元同僚
昨年末、元同僚からメールが届きました。差出人の名前に懐かしさを覚えた私でしたが、メールアドレスは見慣れないものだったので、「迷惑メールかもしれない」とそのまま放置していました。
ところが、年が明けてからしばらくして、再び同じ差出人からメールが届きました。相手も私が不審に思っているものと感じたのでしょう。今度は本人と私にしか分からない思い出話を持ち出してきました。そこまでされて疑うわけにもいかず、私は仕事の合間に彼に電話をかけることにしました。
彼が転職した時、私は海外駐在中だったので、会って直接話は出来ませんでした。ただ、私に送ってきた退職の挨拶メールは、会社に対する恨みつらみに満ちたものでした。その文面から、彼が転職を思い立った動機は決してポジティブなものでは無かったことは分かりました。
そんな経緯を知っている私からすると、彼からメールが届いたのは意外でした。
折り入ってのお願い - お願いの中身まではメールだけでは見当がつきませんでしたが、不満を抱いて去って行った会社の元同僚に対してどのような頼み事があるのか、私は好奇心と警戒心が混ざり合った変な気持ちで教えてもらった番号に電話をかけました。
口添えの依頼
想い出話もそこそこに、彼は本題に入りました。近々会社に中途採用の応募をするので、私に口添えしてくれないかと言うものでした。
私の勤め先が、所謂カムバック採用を始めたのは昨年のことでした。若手・中堅社員の流出を食い止めることが出来ず中途採用者の定着率も上がらない中、窮余の策として取り入れたものでした。ただし、大々的に喧伝することはせずに、現職社員の伝手を頼りにするものでした。
今のところ、カムバック社員が再雇用された様子はありません。私とて、会社が人材採用に苦しんでいることは知っています。元部下の中には、残念ながら転職に成功したとは言い難い状況にある者もいることでしょう。
そのうちの一人を私は知っているので、私がカムバック採用の話を振ることは可能です。しかしながら、彼女が自らを苦境に追い込んでしまったのは、見通しの甘さや自分に対する過信が招いた結果だと思っているので、私は安易に救いの手を差し伸べることを躊躇しました。仮に私が彼女と会社の橋渡しをしたところで、後ろ足で砂をかけるようにして去っていた元社員を会社が快く受け入れるとは考えられませんでした。
件の彼も状況は同じなのではないか – そんな不安が私の頭を過りました。彼が転職を決断した時の細かい状況を私は知りません。退職メールからは少なくとも円満退社では無かったことが窺えます。何よりも、私は彼と本当の意味で心を通わせることが出来る間柄ではありませんでした。
そんな私に頼み事をしてきた彼は - 私の想像でしかありませんが – きっとこれまでに何人かの親しかった元同僚に声をかけ断られたのでしょう。
現実
私は黙って彼の話を聞き続けました。その沈黙が居心地の悪いものだったからか、彼は、今の困難な状況を話始めました。
転職後の収入が上がらないこと、奥さんがコロナ禍の影響で失業したこと、子どもの教育費や家のローンで家計が苦しいこと。元の会社に戻ることが出来れば、いくらか収入が上がるのではないか - 彼のカムバックの動機は、浅はかな望みからくるものでした。
彼は私よりも年下でしたが、それでも五十に手が届く年齢です。カムバック社員に年齢制限は無かったはずでしたが、会社が欲しい人材は若手・中堅、もしくは若い管理職です。彼の年代には、残念ながら戻って来る場所はありませんでした。残酷ですがそれが現実なのです。
私は、彼に気を持たせるのは良くないと考え、正直に話をしました。それに、私の口添えなど何の効力も無いことも。
電話を切った後、私は、もう少し気の利いた話し方が出来たのではないかとわずかな後ろめたさを感じました。正論など脇に置いて、彼の望むように人事部の採用担当に口添えをすれば私の役割は済んだのです。