和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

努力と無理 (1)

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モラトリアム

私は自分を、物事をあまり深く考えずに大人になった人間なのだと思っています。

 

物心がついた頃から、父親には会社を継ぐことを刷り込まれ続けましたが、子どもが考える将来はもっと夢のあるものでした。小学校の作文でお約束のテーマ、「将来の夢」。私の夢は、ある時は探検家、ある時は探偵と、テレビのドラマなどに触発されてコロコロ変わりました。

 

中学、高校と進むにつれ、小学校の作文で書いた将来の夢と現実は違うものだと気づくも、では、現実の世界で、自分はどのような職業に就きたいのかとの問に対する答えは持ち合わせていませんでした。

 

私は一浪して大学に進みました。わざわざ浪人してでも大学に行きたかったのは、外向きには、もう少し勉強をしてから社会に出たいためとの理由でしたが、本音はモラトリアムが欲しかったからでした。将来就きたい仕事の方向性すら決められないまま、私は時間稼ぎの4年間を選びました。

 

大学時代は、金銭的な余裕も自由な時間もありませんでした。そのためでしょうか、わずかな時間のほとんどを読書に割きました。私の場合、体系的に関連書籍を読み進めるわけでは無く、図書館で目についた面白そうな本を片っ端から借りる“乱読家”でした。知識や物語の海に身を預けるひと時が、数少ない楽しみでした。

 

就職活動を始めるまでの大学生活は、“どうやって生きて行くのか”と言う現実問題から逃避するために残された最後の時間でした。お金と時間は無くても、何かに追い立てられるような息苦しさを覚えたり、誰かへの気兼ねを感じたりすることもありません。そのような気軽さは、浮遊感にも似た心地良さを私に与えてくれました。

 

しかし、先延ばしにしていた現実問題から逃げ通すことは出来ませんでした。

 

自分の言葉に縛られる

周囲が慌ただしく就職活動を始めるのを見て、私も重い腰を上げました。無理やり予定表の空白を埋めるように企業説明会への参加や会社訪問、OB訪問を行ないましたが、興味は湧いても、“ここの会社で働きたい”と言う決定打に欠けたまま時間が過ぎて行きました。

 

結局、様々な業種の企業を訪問する中で、自分のやりたい仕事とその理由を“後付け”で考えました。後付けの理由とは言え、何度も面接で口にしていると、それがあたかもずっと前から心に抱いていたものだと錯覚し、やがて確信するようになります。自己暗示 – 今考えると、俄か仕立ての出まかせが自分の信念に成りすましていました。そして、私はそれに気づかない振りをしていたのです。

 

幸いにして、数社から内定をもらい、最終的に今の勤め先に就職することを決めました。自分が好きで選んだ仕事なのだと、どこかで無理に言い聞かせようとしている自分がいました。就職先が決まったのですから、嬉しく無いはずは無いのですが、心は空回りしていました。

 

暗示が解かれた後

今振り返ると、会社を辞めるタイミングは何度かあったのですが、その度に私は「自分で選んだ仕事」と言う言葉によって自縄自縛になっていました。会社を辞めることは自己否定になると思い込んでいたのです。自分で選んだ道を途中で投げ出すわけには行かない。乗り越えられない試練は無いはず。まだまだ努力が足りない。自分に対する叱咤激励は、壁を打ち破る力とはならず、反対に自身を追い詰めるだけでした。

 

仕事のモチベーションに疑問を感じたのは、30代半ばに逃げ場を失って心が壊れかけた時です。もし、あの頃に一時的に仕事を離れることが無かったなら、そのような根源的な疑問から目を背け続けていたことでしょう。

 

“病み上がり”のレッテルは、私にとっては都合の良いものでした。期待されないこと、当てにされないことは、私に解放感を与えてくれました。同僚の働きぶりや仕事そのものを少し離れたところから見るようになり、これまでの自分自身の働き方や仕事への取り組みに帯びていた“熱”が引いて行くのが分かりました。

 

それと同時に、家族との時間や自分が本当に没頭したいものに費やす時間を確保することを考えるようになりました。

 

熱が引いた後に残ったのは、「仕事は生きるための手段」と言うことだけでした。自己暗示が解けて、自分が自分に対して言い続けてきた誤魔化しを取り除くと、身も蓋も無い自分の本心が曝け出されました。

 

「仕事はお金を稼ぐため」は、ある種の割り切りですが、それは、仕事の手を抜くことではありません。むしろ、会社に対して、貰っている給料以上の貢献はしなければならないと言う気持ちが一層強くなりました。一方で、自分の身を削るような無理はしないことも意識するようになりました。

 

社内には、私のように、仕事を「生きるための手段」と割り切った者がいる一方、寝ている時間以外は仕事のことばかり考えているタイプの社員も依然として存在します。さすがに昭和から平成の始めの頃のように、部下に徹夜で仕事をさせるような上司はいませんが、時間外や休日の間もメールのチェックをすることを暗黙の了解とする部署は無くなりません。

 

労働環境は改善されているはずなのですが、メンタルの不調を訴える社員は減るわけでも無く、自己都合退職者は増える一方です。(続く)

人並みの生活

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当ては外れるもの

私が大学生の頃にはバブルの終わりが近づいていましたが、それでも、アルバイト先の上司や先輩の羽振りの良さを目の当たりにした私は、就職するとこんなに良い生活を送れるのかと、大きな期待を抱いていました。

 

ちょうどその時分、父親の事業は傾き始めていました。私は、贅沢な生活では無くても、浮き沈みの無い安定した暮らしを送れれば良いと考えていました。就職先は給料の多寡では無く、安定した企業か否かを基準に決めました。

 

就職して、先輩や上司との会話で窺える暮らしぶりから、この会社に勤めていればこの程度の生活が出来るのだと思うようになりました。結婚して子供を2~3人持ち、郊外に家を構えて、退職までローンを払い続ける - 私の頭に刷り込まれた“人並みの生活”でした。

 

最初の上司は、長距離通勤と退職金でようやく完済出来る住宅ローンが飲み会の自虐ネタでした。しかし、その表情には悲壮なものは無く、むしろ終身雇用制度に対する安心感が滲み出ていました。生活にはお金がかかるけれども、会社に勤めている限り毎年給料は上がるしボーナスも出る。上司が抱いている安心感に、私は何の疑いも感じませんでした。

 

それからほどなくして、バブル崩壊の本当の影響が出始めました。景気の悪化は私の勤め先においても他人事ではありませんでした。元来、景気動向に左右されにくい業種でしたが、“先行きが不透明”と言う訳の分からない理由で定期昇給が凍結されました。

 

私が入社した頃に期待していた給料の上昇カーブは見事に外れました。入社以来30年、ボーナスはほぼ毎年減額支給が続いています。もっとも、ボーナスがもらえるだけでも御の字ではありますが、これは、妻と結婚当初に作ったキャッシュフロー表の“悲観ケース”の想定にかなり寄った数字になっています。

 

バブル時代の期待は当てにならない。給与は今まで通りには上がらない。結果として、あの頃の妻の“読み”は当たりました。宝くじが当たることを期待して資金計画を立てる人はいないでしょうが、給料も然りで、上がり続けることを期待して将来設計を立てるのは楽観過ぎると思います。

 

不安を安心に

キャッシュフロー表については以前も記事にしました。妻と私の生涯収入の使い道と優先順位を決めておくことで、衝動的な浪費を抑えることが目的でした。

lambamirstan.hatenablog.com

 

lambamirstan.hatenablog.com

 

収入に限りがあると言うことは、買えるものにも限りがあると言うことです。不要なことにお金を使ってしまうと、本当に必要なものに回せるお金が無くなってしまうこともあります。逆に、将来の不安に囚われ過ぎて脇目も振らず吝嗇家への道進んでしまえば、暮らしに潤いが無くなってしまいます。

 

財布の紐は緩め過ぎても締め過ぎてもいけません。自分たちにとって本当に必要なものは何か、解消すべき不安は何か。それぞれにどれだけのお金を配分できるのか。得られるお金を何にどれだけ費やせるかを考えておくことが大事だと思います。

 

全ての不安がお金で解決できるわけではありませんが、“お金で解決できる不安”だと分かっているものは、その準備をしておくことで、不安が安心に変わります。

 

私たちにとっての不安は、突然の失業と老後生活でした。

 

バブル崩壊後、絶対に潰れないと信じられていた金融機関の中から倒産する銀行が出始めました。リストラを推し進める会社も増えてきました。バラ色の(?)新婚生活を取り巻く環境は灰色で、妻も私も将来に漠然とした不安を覚えていました。

 

そんな中で作成したキャッシュフロー表では、住宅購入資金や子どもの教育資金の“つもり貯金”と並行して失業と老後のための資金も蓄えることを考えました。もちろん、20代の薄給の身。思いどおりに貯蓄は出来ませんでしたが、若い時から始めることによる“チリツモ効果”は案外馬鹿に出来ません。むしろ、貯蓄の開始時期が早ければそれだけ家計を逼迫させずに、緩く長く積立を続けることにより、時間を見方につけることが出来ます。

 

人並みの生活

入社当初に望んでいた人並みの生活は、単に、無いものねだりに過ぎませんでした。上司や先輩の生活ぶりから、自分もいつかは、そうなりたいと思っていただけで、それが自分の本当に欲しいものなのかまで熟考したものではありませんでした。

 

妻と話をする中で、希望する生き方を描けるようになりましたが、それは、誰かの後追いや真似では無く、自分たちにとって必要か否かを判断基準としたものです。

 

そうするのが“普通”とか“当たり前”と思い込んでいるものの中には、自分にとっては必要無いものが潜んでいることがあります。自分にとって必要なもの、本当に欲しいものが分かれば、お金の使い方にメリハリをつけることが出来ます。私はそれが生きたお金の使い方だと思っています。

考えない人々

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評論家集団

毎年、翌年の事業計画策定に先立って役員の勉強会が行なわれます。2日間に亘り、副社長以下の役員が会議室に終日缶詰になり、事務局が提示した“宿題”に対して、各役員が用意したプレゼン資料を発表して、それをたたき台に議論を行なうそうです。

 

 “そうです”と言うのは、勉強会は管理部門主導で行われるため、事業部門の人間は誰も出席しておらず、役員や事務局からのまた聞きで、どのような勉強をしているかを知ることになるからです。

 

勉強会は今年で4年目となります。役員の勉強会ですから、“宿題”に対する答えや当日発表する資料は役員自らが考えるのが当然です。普段、仕事を下の人間に丸投げしていても、自分たちの勉強会なのですから、それまで丸投げしてはいけません。

 

ところが、私の元上司だった担当役員は、その資料作りも部下の仕事と勘違いしていました。最初の年、私は役員の指示を断り、自身で考えるよう諫言したのですが、当の役員は隣の部の部長に指示を出して資料を作らせました。2年目以降は、その部長を間に挟んで私に資料作りを指示し、それを私が断ることを繰り返してきました。

 

今年、私はお役御免となったので、そんな煩わしいやり取りをしてきたことすら忘れていたのですが、私の後任の部長から資料作りの相談を受けました。私がこれまでの経緯を話し、受ける必要の無い仕事であることを説明したのですが、隣りの部の部長から、「今まで自分が全て被ってきたのだから」と、今年の勉強会の資料作りを押しつけられたようでした。

 

そんな話を聞くにつけ、役員勉強会のための準備としては、何ともレベルの低いやり取りをしていることに、暗澹たる気持ちになってしまいました。

 

思えば、数年前まで、役員が構成メンバーである役員会でも、審議案件の資料作りから説明まで全て担当部署の部長が行なうことが慣例となっていました。細かな質問への対応のために“陪席”しているだけの部長が、説明から質疑応答までを行なうのはおかしいと、複数の部署からの声もあり、大分時間が経ってからようやく「役員会の説明者は案件を担当する役員とする」との一文が運営規則に加えられました。

 

事務局で働いている若い社員は、会議中の役員の姿を良く見ています。自分の仕事は下に丸投げ。会議では他の部署から上がってくる案件を批評するだけで対案を出すこともしない。恐らく、勉強会でも同じようなことが行なわれているのでしょう。建設的な意見は出さない一方で、他人のアイデアは批判する – そんな評論家が何人集まっても会社を動かすことは出来ません。それを恥ずべきことと感じないでいるようであれば、意欲のある若い世代からそっぽを向かれるのも時間の問題です。

 

出世の秘訣

私が役員秘書の仕事をしていた頃は、役員とは毎日顔を合わせているにも拘わらず、執務室に入る時は自ずと背筋が伸びてしまう緊張感がありました。

 

私が歳を取って、その年代に近づいたためなのかもしれませんが、今の役員の顔ぶれを見ても、そのような緊張感を覚える威厳がありません。

 

後付けの理由になってしまいますが、当時、会社は新規事業を立て続けに失敗している時期でした。事業環境を全ての言い訳にしてはなりませんが、運にも見放された状況と言えないこともありませんでした。

 

以来、会社は“失敗しない”事業戦略へと静かに舵を切りました。新規事業の投資基準は引き上げられ、余程の低リスクでなければ審査を通ることが出来なくなりました。しかし、リスクが低いと言うことは、成功リターンも低く、会社の業績回復への貢献度と言う点では頼りになりません。

 

結局は、会社の興隆期に先人が残してくれた“遺産”を一寸刻みに食い潰しているのが現状です。余計なことはしない、余計な判断はしない。それが昇進の秘訣になってしまったのでしょう。自らは何もせず、誰かが自滅するのを見て来た者が登り詰めた結果が、今の経営陣の顔ぶれです。

 

考えない人々

役員勉強会の資料作りを頼まれ、頭を抱えている私の後任の部長。私は手助けするつもりはありませんでしたが、“参考までに”過去のプレゼン資料を見せてもらいました。どれも、役員同士で議論するようなものでは無く、部長間での意見交換で使われるような議論の頭出しが羅列されていました。

 

この資料が役員勉強会でのディスカッションにはそぐわないことを誰も指摘しなかったのか、私は疑問に思いました。いずれにしても、部長レベルで片付く議論を役員同士で時間をかけるほど馬鹿げたことはありません。

 

私は部長に、役員勉強会でどのような議論を期待しているのかを事務局に確認するように言いました。勉強会の音頭を取っている事務局がアイデアを持っていないはずはありません。

 

私は改めて、役員勉強会の資料を下の人間が作ることに疑問を呈しました。部長は部門の中で一番若い部長です。それが担当役員にも隣の部の部長にも逆らえない理由なのか。私がそのことを尋ねると、彼は、「仕事を片付けた方が嫌な思いをせずに済む」と一言。

 

恐らく担当役員も、自分で考え抜いて知恵を絞るより、ノーと言えない部下に仕事をやらせた方が楽だとしか考えていないのでしょう。

 

自分の使命を考えないで、その場しのぎに仕事を丸投げしたり、引き受けたりすることで、社内に「考えない人」が増えて行きます。