和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

ハラスメントの温床(1)

提案却下

私の勤め先では年に一回、全ての社員がハラスメント研修を受けることになっています。かつては社外講師を招いて講義を受けるだけでしたが、昨年は参加者がそれぞれの職場での実例を持ち寄り、ワークショップ形式でハラスメント防止についてのディスカッションを行ないました。

lambamirstan.hatenablog.com

 

私は昨年の研修時に議事進行役を任されたことから、人事部より本年の研修プログラムの見直し作業に参加を要請されました。

 

新年度が始まって一か月が経とうとしているので、すでに研修日程が決まっていてもおかしくないのですが、人事部も人手不足の中、ハラスメント研修は扱いが劣後してしまったようです。

 

さて、その研修プログラム見直しのための打合せがゴールデンウィーク前に行なわれるのですが、事前のアンケートで私は二つ提言をしました。

 

一つ目は、各回の参加者は役職で区分けせずに行なうこと。これまでの研修では管理職対象と一般社員対象で分けていましたが、それでは同じ役割の者同士の“内輪の議論”で終わってしまいます。同じ部署の上司と部下を一緒に参加させる必要はありませんが、管理職と一般社員のそれぞれの目線で議論することで、ハラスメントに対する意識のギャップを少しでも埋めることが出来るのではないかと思ったのです。

 

二つ目は、ハラスメントとアンコンシャス・バイアスを一緒に取り上げること。ハラスメントの“加害者”にとって、それは意図的な嫌がらせでは無く単に先入観や無意識の偏見が原因になっている場合があるのではないかと感じたからです。ハラスメント予防を考えるのであれば、単に“してはいけない”ことを周知するだけで無く、意識改革から手をつけなければ中途半端に終わってしまうのではないかと言うことに今さらながら気がつきました。

 

私としては、プログラムの一層の改善に少しは役立ちそうな提案ができたのではと思っていたのですが、先週末に人事部長から直々に連絡があり、「気持ちは分かるが」と前置きした上で、私の提案は却下されてしまいました。

 

アンコンシャス・バイアスに関しての研修はすでに別の担当者が準備を進めていて、社外講師の手配も済んでいるため、ハラスメント研修と統合することは不可。参加者の区分けについては、管理職と一般社員を同じテーブルに座らせれば、一般社員が委縮して自由な議論が出来ないことを理由に挙げていました。

 

アンケートを提出した時に、直接の担当者からの返信メールでは、“私の意見に同感”と前向きなコメントをもらっていたのです。それについて人事部長はどう考えるのかと問うたところ、担当者の一存で決められる話ではないと木で鼻を括った返事しか返ってきませんでした。

 

私はそれでも食い下がったのですが、結局は「来年検討する」との口約束で人事部長は話を終わらせました。職場の環境改善に直結するような研修であればなおのこと、おざなりな内容にすべきでは無いのですが、各方面との調整などの仕事が増えることを部長としては嫌ったのでしょう。

 

見た目の改善

社内でのハラスメント防止に関する啓蒙活動が始まってから、かれこれ四半世紀近く経ちます。「ハラスメント」と言う言葉が普及する前までの職場では、飲み会への参加強要や職場での下ネタを含む会話、部下に対する罵倒等々、今では完全に“アウト”な事例すら、当時の管理職以上の階層からは、“コミュニケーションの一環”とか“部下への指導”などともっともらしい理由を挙げて抵抗する声がありました。

 

それが、現在のようにハラスメント防止の社内規程が出来て、相談窓口が人事部に設けられるようになったのは、決して組織の自浄努力では無く、それまで声を上げられなかった被害者が世の中の“流れ”に後押しされて動けるようになったからに他なりません。

 

ハラスメント防止ガイドラインが整い社内研修を繰り返すことで、かつての職場に比べれば格段に働きやすい環境になったことは間違いありません。たしかに見た目は改善されています。しかし、それが社員ひとりひとりの意識改革にまで及んだのかと聞かれると、私としては懐疑的です。個人の意識など簡単に変えられるものではありませんし、表面上の事例が減ったからそれで良しとするのは少々安易な考え方ではないかと感じました。

 

昨年のハラスメント研修でワークショップを行なった際に耳にしたのは、在宅勤務に関連するものが多かった気がします。出社するよう無言の圧力を感じたり、サボっているのではないかと根拠も無いのに疑われたりした若手社員もいたようです。

 

それらがハラスメントに該当するのか、上司の言い分も聞いて見なければ判断しようがありませんが、働き方が変われば新たな問題が生じるのは簡単に想像がつきます。環境の変化に応じてハラスメントのガイドラインも見直す必要があるはずなのですが、それには、上司と部下の“すり合わせ”が欠かせないと思います。

 

人事部長は、管理職と一般社員を同席させるワークショップでは下の者が委縮してしまうと言いましたが、もし本当にそう思っているなら、なおのこと上下関係に囚われずに忌憚の無い意見を言い合える環境を整えるのが人事部の役目なのではないかと考えます。 (続く)

基本の見直し

人手が足りない

先日部長から、部内で作成する稟議書や会議資料の査読の担当を命じられました。4月の組織改編後、部長も課長も仕事が増えて手一杯の状態だと言い訳をしていましたが、業務がオーバーフローすることは、新体制になる以前から何度も指摘して来たところです。

 

稟議書は部長が持ち回りするのが慣行なのだから自分で目を通して、課長なり起案した部員に直させるべきなのです。そのことを部長に伝えると、書類の修正が多過ぎて手に負えないと泣きが入りました。

 

問題は、二つある課の一方だけのものでした。課長以下の面々は、私が部長だった頃とほとんど変わっていません。一年あまりの間に部員の質がそれほどに劣化するとは考えられず、何が原因なのか私はすぐには思い当たる原因を見つけられませんでした。

 

当の課長に事情を聞くと、今まで課長の直下で補佐をしていた中堅社員が若手の面倒を見なくなったことが理由のようでした。

 

人を減らされ仕事が増え、その上、今までと変わらず後輩の面倒も見るとなると、自ずと残業時間が増えることとなりますが、件の中堅社員は、「残業はしない」と課長にきっぱりと言ったそうです。

 

「残業はしない」と言うのは、私が部長だった頃に部下に伝えた目標でした。業務の棚卸しを行ない、仕事の分担を見直した上で、部全体で残業をゼロにすることを組織目標に掲げたことがありました。部員で吸収しきれない仕事は部課長が負うこととなります。部の欠員を適宜補充することや業務分担の最適化は管理職の仕事です。人手が足りないのであれば、そのしわ寄せは立場の弱い部員では無く、管理職が引き受けるか、工夫をして仕事を減らすしかないのです。

 

中堅社員のささやかな反抗は、人手不足の責任の所在を課長に分からせるためなのでは、と私は勝手に推測しました。

 

写経とペンだこ

それにしても、部下の上げて来た書類を部長に回す前に査読し、必要に応じて加除修正するのが課長の仕事なのですが、そんな余裕も無いほどに忙殺されているのだとしたら、自業自得と思う反面、ここで私が正論に拘り過ぎるのも大人げないと言う思いが頭を過りました。

 

部長から査読の仕事を請け負ってから、まだそれほど日も経っておらず、私のところに上がってきた稟議書はわずか4通。しかし、直すべき箇所の多さに私は軽い眩暈を覚えました。

 

これまで、かの中堅社員が“出来の悪い”書類の手直しやって来てくれたため、課長以上は自分の仕事に集中出来たのでした。

 

他方、中堅社員が関与しなくなった途端に、書類の質が劣化したとなると、そもそも下書きを任されていた若手社員の作文が使えるレベルに無かったことになるので、課としての文章力の底上げは必達目標だと感じました。

 

私が部長だった頃にこのことに気がつかなかったのは、今にして思えば、部の中でチェック機能が働いていたからで、その責任は私にあったのです。

 

しかし、文章力の底上げなど短期間で出来るものでは無いのです。

 

私が入社したばかりの頃、稟議書や社内の承認文書は全て手書きでした。書類の改ざんを防ぐ意味もあったのでしょうが、手書きであることが稟議書の“格調”を維持することになると総務部は考えていたのかもしれません。

 

手書きの慣習は、各社員にパソコンが与えられるようになってからも続きました。

 

稟議書の下書きは若手社員の仕事でしたが、私にとってこの作業は悪夢以外の何物でもありませんでした。決裁済みの書類を引っ張り出してきては、文章を拝借して書き上げて行くのですが、それまで使ったことも無い言い回しに慣れるまでかなりの時間がかかりました。それでも、過去の書類を手本として、それらを日々書き写すこと - 先輩社員は“写経”と言っていました - を繰り返すことで、社用文の文体や体裁を会得することが出来たのです。

 

また、誤字脱字にも神経を使うようになりました。手書きの稟議書を修正する際には、間違いに二重線を引き、訂正印 - 今の若い人にとっては馴染みが無いかもしれません – を押印した上で、余白に追記することになりますが、書き損じは一通の稟議書で三か所まで。それ以上書き間違えれば書き直しとなります。

 

やっとの思いで書類を完成させても、上司からダメ出しされれば、書き直し。ようやく起案しても、合議先の部署や役員からダメ出しが出れば書き直し。同じ稟議書を何度書き直したことか。入社して一年も過ぎた頃には、私の指には“ペンだこ”が出来ていました。

 

総務部から、社内承認文書の作成にワープロを使用することが認められたのは、私が30代に差しかかってからでした。すでに私は下書きの役は卒業していましたが、若手社員にとって仕事が格段に効率化されたのは間違いありません。しかし、同時に、それ以降の若手社員の文章力は低下していったと思います。

 

“初歩の”下書き作業が、下記写しからコピペに代わったため、若手社員はいつまで経っても自分で“更地から”文章を書き上げる機会がほとんど無くなりました。方々からコピペして完成させた文章は、往々にして出来の悪いパッチワークとなり、文体の統一感が無く、文章の“揺らぎ”が解消されないままなので、見る人が見れば、一目で“手抜き”がばれてしまいます。

 

もっとも、今のワープロソフトは優れた文章校正機能が備わってるので、基本的な誤りは未然に防ぐことが出来るようにはなりましたが、それに頼っているだけでは社内で通用する書類には仕上がりません。やはり、最終的には書き手の力量が必要になるのです。

 

確認と角煮

先週、稟議書を下書きしてくれた若手社員とマンツーマンで文章の確認作業をしました。彼女と直接話をすうのは数か月ぶりでしたが、かなり落ち込んでいました。これまでは自分の下書きを先輩社員が手直しして課長に上げていたので、自分の下書きの“酷さ”を自覚することが無かったと言います。先輩社員が自身の仕事で忙殺されるようになってから、課長に直接書類を上げるようになったようですが、そこで何度も叱責される目に遭い自信を喪失しているようでした。

 

彼女を元気づけようと試みましたが、確かに私が見ても彼女の下書きはどこを誉めればいいのやらと言ったもので、作文力の底上げには少々時間がかかりそうな予感がしました。

 

「確認「が「角煮」に、「供給」が「共有」に、数字やアルファベットは全角と半角が入り混じっていて、“ツッコミどころ”が満載の稟議書が私のところに回ってきました。これは、もしや私の文書校正力を試しているのではと疑ったほどです。

 

ペンだこや写経の経験の無い彼女が、部長から“一発合格”の稟議書を書けるようになるには長い道のりが必要なようです。これまで彼女の仕事は“やりっ放し”でした。後は先輩社員が見てくれるだろうと言う甘えがありました。文章力の底上げ以前に、まずは自分の仕事を丹念に確認する基本を見直すところから始めなければなりません。

見ている世界と見える世界

自分しか見えない

三十代半ばで一度壊れかけた私は、必要以上に仕事に没頭しないようになりました。妻からは事あるごとに無理をしないように言われ、それは、幼かった娘が真似るほどに妻の口癖になってしまいました。

 

桜の花が散り始めた頃に職場復帰した私は、以前よりも周囲の目を気にするようになりました。自分は部署のお荷物、厄介者扱いされているのではないか。同僚が発した言葉の裏の意味を探ろうとしたり、陰で自分のことをどう噂しているのだろう気にしたりと、そんなことばかりを気にしてあまり仕事に集中出来ていませんでした。

 

会社までの通勤時間は気が重く、終業時間後は一秒でも早く家にたどり着きたい – そんな日々を送っていましたが、当時、娘たちも小さかったため、仕事を辞めていた妻が家を守ってくれていたことが私には幸いしました。

 

今にして思えば、その頃の私は、本当はまだ職場復帰するには早すぎたのかもしれません。心の状態が逆戻りすること無く快復に向かうことが出来たのは、自分の不安に耳を傾けてくれる妻が傍にいてくれたからでした。

 

私が周囲の目を気にし過ぎるようになっていたのは、自分のことだけしか考えられなかったからなのでしょう。私には、妻がどのような思いで自分に接していたかなど想像しようとすらしませんでした。そのことを妻に聞こうと思ったことは何度もありましたが、私にはその質問を口にする勇気が未だにありません。

 

心配性の妻。私が仕事を離れて休養に入った時、心療内科の先生の話に耳を傾けてメモを取っていたのは妻です。私はその横で他人事のように先生と妻の様子を見ていただけでした。

 

日中は人目を憚って外出を躊躇っていた私に、夜の散歩を提案してくれたのも妻でした。それまで、夜空に浮かぶ月を見るゆとりさえ失っていた私を元気づけてくれたのも妻でした。

 

私の休養期間が長引くことや、最悪、仕事に戻れなくなる可能性さえあったわけですから、私を励まし続けていても、きっと妻は内心不安で堪らなかったことでしょう。

 

今、私はあの頃の自分を客観的に思い返すことが出来るようになりましたが、妻には当時の心細さやつらさを思い出してもらいたくはありません。いつか妻がそのことを笑い話として口に出すまで、私からはその話題に触れることはありません。

 

心に波を立てず

自分の見ている世界は、その時の心の状態を表す鏡です。どんなにきれいな月が目に映っていても、それを愛でることが出来なければ、見ている世界は味気ないものでしょう。

 

同様に、食事にしても、音楽にしても、肌の温もりにしても、その良さを知るためには、そのための心の状態が必要です。

 

歳柄からか、私はここ数年一喜一憂することが無くなりました。心が鈍感になったわけでは無く、無駄に落ち込まず無駄にはしゃぎ過ぎず、淡々と落ち着きを保っていられるように心がけています。

 

もちろん、何か思いがけない良いことがあれば、ウキウキした気分を味わうこともありますが、そのような多幸感は一時なものです。反対に酷く落ち込むような目に遭ってもそれを引き摺るのはよろしくありません。

 

穏やかな水面のような心を持ち続けることが一番リラックス出来ると言うのが、遅まきながら私がたどり着いた結論です。

 

見える世界

私が初めて部長職となった時、私の前任者は、「見える世界が変わる」と自信満々に言いました。残念ながら、私にはその素養が無かったのでしょう。見える世界が変わることはありませんでした。

 

前任者は多分、役職と自分の価値を混同していたのだと思います。その人は数年後に関連会社に出向したまま定年を迎えましたが、会社人生の晩年は自分を不甲斐ない人間だと愚痴をこぼすようになっていました。

 

前任者が自虐的になる必要などどこにもありませんでした。かつて「見える世界が変わる」 – おそらく私を励ますつもりで投げかけた言葉だったのでしょうが – と言っていた人間が、見える世界を自分で悪い方に変えてしまったのです。

 

目に映る世界など、社内での地位や権限で変わるものではありませんし、変えてしまってはいけないのだと思います。

 

自分の見ている世界は、心の持ち様でバラ色にも灰色にもなるのでしょうが、私はどちらも望みません。今目に映る世界をありのまま楽しめる自分であり続けたいと願うだけです。