和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

食事の話

食事の習わし

妻と私は、結婚してからの四年余りの間共働きでした。家事の分担は公平にしようと思っていながらも、帰宅時間はいつも私の方が遅く、平日は先に帰宅する妻が夕飯の支度をしてくれていました。

 

帰宅が早いとは言え、妻も疲れて帰ってくるわけで、毎度手間をかけた料理を作るのは無理があります。そこで、週末に二人で手分けをして料理の下ごしらえや作り置きをして翌週を迎えるのがスケジュールになりました。

 

週末に何かの都合で時間が取れなかった時は、平日の夕食はスーパーの総菜売り場のお世話になりましたが、妻は栄養のバランスを考えて品物を選んでくれるわけですから、それもまた手間だったはずです。

 

結婚当初は収入も少なく、私の奨学金の返済もあり、家計が楽に回る時が来るのを願う日々が続いていたので、お互いに食事には文句は言わず、出されたものは美味しく頂くのが我が家の習わしになりました。

 

当時、社宅住まいだった私たちの周りは、共働き家庭の方が珍しく、また、職場でも奥さんが専業主婦の家がほとんどだったので、上司や先輩から我が家の食事事情を揶揄されることもあり、私は少し悲しい気持ちになりましたが、今思うと、毎日キッチンに立って料理することの無い人に、その苦労を説いたところで理解は得られないでしょう。

 

そんな私も、これまで妻に家事の負担がかかっていたことに負い目を感じつつ週末に何とか挽回しようとして三十年経ってしまいました。

 

妻の闘病生活開始からかれこれ二年以上経ちますが、不思議と私が料理を面倒臭く思わずにいられるのは、妻や娘たちが出されたものに文句をつけないからなのだと思います。

 

私としては、作った料理に点数も“合格”も要らないのです。普通に食べてもらって、食卓に「頂きます」と「ごちそうさまでした」の声が聞こえれば、それで満足なのですから。

 

大根と玉ねぎ

食事は時間と手間をかけて作っても、食べる時間はあっと言う間です。今は在宅勤務が主体のため、家事に費やす時間には余裕がありますが、共働き時代からの料理時間短縮の工夫は続いています。

 

これからの冬場は鍋料理などで大根の出番が増えます。我が家では、二本くらい買ってきたものを、その日のうちに味噌汁用の千切りと煮物用の輪切りにして冷凍してしまいます。厚めに剝いた皮の部分はきんぴらや、少し濃いめの三杯酢で漬物にします。

 

スーパーで売っている大根とは違い、近所の農家さんでは葉の部分を丸々残したまま大根を売っているので、我が家では大根の葉は甘辛く炒めたりおひたしにして楽しんでいます。

 

玉ねぎも我が家の食卓では欠かせない食材ですが、大量買いしても日持ちさせるのが意外に大変です。これも料理に合わせて串切り、千切り、みじん切りにして冷凍保存するほか、飴色になるまで炒めてペーストにしてしまうのも我が家の定番になっています。ある程度の量の玉ねぎを飴色になるまで炒めるのは案外時間がかかるので週末に音楽を流しながらの作業となります。出来たものは小分けにして冷凍しておきますが、カレーやオニオングラタン、パスタソースなど、使い道は広く便利な食材です。

 

家族そろって

コロナ禍後、家族四人で食卓を囲む機会が増えたのに伴って、ホットプレートの“登場回数”が格段に増えました。とは言え、それほどバラエティに富んだメニューがあるわけでも無く、餃子とお好み焼きの二択。ホットプレートを引っ張り出したら餃子とお好み焼きを作ることになり、“二択”と言うのは、どちらを最初の日に作るかを選ぶだけのことです。

 

以前、餃子の餡作りに使っていたフードプロセッサーは、保証期間を過ぎた途端に故障してしまい、修理代を払うのも馬鹿らしくなって廃棄してしまいましたが、それ以来、野菜を刻むのは下の娘と私の役目となりました。餃子が好物の次女は、他の事は言われないと動き始めませんが、餃子の仕込み作業は率先して行います。私が他のことで手を離せない時には、一人で仕込みを終わらせてしまうこともありました。

 

最初の夜が餃子なら、翌日の夜はお好み焼きになります。これも、最近は娘たちに粉作りを任せられるようになりました。

 

今は家族四人で食事することが当たり前になりましたが、それもこの二年余りの話です。それ以前は、それぞれ帰宅時間もまちまちだったので、食事の準備から家族全員がそろうのは週末くらいでした。

 

料理の時間も食事の時間も、家族との他愛の無い会話が弾みます。こんなことなら、なぜもっと早く、少し無理をしてでもそのような時間を作ろうとしなかったのか – 時折、私はもったいない時間を過ごしていたことを後悔することがあります。