和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

罰点をつけられない社員

変調

昨年同様、ゴールデンウィークは家で過ごすと決めていて、特に深い考えも無く有給休暇を使って十連休にしたのですが、自分の休みは時間が過ぎるのが早いものです。

 

元々ぼーっと過ごすのが苦手な性格なので、家にいても暇を持て余すことはありません。今年は特に妻や娘たちから、積んである本を早く読むように言われているため、強制的に読書三昧の連休になっています。

 

連休は心置きなく趣味や読書に没頭すると意気込んでいた私ですが、残念ながら心にモヤモヤ感を抱いた状態が続いています。

 

休み前の部長と打ち合わせ。発端は、本来4月中に行なわれるはずの期末面談でした。5名いる課員のうち、再雇用嘱託の者以外は上司である課長と面談を行なうことになっていたのですが、先延ばしのまま連休に突入してしまいました。

 

私は日時までこちらで決めて面談するように課長に促したのですが、準備が間に合わないと言われたまま時間が過ぎてしまい、他の課員に聞いても事情は同じでした。5月の半ばには部内での人事考課作業が始まるので、それまでに課長は自分の部下の評価を終えておかなければなりません。

 

組織改編の前後から課長の様子がおかしいことには気づいていましたが、時期的に部下との面談も出来ないほどに業務に忙殺されると言うのも腑に落ちませんでした。

 

課員のひとりから、“元部長”の私に何とかするように突かれていたところ、部長の方から声がかかりました。部長からは、今回の期末面談に限り課長では無く部長が直々に行なうと言われ、それを私から他の課員に伝えておいて欲しいと頼まれました。

 

そこで、私が何も尋ねなければ終わってしまった話なのですが、課長の異変を感じながらそのことに全く触れないのもかえって不自然と思い、部長に理由を聞きました。

 

課長の様子がおかしいことは部長も承知しており – 部の中でそれに気づいていない人間はいないでしょう - 本人とも何度か話をしていたようです。

 

恐らく、個人面談の材料となる部下からの申告書を読み込んだりコメントを書いたりする心のゆとりが無いのではないか。時間はあっても何かに集中したり考えをまとめたりすることが出来ない状態に陥っているのではないか - 私はそう推測しました。

 

見極め

私は部長に、課長の休養を進言しました。差し出がましいことを言っているのは自覚していたのですが、課長には今の仕事から離れさせるのが最善の策だと感じました。私は最近、課長と“深い話”はしていないので断言は出来ませんが、仕事が手につかない“症状”は、かつて私が通った道と同じです。

 

私の場合は、仕事に集中出来ない段階の後、考えがまとまらない、文書化出来ない、論理的な話が出来ない、と自分が壊れてしまうのではないかと言う不安に苛まれてダウンしてしまいました。

 

課長にはそのような経験はしてもらいたくありませんし、それを未然に防ぐことが出来るのは周囲の人間なのです。真面目で責任感が強い人間は自分でギブアップする術を知りません。誰かが止めなければ壊れるまで働き続けることでしょう。

 

部長からは意外な言葉を聞かされました。課長のことを「今彼は大切な時期だから」と言うのです。課長には一昨年、40代半ばにして初めての子供を授かりました。私は最初、養う家族への責任の話をしているのかと勘違いしましたが、部長が言いたかったことは、課長のキャリアのようです。“大切な時期”とは、次の昇格のタイミングです。その前にキャリアに瑕をつけることはまかりならぬ、と言いたかったのです。

 

部長は課長の負荷を少し減らせば、元に戻ると勝手に期待している様子でしたが、精神的なダメージを受けて仕事を休まざるを得ない状態は、それを経験した者にしか深刻さは分からないのかもしれません。

 

課長は、所謂“罰点をつけられない社員”でした。一昨年、私がまだ彼の上司だった時の彼への評価はあまり高くありませんでした。私としては彼の潜在能力は認めるものの、畑違いの部署から異動して来た最初の年でもあり、単年度の成果は私の期待を大きく上回るものではありませんでした。

 

ところが、私が“公平”につけたはずの評点は、二次評価者の担当役員に覆されることとなります。役員から目をかけられている社員は、経歴に一点の曇りも許されないのでしょう。それは、年功主義から能力主義へと会社の評価制度が変更されたからといって一朝一夕に変わるものでは無く、上の人間が子飼いの社員を引き上げる抜け道はいくらでもあるのです。

 

課長がそのことに気がついているのか、いないのかは定かではありません。そのようなことを私が彼に聞いたところで詮無いことです。ただ、今の状態を放置することだけは避けなければならない – メンタル不調の社員を騙し騙し使い続けて取り返しのつかないところまで行ってしまったら誰が責任を取るのか。部長も担当役員も、そして会社も、犠牲となった社員を一生面倒見ることはありません。

 

部長には、連休明けに課長とよく話をして早急に対応を決めるように進言しました。今のポジションが不向きなのであれば異動することで環境を変えることも出来ます。管理職の責務が重過ぎるのであれば、別の働き方もあります。それを見極めるのも上の人間に役目なのですが、部長がどこまで真剣に私の言葉を受け止めていたのかは分かりません。



家事の習慣

残された方の心配

先日、義姉が家に訪ねてきました。健康診断で乳がんが見つかりゴールデンウィーク明けに手術することが決まったと言い、私に対して「姉妹揃って申し訳ない」と頭を下げました。

 

私は慌てて義姉に頭を上げるように頼みました。病気は本人が望んで罹るわけではありません。幸い、義姉のがんは早期のステージで手術以外に抗がん剤の投与は必要無く、術後はすぐに普通の生活に戻れるとのことで、妻と私は胸を撫で下ろしました。

 

義姉は、夫を置いて自分が先に逝くわけにいかないと言いますが、義兄は数年前に定年を迎えてからは家事にも前向きに取り組んでいると言っていたので、術後の義姉は安心して自宅での療養が出来るのではないかと思いました。

 

そんな話から、私は自分の父親のことを思い浮かべました。

 

父は老後生活を十分に満喫すること無く逝ってしまいましたが、母に看取られたことは結果として良かったと私は考えています。

 

事業を畳み、地方に転居した当初は、何となく燃え尽きてしまった感のあった父でしたが、母がいろいろな用事を見つけては父を外に連れ出し家に籠らないようにしていたそうです。

 

晩年の父は、母に励まされながら生きがいを見出そうとしていたのかもしれません。それでも、長年家のことを母に任せ切りにしていた父のことですから、もし、あの時母の方が先立ってしまったら、自分の身の回りのことさえ出来ないまま放り出されてしまったことになります。

 

妻の両親も、義父が先に亡くなりましたが、妻も妻の兄姉もそれを「ほっとした」と正直に口にします。

 

老親の独り暮らしはただでさえ子どもからすれば心配の種ですが、身の回りのことを全て家人に任せていた親が残されてしまったら、放っておくわけにもいかなくなります。そう考えると、「ほっとした」と言う妻や義兄姉を冷たい人間とは私は言えません。

 

家事の習慣

私が妻の介護をしていて感じたのは - 再認識したことと言った方が良いのかもしれません – 、自分が如何に妻に頼っていたかと言うことでした。自然とお互いに分担していた家事でしたが、ある日それをひとりで受け持つとなると、こんなにやることがあったのかとちょっとした驚きを感じました。

 

家事の総量が増えたわけではありませんが、相手に任せていた仕事は自分からは見えなくなってしまっていたのです。

 

不謹慎な話ですが、妻の闘病生活が無ければ、家人を介護したり家事の棚卸しをしたりすることも無かったでしょう。そう考えると、老後生活に突入する前にこのような経験が出来たことは、かえって良かったと思えるようになりました。

 

学校や会社は卒業や定年があり、自分に課されることが決まっています。それに対して家事に卒業や定年は無く、やるべきことは決まっているようで案外曖昧です。どこまでやれば十分なのか、どこまで手抜きをしていいのか、全て自分次第です。自分のことは自分で決めたいと考えていても、いざ“全て自分次第”となると、どこから手をつけて良いものか逡巡してしまいます。

 

私たちが共働きで、平日家を空けていた頃は、家の中はあまりきれいに片付いていませんでした。掃除は週末にまとめて行なうことが当たり前になっていました。日頃頻繁に来客があるわけでも無く、少々散らかっていても問題無かったので、気にすることすらありませんでした。

 

それが、私が在宅勤務や介護休業を経て、今のような働き方が出来るようになってからと言うもの、毎朝家の中を“リセット”するようになりました。私が無理に気合のスイッチを入れてそうしているわけでは無いのですが、一日の大半を過ごす空間だからこそ、快適な状態に整えておきたいと思うようになったのでしょう。

 

リタイアした後も大半の時間を家で過ごすことを考えると、今から素敵な家事の習慣をつけておくのは我ながら良い心がけだと思っています。

 

問題は、それがいつまで続くのか、ですが。

ハラスメントの温床(2)

抜け道

ハラスメント研修のプログラム見直しのために予定されていた打ち合わせは、急遽キャンセルとなりました。人事部の担当者からは“時間的な理由”で、今年のプログラムは昨年の内容を踏襲することに決まったと聞きました。

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私としては、意見を求められればそれに応えるだけ、そう考えていたのですが、プログラムの見直し作業がとん挫してしまったことは、時間的な理由が本当だったとしても、乗り気を殺がれて残念な思いを感じました。

 

ハラスメント防止のためのガイドラインにより、職場での嫌がらせは格段に減ったと思います。飲み会の強要も、部下への罵倒も、下ネタトークも、ガイドラインでハラスメントに抵触すると定められた言動は職場では影を潜めました。

 

しかしながら、どのような行為が相手に不快感を与えることになるのか、今まで気に留めることをしてこなかった一部の人間がそう簡単に心を入れ替えることなど出来ません。

 

下戸の人間に無理やり酒を勧めて、悪酔いする姿を見て面白がったり、酒席でプライベートなことを聞き出そうとしたり – 結局そのような行為は、コミュニケーションの一環などでは無く、自分よりも弱い相手を標的にしたストレス発散です。

 

自分に歯向かってこないことを知っていて部下に罵声を浴びせるのは、自分の思いどおりに仕事が進まないことのストレスを弱い者に当たることで発散しているだけです。

 

職場で下ネタや趣味の悪い冗談を持ち出すのは、それを耳にして眉を顰める同僚や部下を面白がったり、あるいは、迎合する相手を見つけたりして仕事のストレス解消をしているだけなのです。

 

部署の結束を高めるため、コミュニケーションを円滑にするため、職場の雰囲気を和ませるため – “やった方”はもっともらしい理由を挙げ連ねますが、本心から仕事のために体を張ってやったことだと思っている人間はいないでしょう。

 

仕事のストレスを歪んだ形で発散して来た人間が、一朝一夕に変われるはずはありません。今まで自分の楽しみだったことが禁じられたからと言って、心を入れ替える人間がどれほどいるでしょうか。

 

何か楽しみを見つけなければ仕事のストレスが募るばかりと言う人間は、ガイドラインに抵触しない抜け道から新たな楽しみを見つけようとするのです。

 

飲み会の強要はしない代わりに、職場で“乗りの悪い”人間とレッテルを貼る。表立って罵倒する代わりに不当に評価を下げる。

 

職場からハラスメントを一掃しようとして作られたガイドラインによって、表面上は働きやすく見える環境が整いましたが、倫理観を欠いた社員が心を入れ替えたわけでは無く、ハラスメントの素となる負の感情は潜行して見つけづらくなったと思います。

 

いみじくも人事部長が口にした、管理職と一般社員を同席させたら一般社員が委縮して議論にならない、と言う心配は、コーポレート部門の中枢にいる人間が風通しの悪い職場を懸念している証左だと感じました。

 

寸止め

他方、部下の指導に悩む管理職が増える傾向にあるのは、ハラスメント防止の啓蒙活動が盛んになったことが影響しているのかもしれません。

 

部下の成長を促すための指導や組織の規律を守るための注意と、自己の感情を立場の弱い者にぶつけるだけの行為。成熟した大人であれば、自分がやろうとしていることが相手を思っての注意なのか八つ当たりなのかくらいの判断はつくはずなのですが、都合が悪い時ほど自己正当化に走るのが人間の弱さです。

 

私はさすがに自分の部下に八つ当たりしたことはありませんでしたが、仕事が上手く回っていない時や虫の居所が悪い時などは、自分で自分が危ない状態にあることが分かりました。つまり、私も態度にこそ表したことは無くても、何かに当たりたい衝動に駆られそうになる瞬間があり、寸止めで抑えていたのです。

 

組織の中で仕事をする限り、ストレスから解放されることはありません。少なくとも私の経験ではそうでした。その中で感情に支配されるのではなく、感情をコントロールするためには、その出処を知る必要があります。

 

一歩間違えば私もパワハラ上司になっていたかもしれません。だからと言って、実際にパワハラ認定された社員を擁護すべきとは思いませんが、彼ら・彼女らの負の感情の根源、あるいはそのような感情を増幅するような温床がどこにあるのかを探ることが出来なければ根本的な解決にはならないのではないかと疑問に思うのでした。

 

私のように一歩間違える手前で踏み止まった経験を持つ社員は少なく無いと思います。もし、そういう者同士が会してお互いの経験を共有することが出来れば、ある種のガス抜きが可能になるのかもしれません。

 

自分自身の気持ちの揺らぎを認めることはそう簡単なことではありません。特にプライドの高い人は自分の過ちを認めないどころか正当化してしまう嫌いがあります。しかし、自分と同じような他者を介して気持ちの揺らぎを理解することは出来そうな気がします。