和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

素敵な退職

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

役職と体面

2年前、私の部署で定年退職し、嘱託として再雇用されたNさんと言う人がいました。入社年次では、私の先輩であり、私も若い時にお世話になったこともありました。Nさんは、退職前までは部長補佐として部を盛り立ててくれたのですが、現役時代の貢献度がどんなに高くても、嘱託となれば担当してもらう仕事を変えざるを得ません。退職し、改めて雇用され、一部員として自分よりも若い上司の元で働いてもらうことになるのです。

 

今でも変わりませんが、再雇用嘱託社員のモチベーションをどのように保つかは、管理職の悩みの種でした。これまで責任のある役職に就いていた社員が、若手社員と並んで仕事をすることを受け入れられるかどうか。若手社員の教育係として活用する道はあるのか。特定の課に属せず、部長直下で特命の仕事を任せるのはどうか。いろいろな案が出る中、結局は本人のやる気次第と言う結論となり、会社として嘱託社員の待遇を真剣に考えるには至っていません。

 

退職前にNさんが私のところに相談に来ました。嘱託になっても名刺の肩書は部長補佐のままにしてほしいとの要望でした。そのような、肩書の詐称を認めることなど出来るはずは無いのですが、訳を聞くと、数か月後にお嬢さんの結婚式を控えているとのこと。私は、婚約者の身内に対して体面を保ちたいと言うのが理由だと理解しました。

 

私はその場で、“嘘の”肩書を対外的に使用することは出来ないこと、嘱託社員に管理職を任せることにはなっていないことを説明し - 説明するまでもないことですが – その要望を断りました。そしてNさんは、半年も経たないうちに、私の仕事の進め方に馴染めないとの理由で、人事部との調整を経て別の部署に異動していきました。

 

今になって、私はNさんともう少し腹を割って話をするべきだったと後悔する自分を認めているのです。最初に言われた言葉 – 名刺の肩書は今のままにしておいてもらえないか – が胸に引っかかり、その要望をバッサリと退けました。

 

あの時、私はその言葉の意味を、「任される仕事は何でも構わないが、役職だけは今のままにしておいてほしい」と意訳したのです。Nさんが、自分の娘のために体面に拘っていると勝手に解釈したのです。

 

そして、私の心の中にNさんを侮蔑する気持ちが湧き上がりました。娘の結婚相手に対して、父親としての自分を知ってもらうのに会社の肩書は関係ないだろう。自分を表すものが肩書しかない、あなたはそんな薄っぺらな人間なのか。

 

そんなことは無いはずなのです。私自身、Nさんを頼りにしていました。部下からの人望もあり、社外との調整も信頼して任せられた逸材なのですから、人間的な魅力に溢れる人物なのです。決して肩書人間ではありませんでした。しかし、私はNさんの本音を聞き出す努力を怠りました。もし、あの時もう少しじっくり話を聞くことができたなら、部の中でNさんにしかできない仕事を一緒に考えることが出来ていたなら、結果は違っていたかもしれません。

 

責任のある仕事を続けることへの拘りと、体面を保つための役職への拘り。同じ拘りでも、仕事そのものに情熱を注いできた人には、例え責任ある役職を与えられなくなっても、別のやりがいある仕事を任せられると考えます。Nさんともそのような話ができたはずでしたが、私の配慮の無さがせっかくの機会を逃してしまう結果になってしまいました。

 

晩節を汚さないために

仕事をしていて喜びを感じる瞬間は、人それぞれだと思います。昇進昇格。大仕事を成し遂げたこと。何かの目標を達成した時の喜びは一入でしょうが、それは、束の間水面に浮かんだ泡のようにすぐに消えてしまいます。

 

むしろ私にとっての仕事の喜びは、かつての自分の部下や同僚が異動で別々の道を歩んでいても、それぞれに活躍している姿を見ることです。ほんのひと時で一緒に仕事をした仲間が、その後もうまくやっている様子を知ることは、自分のことのように嬉しく感じます。

 

後輩や部下の中には、しばらく会わないうちに素晴らしい才能を開花させる者も出てきます。若さと情熱とビジネスセンス。入社間もない頃、手取り足取りで仕事を教えた若手社員が、中堅になり、ベテランになり、いつの間にか私を追い抜いていく。「あいつには敵わない」と素直に認めることは、感服と言う一言では片づけられない、一抹の寂しさと胸の奥の小さな嫉妬が綯い交ぜになった複雑な気持ちを抱かせるものです。

 

私も最近、これまで自分が築いてきた城を明け渡すような気分を味わいました。妻の看病のために仕事をセーブすることを考えていた矢先だったことから、少し気弱になっていたのかもしれませんが、なりふり構わずに自分の地位や役職に固執するよりは、さっぱりと自分の椅子から降りる方が私の性分に合っているのかもしれません。

 

「晩節」と言う言葉が頭に浮かびました。私は、もうそんなことを考える年齢になってしまったのです。会社人生も終盤を迎えると、自分らしい終わり方を考えるようになります。現役、退職、そして老後。ステージに与えられた名前は異なりますが、それぞれは継ぎ目のない一つながりの流れです。先のことを考えずに次のステージに行きついてしまうと、路頭に迷うことになります。逆に次のステージでの生き方を見つけることができたなら、定年を待たずして自らの意思で退職することが最良の選択となり得るのではないかと思うのです。