和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

自分を理解してもらうこと

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自分以外全て敵

自分がどういう人間なのかは、自分が一番良く知っている – そう私は思っているのですが、知人や職場の人間に私が理解されているかと言うと疑問符が付きます。

 

もっとも、私は自分を良く見てもらおうと周囲に対して積極的な働きかけをしてきたわけでは無く、無理に他者に迎合することで自分が窮屈に感じてしまうような環境に身を置くつもりも無かったので、知らず知らずのうちに、自分の敵を作ってしまっていたのかもしれません。

 

自分のことを棚に上げるつもりはありませんが、私の周りにも、日頃の振舞いで損をしていると思ってしまう人間がいます。

 

すでに退職してしまいましたが、私の隣の部署にベテランのKさんと言う女性社員がいました。事業開発の仕事に長年携わっており、いろいろなプロジェクトの経緯を知っているだけで無く、仕事の判断も早い有能な人物でした。

 

しかし、そのKさんは常に周囲の人間と軋轢を起こしていました。私とほぼ同年代の彼女にとっては、上司であろうと新入社員であろうと、自分よりもレベルが下と見ると、何かのきっかけを見つけては、時と場所も構わず“こき下ろす”のです。Kさんの直属の上司である課長は、彼女よりも年下で、全く相手にされませんでした。

 

隣りの部署とは言え、Kさんの大声は聞くに堪えないものでした。私は何度か彼女を諫めたことがありましたが、こちらの思いは全く通じません。そして、彼女のエキセントリックな言動が高じる中、新しく異動して来た部長は、あっさりと彼女を別の部署に飛ばしてしまいました。

 

彼女はその後すぐに退職してしまったのですが、しばらくして関連会社にプロパーとして採用されました。その関連会社の役員はKさんの元上司で、私もかつてお世話になったことがある方でした。

 

Kさんが関連会社で再出発したことは、何かの会合の後の酒の席でその役員に聞かされた話でした。私は、Kさんが新しい職場で上手くやっていけるのか疑問でしたが、その役員は全て事情を理解した上で彼女を引き受けたと言います。「根は良い子なんだけど」。 その後の言葉はつながらず、私も敢えて聞きませんでした。

 

元の職場での、Kさんの“全方位全て敵”のような振舞いが、何をきっかけに始まったのかは定かではありませんが、元からそうであったわけでは無かったのでしょう。真の理解者に対してのみ、Kさんは素の自分をさらけ出していたのかもしれませんが、あの頃、常に何かと戦っているようなKさんの本当の顔を知っている理解者はひとりもいなかったと思います。敵意むき出しの相手に対して、“根は良い人なんだろう”と、本当の顔を理解しようと努める奇特な人はまずお目にかかれません。

 

自分を理解してもらえる人にだけ、分かってもらえればそれで良い。もし、Kさんがそのように考えていたのだとしたら、それは彼女の甘えだったのでしょうか。

 

似た者同士

私が今の勤め先に入社した当初、同期の中には上昇志向の強い者が少なくありませんでしたが、私はどちらかと言うと昇進にはあまり興味がありませんでした。

 

何となく流されて就職したものの、せっかく選んだ仕事なのだから、私は、そこに何かやりがいを見いだしたいと思っていました。

 

私にとって拘るべきことは、社内の役職や年収では無く、習得する知識や培う経験でした。だから、なのか、私の持って生まれたひねくれた性格からなのか、私は上の人間に媚を売ったり、職場で無駄な愛想を振りまいたりすることが出来ませんでした。

 

これまでに何回か仕事を干されたことがありましたが、もしあの時、当時の上司に詫びを入れることが出来れば、閑職に回されずに済んでいたかもしれません。あちらも、私が頭を下げれば、穏便に収めるつもりだったかもしれません。全ては私の勝手な想像なので、今さら考えても仕方の無いことです。

 

冒頭のKさんの話を思い出し、私はどこかで彼女と共通しているところがあったのではないかと考えました。もちろん、私は周囲を全て敵視するようなことはしませんでした。しかしながら、たとえ上司であろうと先輩であろうと、自分の考えと相容れない相手に対して一切妥協しなかったのは、単に自分の矜持を保とうとしたかっただけではないか、もしそうだとすれば、私も狭量な人間なのだと感じたのです。

 

過去の自分の言動を後悔しているわけではありませんが、時に部下から「冷たい」と言われ、上の人間から「不愛想だ」と言われると、本当の自分はそんな冷淡な人間では無いのにと思う反面、周囲に自分を理解してもらおうと積極的に働きかける必要など無い、分かってもらえる人に分かってもらえれば良いと割り切っている自分がいます。

 

私は、職場で声を荒げたり、同僚を見下したりしたことは一切ありませんでしたが、振り返って考えてみると、表に出る態度の差こそあれ、Kさんと私は似た者同士なのかもしれないと、ふと思ったのでした。