和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

自分時間

以前の記事で、働くことは自分の時間を切り売りしていることだと書きました。切り売りした時間の単価が上がっても、やりがいや張り合いが伴わない仕事は喜びではなく虚しさしか残しません。

lambamirstan.hatenablog.com

 

自分のために使える「自分時間」が増えたことで、私の時間に対する考え方は大きく変わりました。かつては往復の通勤の間に急かされるように本を読んでいたものですが、今は読書のためだけに時間を割いています。ページを捲るスピードは遅くなり、本の内容を理解するよりも文章や行間を楽しみたいと思うようになりました。

それは食事も同じで、数年前までは、仕事のある日は夜遅く帰宅した後、食卓で独り夕食をかき込むことがほとんどで、食事は空腹を満たすためだけの作業でしかありませんでしたが、今は家族と時間をかけて夕食を楽しめるようになりました。家族団欒とは陳腐な表現ですが、これが私の望んでいたもののような気がしています。

時間はお金と違って貯めておくことができないものです。退職したらいくらでも時間はある ― 過去の私はそう考えていました。そして、たくさんの“今しかできないこと”をやり逃してきました。それは、家族のイベントや娘たちの学校行事だけでなく、極々平凡な、家族と一緒に過ごす時間も含まれます。

以前感じていた得体の知れない焦燥感やイライラは仕事のストレスもありましたが、時間を自分の思いどおりに使えないもどかしさも原因のひとつだったのだと思います。もっとも、当時の私はそれに気づいていませんでした。何とか仕事をうまく回そう、今の山場を越えれば気分も落ち着くだろう、そんなことしか考えていませんでした。

まだ私はリタイアしていないので、一日二十四時間の全てが「自分時間」というわけではありません。しかし、「自分時間」を増やすことと気持ちの安定や充実感が高まることが相関していることを身をもって知りました。