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差別と非難と社会的制裁

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病気に対する差別

新型肺炎の感染者のみならず、その家族や治療に当たっている医療関係者まで、差別や中傷の対象となっている ‐ そんな話がメディアで報じられています。これがどの程度深刻な状態まで進んでいるのか、ニュースを鵜呑みにすべきではありませんが、全くの出まかせということでも無いのだろうと思います。

 

病気に対する差別と聞いて、私の頭に思い浮かぶのはHIV感染者ですが、古くは、結核ハンセン病水俣病なども差別の対象でした。そこには、病気そのものだけでなく、罹患者の症状の悲惨さに対する恐怖心があり、それが高じて、厄介な病気をうつされたくない、近くに寄るな、と言う感染者を忌み嫌う感情が湧いてきたのでしょう。新型コロナウィルスの場合も、感染力の強さのみならず、急激に重篤化する可能性の高さから、“危険な病気”として多くの人々に恐怖心を与えています。

 

しかし、病気そのものに対する恐怖を理由に、感染者などに対する不当な差別や嫌がらせが正当化されてはなりません。感染者の自宅への投石や落書きなどは論外です。

 

新型肺炎に限らず、どれだけ予防していようとも病気に感染してしまうということはあり得ます。自分も明日感染者になるかもしれない。感染者である自分、看病してくれる家族、そして懸命に治療に当たってくれる病院関係者の誰もが、差別される言われはありません。

 

自粛しない者に対する憎悪

外出自粛、営業自粛。世間が自粛ムードにある中、真面目に家に籠っている側からしてみれば、勝手気ままに外を出歩く人々や、営業を続ける遊興施設、そしてそこに押し掛ける客は、憎悪の対象になります。新たな感染を抑えられるかどうかは、ひとりひとりの努力に委ねられています。それを分かっているはずなのに、自粛要請に応えない者が後を絶たず、その結果、感染拡大が進めば、自粛を貫いている身としては、自分たちの苦労が水の泡になります。

 

とは言え、このような取り組みに協力しない人を非難することはできても、実力行使で制裁を加えることまで法律が認めているわけではありません。“自粛破り”を取り締まる法律も無く、司法や行政が不甲斐なく見えてしまうと、思わず自ら立ち上がって行動に移したくなる人々の気持ちは理解できます。しかし、理由はどうであれ実力行使に出ることは、場合によっては犯罪になってしまいます。

 

他県から“越境してきた”車が悪戯される被害も報じられていますが、理由の如何を問わずこれは器物破損という立派な犯罪です。越境してきた車の中には、仕事や家族の看病など、やむを得ない理由を抱えて来ている人もいることでしょう。憂さ晴らしや嫌がらせの標的になってしまうにはあまりにも気の毒ではないでしょうか。どのような事情で越境してきたか分からない中で、無差別に危害を加えることは度を越えている行いとしか言えません。

 

社会的制裁の暴走

極論すれば、自分の親を殺されたとしても、その相手に対して個人が報復すること ‐ 仇討ち ‐ は許されません。誰かの行為がどんなに非難されるようなものであっても、それを処罰すべきか否かの判断は司法に委ねられます。

 

すでにご存じの方も多いと思いますが、ウィルス感染判明の前後に取った不用意な行動から、SNS等で反感を買い個人情報まで晒されてしまった女性が現れました。

 

報道によれば、彼女の行動は、自覚症状があったにも拘わらず都内から帰省、帰省先で複数の知人と食事するなど、もし自分が感染者だった場合、誰かにウィルスをうつしてしまうリスクが高いものでした。また、検査の結果、陽性と知りながら公共の交通機関を利用して帰京するなど、その行動は不用意を通り越して悪質とも取れるものでした。

 

ただし、注意しなければならないことは、このようにメディアやSNSで流布している話が事実なのかという点です。様々な情報が飛び交う中、“本当のところ”を正確に把握している人はどれだけ存在するのでしょうか。多くの人は、他人がかき集めた情報を事実だと思い込んでいるだけなのではないでしょうか。自分の目や耳で確認したもので無い以上、どこかに間違いが含まれていることだってあり得るわけです。もし、誰かを誹謗・中傷することに加担し、それが後で間違いだったと判明した場合、誹謗・中傷を扇動した者のみならずそれに加担した者も罪に問われることになります。

 

では、得られた情報が全て間違いの無い事実で、彼女が行ったことが非難に値する場合、それを理由に、顔や氏名や年齢、勤め先からペットまでプライバシーを暴露してもいいのでしょうか。それを“当然の報い”、“自業自得”と言う人もいます。

 

社会的制裁 ‐ この場合、個人を特定し、プライバシーを暴き立て、多数の匿名者が糾弾する ‐ は、一般人に認められた権利ではないはずです。嫌悪や怒りの感情が先立てば、社会的制裁を通り越して、社会的抹殺へと暴走します。仮に、最初に彼女のプライバシーを暴き始めた人々としては、本人に反省を促す“お仕置き”のつもりだったとしても、多くの便乗者の心に火をつけ、いつの間にかお仕置きが“処刑”になってしまうことだってあるわけです。

 

どんなに“許せない”相手だとしても、一般人がそれを罰することは出来ません。それを認めてしまえば、リンチを容認することになってしまいます。相手を非難することはあっても、社会的制裁を加えたり、社会的に抹殺するなどという権利は我々には無いのです。