きくなると、進学のこと。受験生としての日々はモヤモヤしたものを常に頭の片隅に置いた状態です。合格して、しばし幸せな気分を味わうものの、それもつかの間。定期試験や卒業の単位が心配な日々がやって来ます。

 

就活も就職先が決まった瞬間は安心感に包まれますが、いざ仕事が始まれば、日々の業務に追われストレスを感じながら生きて行くことになります。会議の準備、社内調整、ノルマ達成等々、常に課題に追われることになり、益々「すっきりとした気分」でいられることが少なくなります。

 

1年の間で、心の底から気分爽快と感じられた日は何日あったでしょうか。逆に、何かやり残したことがあって気分が晴れなかった日はどれくらいあったでしょうか。私の場合、就職後に気分爽快と思えた日は片手で数えるくらいしかありませんでした。私生活だけを切り取れば不満は無くても、仕事のストレスは常につきまといます。特に週を跨いで持ち越した仕事があった時は最悪です。土日も気がつくと仕事の段取りを考えている自分がいます。

 

つまり、楽しいひと時はあるものの、いつも頭の片隅にはイライラの芽が生え出している状態。それが大きくならないうちに、せっせと刈り取る作業をし続けているというのが常態化しています。

 

そんなイライラの芽が出てきた時、どのように対応するかで、ストレスの蓄積の仕方が大きく変わります。

 

考えずにはいられない

自分に課せられた義務や課題を達成しようとするプレッシャーや、自分独りでは解決できない人間関係や集団の意見集約のような調整業務の煩わしさ、そこから生じる逃れようのない気の重さがイライラの芽だと思います。

 

そのようなイライラの芽を摘み取る、最も簡単な方法は、全て投げ出してしまうことです。自分に降りかかってきた課題を放棄できれば、これほど楽なことは無いと思います。もちろんその代償を覚悟の上での話です。

 

代償とは、信用を失うことです。勉強が嫌だから、仕事が嫌だから、人を説得するのが面倒だから、子供を育てるのが面倒だから、と全てのことから逃げ回っている人間は誰からも信用されませんし、誰を頼ることもできません。誰かに信用してもらい、いざと言う時に誰かを頼るためには、自分自身の信用力を維持しなければなりません。

 

おそらく、多くの人々は意識的、あるいは無意識のうちにそのようなことを考えているからこそ、常にイライラ感に苛まれながらも、義務や課題に向き合っているのでしょう。そして、どのようにして心の均衡を保つかを考え続けているのではないでしょうか。

 

考え続けて壊れる前に

しかし、あまりにも責任を負い過ぎて、心のバランスを崩してしまっては元も子もありません。真面目な性格や勝気な性格の人ほど、他人に弱みを見せたくない、誰かに相談するなんて恥ずかしいという心理が働きます。

 

私の勤め先で、特に最近気になるのは、真面目、几帳面なタイプの若手社員ほど、疲労が蓄積しているのではないかと言うことです。

 

ここで昔話を披露すると、「またか」と思われるかもしれませんが、今も昔も変わらないのは、仕事と私生活のバランスを取ることの大切さです。「ワークライフバランス」という言葉自体は、比較的最近普及したものですが、この考え方自体はそれほど新しいものではありません。しかし、かつてのそれは、あくまでも自己責任の範疇の話であって、行政や会社が率先して築き上げたものではありません。

 

会社人間と家族人間の二面性を共存させることは、なかなか骨の折れることです。特に私のような古い人間になると、“仕事第一”と言う呪縛を解き払うためにかなりの苦労を強いられました。在宅勤務が推奨されるこの時期でさえ、出社することを美とするのは役員を始め、幹部社員が中心です。そうなると、私のような人間は、“浮いた”存在になってしまいます。

 

かつては、少々の熱があっても出社するのが当たり前。家族が病気であっても生死に関わるようなものでなければ、休む理由とはならず、子供が生まれても、男親のための特別休暇は3日だけ。出社拒否症はさぼり癖と見做される始末。今、「ブラック企業」と言われている会社が指弾の的になっていますが、平成の最初の頃までは、こんな会社は珍しくありませんでした。

 

私は、古い人間の中でも、比較的早くに“仕事第一”から“家族第一”に考え方を切り替えることができたため、まだ“まし”だったと思います。あまりにも仕事を優先し過ぎて、子育てに参加できなかったり、病気の家族の看病を十分にできなかったり、離婚してしまったり・・・。私生活を犠牲にして仕事に没頭した結果、本当に大切なものを失った同僚や上司は少なくありません。共通して言えることは、不幸にして私生活に大きな傷を負った社員に対して、会社は何の面倒も見てくれません。仕事と家庭を両立できないのは、「自己責任」という考えなのです。

 

そう考えると、全てを背負い込むことはせず、どこかで逃げ道 ‐ 責任放棄 ‐ を見つけることも、時には必要なのだと思います。

 

会社での評価と家族からの信頼。どちらが自分にとって大切か。他の記事でも書いているように、会社の中で自分の代わりはいくらでもいます。家族の中で自分の代わりはいません。どちらが大切か、考えるまでも無いことです。(続く)