和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

感情の源泉 (1)

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冷静な振り

自分の周囲を眺めてみると、感情表現豊かで分かりやすい人もいれば、何を考えているのか全く理解できない人もいます。突然怒り出し、何が原因なのか見当もつかない厄介な人もいます。

 

自分の外に向かって当たり散らしたり、周囲の人々を振り回したりすることによって、自らの心の均衡を保とうとする人を見ると、「自分はあんな風にはなりたくない」と思います。しかし、自分の内面を見つめ直すと、自分も紙一重なのかもしれないと不安に感じることがあります。表には出さなくても、自分にも負の感情を押さえつけた経験が何度もあります。堪え切れずに感情を爆発させてしまったとしたら、私も“感情的な人間”だと思われたことでしょう。

 

歳を取ると角が取れて性格が丸くなる、などと言われることがありますが、これについては私は否定的です。短気やせっかちを全て加齢のせいにできないのと同様に、穏やかな性格は加齢によるものでは無く、人付き合いの中から獲得した処世術にも似たものではないかと思うのです。

 

久しぶりに会った人に、「丸くなったね」と言われると、私はそれを誉め言葉と受け止めつつも、内心、何も変わっていないことを相手に伝えたい衝動に駆られることがあります。努力して性格を丸くしているつもりはありません。これまでの経験から、感情を高ぶらせそれを鎮めることが、かなりの体力を使うこと、自分にとって何の得にもならないことを学んだに過ぎず、その結果として、無駄なことをしなくなっただけなのです。心の底に渦巻く感情そのものが消え去ったわけでは無く、怒りや悲しみ、憎悪や嫉妬などが表に現れないように騙し騙しコントロールしているだけなのですが、それを外から見ると冷静的と映るのでしょう。

 

得体の知れないもの

多くの人々は、家での躾や学校生活を通じて、感情 - 特にネガティブな感情 - を曝け出すことは良くないことだと教えられてきたのではないでしょうか。すぐに怒らない。いつまでもくよくよしない。抱いている感情を抑えることが、慎み深い大人のやることだ。私はそう勝手に理解していました。いや、大人になれば、自然と感情を抑えることが出来るものと思い込んでいたのです。

 

しかし、思春期以降、10代の間、私を常に悩ませていたことは、体の成長に心の成長が追いつかないことでした。中学生になり父親の背を抜いて、外見はすっかり大人になっても、感情を全くコントロールできない自分がいました。嫌なことがあれば親に当たり、思いどおりにならないことがあれば身悶えするほどに悔しがるなど、溢れ出す感情を宥める術を知りませんでした。

 

当時の私としては、感情を抑えられない自分に気づいていたものの、このような感情をぶつける先が、身内だけでなく周囲の人々にまで及んでしまうのではないか、こんな風に感情を爆発させていたら、やがて誰からも相手にされなくなるのではないかと、どこから湧いてくるのか分からない、得体の知れないものに対する恐怖を感じながら過ごしていました。

 

感情の逃げ場

迸る感情は、なすがままに放出するのか、さもなければ、暴れ馬を宥めるように何等かの工夫が必要になります。感情を溜め込むだけでガス抜きを怠れば、いずれ大爆発と言うことになります。

 

私は、高校から大学にかけて、アルバイトで様々な大人の人々と接し、感情を表に出してはいけないシチュエーションで、うまく自分を抑えることを少しずつ学ぶことが出来ました。実社会で生きて行くには、自分の感情をコントロールすることが必要であることを理解できるようになったのです。

 

しかし、学生時代に感じていたストレスはまだ可愛いもので、仕事に就いてからのストレスは、それとは比べ物になりませんでした。担当する仕事そのものの重圧。社内の人間関係から来るストレス。仕事とプライベートのバランスが取れない苛立ち。体の中に鬱積した負の感情を抱いたままの生活が続きました。しかし、会社に飼い馴らされると、いつしかこのようなストレスから目を背けるようになってしまいがちです。逆に、真剣に悩んで体に変調をきたすと、“耐性が無い”と切り捨てられかねません。

 

私は若かりし頃、円形脱毛症でしばらく休養したしました。上の世代からは、「精神的に弱い奴」と思われたことでしょう。当時は、職場で弱音を吐くことは、すなわち、職場に不適合とほぼ同義でした。少しくらい気分が沈んでいても、体に変調をきたしていても、それを軽々に同僚や上司には言いづらい雰囲気だったのです。

 

翻って、現在では多くの企業で社員のメンタルケアを重視する傾向にあります。残業が増えないよう就業時間の管理にも一層配慮するようになりました。有給休暇の消化や産前産後・育児のための休業制度も充実してきました。このような状況の中、粉骨砕身して仕事に打ち込むことなど、もはや時代遅れなのですが、逆にそれが社員に対して間接的なプレッシャーとなっている可能性がありそうです。

 

つまり、表向きの労働環境は格段に改善されているものの、実態は、土日や休暇中でも社用のメールが飛び込んでくる、年功制から成果主義に変わったのは良いが、成果を上げるためには休みを削らざるを得ない、さらに中間管理職ともなれば、「部下の残業を減らせ」、「成果を上げろ」と言った上からの掛け声に応えようとすると、本来部下のやるべき仕事を自分が被らざるを得ない - そんな状況なのです。

 

何でもかんでも昔と比べるのは意味のないことだとは承知していますが、かつて、携帯電話もメールも普及していなかった時代は、土日や休暇は完全に仕事から切り離された“オフ”の時間でした。夏休みや年末年年始の休みを取る時は、滞在先の電話番号だけを上司や同僚に伝え、あとは休みを満喫することが出来ました。今のように、休暇先まで仕事が追いかけてくることなどありませんでした。

 

そう考えると、ひと昔前と比べて労働環境が改善されたとは言えない気がします。私はむしろ改悪されたような気すらしています。吐き出したい感情は膨らみ続ける一方で無理やり抑え込まれ、気が休まる時間が無い中で、逃げ場を失っています。(続く)

素敵な退職

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役職と体面

2年前、私の部署で定年退職し、嘱託として再雇用されたNさんと言う人がいました。入社年次では、私の先輩であり、私も若い時にお世話になったこともありました。Nさんは、退職前までは部長補佐として部を盛り立ててくれたのですが、現役時代の貢献度がどんなに高くても、嘱託となれば担当してもらう仕事を変えざるを得ません。退職し、改めて雇用され、一部員として自分よりも若い上司の元で働いてもらうことになるのです。

 

今でも変わりませんが、再雇用嘱託社員のモチベーションをどのように保つかは、管理職の悩みの種でした。これまで責任のある役職に就いていた社員が、若手社員と並んで仕事をすることを受け入れられるかどうか。若手社員の教育係として活用する道はあるのか。特定の課に属せず、部長直下で特命の仕事を任せるのはどうか。いろいろな案が出る中、結局は本人のやる気次第と言う結論となり、会社として嘱託社員の待遇を真剣に考えるには至っていません。

 

退職前にNさんが私のところに相談に来ました。嘱託になっても名刺の肩書は部長補佐のままにしてほしいとの要望でした。そのような、肩書の詐称を認めることなど出来るはずは無いのですが、訳を聞くと、数か月後にお嬢さんの結婚式を控えているとのこと。私は、婚約者の身内に対して体面を保ちたいと言うのが理由だと理解しました。

 

私はその場で、“嘘の”肩書を対外的に使用することは出来ないこと、嘱託社員に管理職を任せることにはなっていないことを説明し - 説明するまでもないことですが – その要望を断りました。そしてNさんは、半年も経たないうちに、私の仕事の進め方に馴染めないとの理由で、人事部との調整を経て別の部署に異動していきました。

 

今になって、私はNさんともう少し腹を割って話をするべきだったと後悔する自分を認めているのです。最初に言われた言葉 – 名刺の肩書は今のままにしておいてもらえないか – が胸に引っかかり、その要望をバッサリと退けました。

 

あの時、私はその言葉の意味を、「任される仕事は何でも構わないが、役職だけは今のままにしておいてほしい」と意訳したのです。Nさんが、自分の娘のために体面に拘っていると勝手に解釈したのです。

 

そして、私の心の中にNさんを侮蔑する気持ちが湧き上がりました。娘の結婚相手に対して、父親としての自分を知ってもらうのに会社の肩書は関係ないだろう。自分を表すものが肩書しかない、あなたはそんな薄っぺらな人間なのか。

 

そんなことは無いはずなのです。私自身、Nさんを頼りにしていました。部下からの人望もあり、社外との調整も信頼して任せられた逸材なのですから、人間的な魅力に溢れる人物なのです。決して肩書人間ではありませんでした。しかし、私はNさんの本音を聞き出す努力を怠りました。もし、あの時もう少しじっくり話を聞くことができたなら、部の中でNさんにしかできない仕事を一緒に考えることが出来ていたなら、結果は違っていたかもしれません。

 

責任のある仕事を続けることへの拘りと、体面を保つための役職への拘り。同じ拘りでも、仕事そのものに情熱を注いできた人には、例え責任ある役職を与えられなくなっても、別のやりがいある仕事を任せられると考えます。Nさんともそのような話ができたはずでしたが、私の配慮の無さがせっかくの機会を逃してしまう結果になってしまいました。

 

晩節を汚さないために

仕事をしていて喜びを感じる瞬間は、人それぞれだと思います。昇進昇格。大仕事を成し遂げたこと。何かの目標を達成した時の喜びは一入でしょうが、それは、束の間水面に浮かんだ泡のようにすぐに消えてしまいます。

 

むしろ私にとっての仕事の喜びは、かつての自分の部下や同僚が異動で別々の道を歩んでいても、それぞれに活躍している姿を見ることです。ほんのひと時で一緒に仕事をした仲間が、その後もうまくやっている様子を知ることは、自分のことのように嬉しく感じます。

 

後輩や部下の中には、しばらく会わないうちに素晴らしい才能を開花させる者も出てきます。若さと情熱とビジネスセンス。入社間もない頃、手取り足取りで仕事を教えた若手社員が、中堅になり、ベテランになり、いつの間にか私を追い抜いていく。「あいつには敵わない」と素直に認めることは、感服と言う一言では片づけられない、一抹の寂しさと胸の奥の小さな嫉妬が綯い交ぜになった複雑な気持ちを抱かせるものです。

 

私も最近、これまで自分が築いてきた城を明け渡すような気分を味わいました。妻の看病のために仕事をセーブすることを考えていた矢先だったことから、少し気弱になっていたのかもしれませんが、なりふり構わずに自分の地位や役職に固執するよりは、さっぱりと自分の椅子から降りる方が私の性分に合っているのかもしれません。

 

「晩節」と言う言葉が頭に浮かびました。私は、もうそんなことを考える年齢になってしまったのです。会社人生も終盤を迎えると、自分らしい終わり方を考えるようになります。現役、退職、そして老後。ステージに与えられた名前は異なりますが、それぞれは継ぎ目のない一つながりの流れです。先のことを考えずに次のステージに行きついてしまうと、路頭に迷うことになります。逆に次のステージでの生き方を見つけることができたなら、定年を待たずして自らの意思で退職することが最良の選択となり得るのではないかと思うのです。

本当の「できない病」とは?

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できないものはできない

以前の記事で、「できない病」について触れたことがあります。「人がいない」、「予算が無い」などを言い訳にせず、仕事を進める知恵を出すのが社員の務め – そんな社内ポスターの話でした。

lambamirstan.hatenablog.com

 

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しかし、冷静に考えてみれば、就職氷河期で採用を絞り、長引く景気低迷の中、コスト削減や合理化を進めてきた会社であれば、すでに「やるべきことはやった」というレベルに達しているのではないでしょうか。この上乾いた雑巾をいくら絞っても何も出てきません。できないものはできないのです。

 

コロナ禍の影響により、程度の差こそあれ、どの業界でも先行きの不透明感が一層高まってきていることは否めません。しかし、コロナ禍以前に、会社の経営者であれば、先を見越して会社の“贅肉”を落として筋肉質の組織に体質改善していくことはとっくに考えて、実行に移しているです。

 

社員目線で物事を考えられる会社や、働き方の多様化に対応しようとする会社は、コロナ禍による在宅勤務の必要性を奇貨として、リモートワークを積極的に進め、社内のフリーアドレス化などによって事務所スペースの削減に努めているようです。

 

私も過去の記事で度々触れましたが、コロナ騒動によって半ば“強制的に”在宅勤務を行なったことにより、多くの会社員は、毎日時間をかけて通勤することに疑問を感じているのではないかと思います。もちろん、中には家にいるよりも会社にいた方が仕事が捗ると言う人もいるでしょう。しかし、「仕事は会社でするもの」と言う、これまで当たり前だったことが実は違っていた、在宅勤務でも十分に仕事に対応できることが証明されたわけで、今まで長時間満員電車に揺られていた生活は何だったのかと、疑問に感じても不思議ではありません。

 

私の勤め先では、在宅勤務は時限措置です。新型コロナ感染が収束すれば、在宅勤務も終わりなりますが、依然として新規感染の勢いは収まらず、在宅勤務は続いています。とは言え、私も含め会社に出ないとできない仕事をこなすために出社を余儀なくされている社員もいます。

 

稟議書の捺印、役員への案件説明。入出金の伝票はとっくの昔に“電子承認”が導入されましたが、証憑の現物を残しておくために、わざわざ電子承認した伝票を印刷して捺印しなければならないと言う、悪い冗談のような仕組みが残っています。

 

在宅勤務が主流になりつつある中、出社を強いられる業務が減らないことこそ、管理部門には知恵を絞ってもらいたいのですが、どうやら彼らは「できない病」にかかっているようです。

 

本当の「できない病」とは

人も予算も無い中で、知恵を絞って何とかしろと号令をかけるのが経営陣のすることでしょうか。正にその知恵を絞ることこそが、あの人たちに求められる商才なのではないかと思うのです。ボトムアップで様々なアイデアを募るのも良いでしょう。しかし、「知恵を絞るのがお前たちの仕事だ」と下の人間に厄介なことを丸投げする経営陣は、自らの無能を高らかに宣言しているようなものです。

 

たまに、役員の中に、「それを自分が言ってしまっては、誰も育たないじゃないか」などと詭弁を弄する者がいます。あるいは、「誰々に相談してみろ」と言う者もいます。そのような役員に限って自分では何一つアイデアを出さずに、人の提案を評論する立場に逃げ込むことしか考えていません。

 

現場で働く人間だからこそ出せる知恵があり、会社経営に携わる役員だからこそ出せる知恵があるはずです。違った目線を持った人間が知恵を出し合うことが重要なのであって、自分の置かれている立場での考えを持つことが出来ないのであれば、現状を打破することに全く貢献していないのに等しいと言わざるを得ません。

 

さて、在宅勤務の話に戻すと、出社しなければならない業務を極力削減し、究極的には完全在宅勤務を達成すべきと言う声が社内でも高まってきています。実務者レベルの会議や打ち合わせは、社内外問わず、ほぼビデオ会議システムで行うようになったので、会社の会議室や応接室は最早必要無くなりました。決裁のための書類もペーパーレス化することは難しくないはずです。

 

それにも拘わらず、役員会議は依然として会議室で行われ、決裁書類も“紙”で持ち回りされます。完全在宅勤務が可能なはずなのに、それを阻んでいるのは、パソコン操作に疎い役員がいるためです。人や予算が無いからできないと言うのではなく、単に“腰が重い”だけなのです。

 

今回、時限措置とは言え、在宅勤務制度が始まったのは、新型コロナ感染の予防が第一の理由です。3密を避ける。通勤を避ける。不要不急の外出を極力控える。そのための在宅勤務実施でした。実務レベルではうまく対応できており、残されたのは上層部のやる気だけです。

 

この期に及んで、会議室に集まり、書類に捺印することに拘る理由は何も無いはずですが、それでも一歩踏み出さない – あるいは、踏み出せない – のは何故なのか。

 

役員が出社すれば、世話をする社員も出社せざるを得ない。感染リスクを低減させるには、役員以下社員まで含めて、在宅勤務で仕事ができるように工夫するのが最善のはず。それでも出社し続けるのは何故なのか。

 

習慣化した仕事のやり方を変えたくない - これこそ本当の「できない病」なのです。