和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

支配される心 (2)

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胸の底の滓

現実世界では、誰でも自分の思いどおりにならないことがあります。仕事や生活の中で生じた“思い通りにならないこと”は、ひとつひとつが些細なストレスであっても、放置しておくと胸の底に滓のように沈殿していきます。沈殿した滓は心を支配します。イライラして周囲の人に当たってしまったり、物を壊してしまったりしたことは誰でも経験していると思いますが、それは、心を支配され感情の高ぶりをコントロールできない状態だったからです。

 

人や物に当たり散らすほどではないにしても、いつも不機嫌な人がいます。私の部下にも終始カリカリしている者がいます。満員電車、電車の遅れ、予定どおりに終わらない仕事、後輩の物覚えの悪さ・・・。世の中、自分の思いどおりにならないことの方が多いのかもしれませんが、それに対していちいち不平を言い出したら切りがありません。これではストレスが溜まる一方です。

 

どうしても満員電車に乗るのが我慢できないならラッシュアワーを避ける、電車が遅れても大丈夫なようにスケジュールを組む、などストレスの原因を未然に防ぐ方法は探せば見つかります。また、自分自身がストレスの原因を作り出している可能性もあります。仕事のスケジュールの見通しが甘い、後輩への教え方が悪い、等々。

 

ストレスを軽減する方法はいくらでもあるのに、その工夫をせずに不平・不満を口に出しているだけでは、何も改善されないばかりか、周囲の人々にストレスをまき散らしていることになります。

 

いわゆる“ストレス耐性の強い人”というのは、そもそも忍耐力があり我慢強いということもあるのでしょうが、それ以上に、ストレスそのものを溜め込まない術を身に着けています。自分の人生を左右するものを見極め、我慢強さや忍耐力はいざという時のために取っておくことができる人をストレス耐性が強い、と言うのだと思います。

 

ストレス耐性が特段強くなくても、多くの人は、ストレスを溜め込んでいては精神衛生上良くないことを無意識のうちに分かっています。趣味に没頭したり、息抜きを見つけたりするのも、モヤモヤ - 胸の底の滓 - を取り除こうとするためなのだと思います。自分の“ガス抜き”の仕方を知っている人は、モヤモヤを溜め込まないため、心を支配されることもありません。

 

周囲に向けられる敵意

前回の記事の最後で、私は、ハンドルを握ると性格が変わってしまう人の多さに疑問を呈しましたが、それは、街を歩いているとマナーの悪い車を多く見かけることからそのように感じたのです。しかし、考えてみれば、車と言う乗り物自体が、人の性格を変えられるわけでは無く、マナーの悪さはドライバーの本来の性格を投影しているだけなのです。

ということは、普段はそのように見えなくても、仕事や私生活で様々なストレスを受け、心の底に鬱憤が溜まっている人が、実は思っている以上に多く存在しているとも言えそうです。そしてストレスを軽減する唯一の手段として車を選んでるのではないでしょうか。

 

普段仕事や私生活で自分の思いどおりならない人でも、いざ運転席に腰を下ろせば、大きな鉄の塊を自分の思いどおりに操ることができるのです。無駄にエンジンを吹かしスピードを上げて走る車を見ますが、爆音や疾走感に包まれている間だけは現実を忘れることができるからなのかもしれません。

 

とは言え、車の外では現実の世界が広がっています。歩行者や他の車に取り囲まれている中では、いつでも自分の思いどおりに車を走らせるというわけにはいきません。思うようにストレス解消ができないことが、かえってストレスを増幅していきます。

 

それが他者に対する一方的な敵意となり、粗暴な運転につながるのではないかと考えます。それだけでは飽き足らず、前を走る車を煽って相手が怯える様子を見て鬱憤を晴らしたいという邪悪な感情も湧き出てくるのかもしれません。そう考えると、ハンドルは自分を取り巻く不特定の人々への敵意やどろどろした感情を爆発させるトリガーだと言えます。

 

心を支配するもの

書道や絵画、楽器の演奏など、その時々の心理状態で上手にも下手にもなります。また、スポーツや囲碁・将棋からビジネス交渉まであらゆる駆け引きにおいて、相手の心理を読むことや、心理的な揺さぶりをかけることは、勝敗に係わる重要なカギでもあります。どんなに冷静沈着を心がけてても、“揺さぶられる”ことによって、心を支配されてしまう危険があるのです。

 

車の運転はドライバーの心理状態を如実に表しますが、人の命に関わるだけあって、「今日はちょっとイライラしていて人を撥ねてしまいました」などと言うわけにはいきません。それだけに、感情のコントロール、とりわけ、怒りや憎しみのような敵意を惹起させやすい感情の制御が肝心なのです。