和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

会社が病気になったら

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

できない病の処方箋

以前、「できない病」のポスターの話を書きました。

lambamirstan.hatenablog.com

私の勤め先では、まだあのポスターが貼られています。評判が良くないため、総務にポスターを剥がすことを提案したこともありますが、そのつもりは無いようです。

 

人がいない、設備が無い、予算が無い。そうなると、やりたいこともできません。しかし、ポスターは言います。リソースが不足している中で、「どうすればできるのか」を考えるのがあなたの仕事だと。どれだけの社員がこの言葉を信じているのでしょうか。私の部署では、終始「知恵を出せ」と頓珍漢なことを言い続けている天下りの役員がいますが、そのひとりを除き、今の体制で何ができるかを知らない者はいません。

 

コロナ禍で、どこの国の経済もスローダウンしている中、新しいことを始めようとしても限界があります。私の部署は海外事業、とりわけ新規事業の開拓が仕事ですが、どの国のビジネスパートナーとも今は本格的に仕事の話を進められる状況にありません。

 

また、慢性的な人手不足から、手広く案件を発掘することもできません。人手が足りないのに、無理にあれこれと新しいことに手を出せば、どれも中途半端になってしまい、まともな成果を上げられなくなってしまいます。人がいない、金が無い、と言う時は、優先順位を決めて、一番有望なものに資源を集中し、じっくりと取り組むべきなのです。

 

プロパーの人間にとっての常識が、役所から天下ってきた役員には理解できません。利益を追求するよりも、マイプロジェクトを立ち上げることにしか関心が無く、成果を上げることばかり急ぐため、かえって成果を上げられないという悪循環を自ら招いていることに気がつきません。まるで、魚が針にかかる前に釣り竿を上げては、魚が釣れないとぼやき続けているようなものです。

 

あなたが病気に罹り、医者に診てもらったとします。医者はあなたにこう言います。「あなたは、自分が病気だと思い込んでいる病気です。だから注射も薬も必要ありません。どうしたらいいか自分で考えてください。それが唯一の治療法です。」

 

会社は、自分が具合が悪いことを最後の最後まで認めません。具合が悪いのは社員の頑張りが足りないからだと片づけてしまいます。

 

イエスマンとノーマン

「自ら退路を断つ」とか「不退転の決意」という言葉が大好きな人がいます。それを実行できる人は、立派だと思います。しかし、現実は、自分より下の人間に退路を断たせ、不退転の決意を強いる上司がほとんどです。

 

役員となって経営陣の仲間入りをしても、そこでも上下関係が待っています。会長・社長には良い顔をし、部下には厳しい態度で接する。できそうもないことを「できる」と約束して、その“つけ”を下に押しつけるという光景を私は何度も見てきており、自分もつけを押しつけられる立場になったことが何度もあります。

 

役員フロアのイエスマンが、部下のやることとなると、細かいことに口を挟んでくる、というのもよくある話です。

 

マイクロマネージャーが職場にいると、部の士気を低下させるだけでなく、仕事が捗らなくなります。現場の担当者に、いきなり役員から電話がかかって来て、本社からの指示を撤回されたら最後、現場は役員の言うことにしか従わなくなります。現場を動かすためには役員を説得しなければならず、自ずと仕事が遅れ始めるのです。

 

ボトムアップの提案にケチをつけ、業務の支障を自ら招いていることに気がつかないとなると、手の施しようがありません。

 

部下のやる気を殺ぐ言葉

部下の逃げ場を無くし、不退転を強いることが自分の仕事だと勘違いしている上司は、存在そのものが部下のモチベーションを失わせることになります。それに加えて、「結果が全て」とか「結果が伴わない努力は無駄な努力」などと、他人事のように唱えることが、さらに部下のやる気を殺ぐことになります。

 

自分も当事者だと分かっていない上司は、一緒に働いているという連帯感を部下に抱かせることができないばかりか、部全体を負のスパイラルに陥らせてしまうのです。中間管理職がどんなに励まそうとしても、部下に一度植え付けられてしまった諦観は拭い去ることができません。

 

「できない病」の対処法は、“今できることをする”につきます。人やお金に限りがあるのなら、その範囲でできることをするしかないのです。恐ろしいのは、真面目な社員が「知恵を出せ」という上からの言葉を“忖度”してしまい、心の均衡を失ってしまうようなことが起こり得ることです。

 

「知恵を出せ」ということほど無責任な指示はありません。なぜなら、「知恵を出せ」と言う人間は、決して自分も一緒に悩もうとはせず、解決できない難題を下に丸投げしているだけだからです。そのくせ、あれもやるべき、これもやるべき、と現場の置かれている状況を考えもせず、仕事を増やしてしまいます。

 

件のポスターを総務がいつまでたっても剥がさないのは、知恵を出すのが現場の仕事だと言いうことを社員に忘れさせないためでしょう。人間の体なら、知恵を出すのは頭です。手足は知恵を出すところではありません。

 

社員を大切にしない会社は、病気になっても頭が痛みを感じることはありません。手や足、それぞれの臓器が自分の具合が悪いことを頭に伝えても、まともに取り合おうとしません。手足が腐り落ちて、ようやく自分が病気だと気づくのです。

「がんばれ」は無責任な言葉?

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

子育てが終わって

我が家は、次女が昨年大学に入学した時点で、子育ては終了したと思っています。もちろん、娘が卒業するまで学費を払わなければなりませんが、娘に対して「ああしろ、こうしろ」と口うるさく言うことはしないと、妻とも決めています。

 

振り返ってみると、私たちの子育ては、ぎりぎり及第点。むしろ、「負うた子に教えられる」を体現したものでした。

 

長女は今年就職しました。最初の二か月弱は在宅勤務でしたが、その後、郊外の営業所で目下新人研修を受ける毎日です。自宅からの通勤なので、家には食費や部屋代相当分のお金を入れさせるようにしています。娘といつまで一緒に暮らせるか分かりませんが、家の働き手が増えることは、何となく心強いものです。

 

今は妻も私も、それなりに穏やかな毎日を送っていますが、数年前に私たち家族が海外駐在から帰国した頃は、家の中の雰囲気もあまり良いものではありませんでした。一番の原因は娘たちの学校のことでした。

 

頑張り屋に「がんばって」は禁句

次女の話は、また別の機会に譲り、今回は長女のことを書いてみたいと思います。長女は私たちにとって初めての子だったので、子育ても手探りでした。

 

駐在先の北米で生まれた長女。お産が帝王切開だったことと、あちらの病院はすぐに退院させられてしまうため、妻は帰宅してからもしばらくは安静にしていなくてはなりませんでした。約一か月私は、“在宅勤務”をさせてもらっていました。おむつ替えや授乳、へその緒の消毒など、初めてのこと尽くしでしたが、自分の子の面倒を見られる喜びの方が勝っていました。

 

やがて、最初の駐在が終わり、帰国すると、私は仕事に忙殺されてほとんどと言っていいほど子供の面倒を見ることができなくなってしまいましたが、長女がパパっ子に育ってくれたのは、生まれたばかりの頃の記憶がどこかに残っているからか・・・などと自分に都合良く解釈しています。

 

親は子を持つとみんな親ばかになります。妻や私もその例に漏れず、自分の子が初めて何かできるようになると、「この子は天才か!?」などと有頂天になります。しかし、そんな時期もいつかは終わり、小学校、中学校へと進むにつれて、くじけそうになる我が子に叱咤激励を繰り返し、何とか落ちこぼれないように、と祈るようになっていきました。

 

2度目の駐在は、彼女が小学4年生の時でした。それから8年間、異国の地で長女は人生で一番多感な時期を過ごしました。言葉の壁や、引っ込み思案の性格。最初の頃の学校生活は彼女にとって苦痛だったことでしょう。彼女の顔から笑顔が消えました。それでも親ができることは、叱咤激励。「がんばれ」、「大丈夫だから」。それは、親として、長女が決して飲み込みの早いタイプではないけれど、今までコツコツといろいろなことに取り組んできたことを知っていたからこそ出た励ましの言葉でした。

 

まだ小学生とは言え、親の心配や期待を肌で感じていたのでしょう。長女は、苦しみながらも学校に行きたくないとは一言も言わず、中学校に上がる頃には現地人の友人もでき、勉強や部活など学生生活を楽しめるまでになりました。それと同時に始まったのが反抗期でした。

 

反抗期とは言っても、家庭内暴力など物騒なものではありませんでしたが、親との会話を避けるようになりました。これが駐在を終えるまで ‐ 長女が現地の高校を卒業するまで ‐ 続くのですから、親子にとってはとても長いトンネルでした。

 

それでも、現地では親が車を運転しないとどこへも行けません。したがって、長女も私にはあまり強い態度には出られません。会話は減りましたが、車でどこかに行く間、学校のことや将来のことなど、ぎこちないながらも、彼女はいろいろ話をしてくれました。

 

高校の卒業試験を控えたある時、車中で彼女がボソッとつぶやきました。「十分頑張っているから、何も言わないで」。私の帰任も決まっており、長女には何としても卒業してもらわないとならなかったため、妻も私も馬鹿の一つ覚えのように、毎日長女を励まし続けていたのでした。しかし、私たちは長女が毎日夜遅くまで勉強していることは分かっていたにも拘わらず、その彼女の心中を考えもせずに、もっと頑張ることを強要していただけなのです。

 

いつか子供も大人に

その一件以来、妻も私も長女には、勉強のことについては何も触れないようにしました。それは卒業後の進路についても同じでした。彼女は受験したい大学のことや帰国後に通う予備校など、自分でいろいろと考えていたのです。親の口出しの終わりが、長女の反抗期の終わりでもありました。長いトンネルを抜けたら、長女は大人になっていました。

 

帰国後、長女は予備校に通いながら帰国子女枠のある大学を何校が受験しました。しかし、これがうまく行きません。第一志望、第二志望、と不合格が続きました。元来能天気な娘も、さすがに受験の失敗が重なり、傍から見ていても落ち込んでいる様子が分かりました。

 

それでも、妻も私も何も言いません。妻はきっと口出ししたかったでしょう。それでも娘に全て任せました。大学に落ち続けていた長女は、友人たちが次々に進学先を決めていくのを見て、自分だけが取り残されていることに最初は焦りを、やがて、諦めを感じ始めていました。季節は冬。新年が目の前に迫ってきます。帰国子女枠での受験が駄目なら一般入試がありますが、一般入試向けの勉強などしてこなかった娘に勝ち目はありません。

 

私は娘に、どうしても大学で勉強したいことがあるなら、来年もう一度一般入試で受験に挑戦する道もあること、また、そこまでの覚悟が無いのであれば、別の道もあることを話ました。娘の答えは、そのどちらでもありませんでした。帰国子女枠で受験できるところはまだまだ残っています。今は目の前の試験に集中したいと言います。

 

私は迂闊なことを言ってしまったと後悔しました。まだ終わったわけでは無いのに。幸い、負けん気の強い娘だったからいいようなものの、私の軽率な一言で、やる気を殺がれても不思議ではありませんでした。

 

帰国子女枠の試験科目は、大学によりまちまちですが、小論文と面接がほとんど。これまで勉強のことは予備校に任せていましたが、そこから親子二人三脚で小論文の書き方を基礎から勉強し直す日々が始まりました。

 

年明け早々、長女に吉報がもたらされました。結果オーライではありましたが、努力が報われたことを娘以上に妻が喜んでいました。

 

親の心子知らずとは言いますが、我が家の場合、子の心親知らずでした。親にとっては、子はいくつになっても子ですが、子は知らぬ間に大人になっているものです。親が子供に期待することと、子供が親に期待することは違います。子供が何を期待しているのか ‐ 親にどうしてもらいたいのか ‐ を良く考えると、むやみに励ますことが、決して子供にとってのエールにはならないことだと分かりました。

コミュニケーションツールは変われども

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

やりっ放しは責任逃れ

我が家の大学生の娘、現在アルバイトで学習塾の講師をしております。高校時代は、人に指図されることを最も嫌い、学校の先生や親のアドバイスは一切聞き入れませんでした。それが、今や“教え魔”に変身してしまいました。毎日夜遅くまで授業に使う教材を予習して、自分なりに教え方を考えているようです。

 

まだ塾の教室は再開しておらず、授業はオンラインのマンツーマン方式。娘は1コマ45分、1日あたり2~3コマの授業を受け持っています。授業の予約は塾の庶務を担当する部署で行なって、各講師にそれぞれ授業が割り当てられる仕組みのようですが、ときにダブルブッキングになったり、すっぽかされたりして、人には厳しい娘としては、時間管理の不徹底が気に入らない様子。

 

先日、娘の愚痴を聞いた私は、彼女に一つ提案しました。授業の前日に、庶務に次の日のスケジュールを再確認すること。そして、もし、可能であれば、生徒に次の授業の日時をリマインドしてもらうことです。ダブルブッキングやすっぽかしが、どちらの責任かはこの際関係ありません。それによって誰かにとっての無駄な時間を防ぐことができるのです。

 

面倒くさがり屋の娘が不満そうな顔をしたので、ここで私の小言が始まりました。

 

かつて私が若かりし頃、先輩に口酸っぱく言われたのは、「言いました、やりました、ではダメ。相手を動かさなければ仕事をしたことにならない」と言うものでした。誰かに仕事をお願いするにしても、お願いしただけではダメで、成果物を手に入れるまでが自分の責任。会議や打ち合わせも、場所や時間を設定して関係者に出席を依頼するだけではダメで、前日には出席の念押しをする、というように、仕事が完了するまで自分が責任を負うと言うことでした。

 

今のご時世、いろいろと便利になって、アプリでスケジュール管理するのが当たり前、スケジューラーが親切にリマインドもしてくれますが、肝心の人間の方がそれに頼りっきりになって、時間にルーズになってしまっては元も子もありません。

 

結局、私のような古い人間は、アナログなやり方から抜け出せないのだと思います。思い返すと、昔、会社で出張の手配を担当していた頃、上役や役員のホテルやフライトを予約して、直前にわざわざ電話で予約の再確認をしたものでした。当時は航空券は出発の1日あるいは2日前までに“リコンファーム”するように言われていました。

 

今では何の予約でもオンラインでできてしまうので、そのような余計な手間をかけるのは馬鹿げているのかもしれません。

 

さて、私の小言ですが、塾からは、生徒への事前の念押しは人手が足りないことを理由に“却下”されたとのこと。いい提案だと思っていた私としては、ちょっと悔しい思いです。

 

ドキドキを味わうのは悪くない

今のように携帯電話が当たり前となり、コミュニケーションアプリでやり取りすることが普通になると、待ち合わせをすっぽかされたりすることがあまり無くなりました。

 

携帯電話が普及していなかった時代では、待ち合わせをしたのに待ちぼうけを食らったり、お互い会えずにすれ違ったりということが珍しくありませんでした。家を出てからでは、待ち合わせの時間や場所をお互いに再確認する術を持ち合わせていなかったのです。

 

本当に会いたい相手とは、前の日に家の“固定電話”で時間と場所の確認をしました。中学の頃、当時付き合っていた彼女と連絡を取り合うには、リビングルームに誰もいないことを確認してから、こっそり電話をかけます。電話をして、相手の親が出たりすると、緊張しながら彼女に電話を取り次いでもらう・・・そういうドキドキ感は、今の若い人は味わえないのでしょうね。そんな話を娘にしたところ、そんなの絶対嫌だと一蹴されました。自分の彼氏と親と話などさせたくないそうです。

 

一方で、娘は、今は24時間ずっと誰かに監視されているような気がして落ち着かないというようなことも言っていました。コミュニケーションアプリで友人からメッセージを受け取ると、できるだけ早く返事をしないと相手の気分を害してしまうことがあるようです。私など、仕事以外なら、メールだろうとショートメッセージであろうと、そんなに返信を焦る必要は無いのではないかと思うのですが、娘曰く、返信の早さが自分をどれだけ大切に思っているかのバロメーターなのだそうです。何となく私としては、ついて行けない話になってしまいました。

 

人の気持ちは今も変わらず

ところで、テレビでは、コロナ禍の影響で最新ドラマの撮影が思うように進まないため、昔のヒット作を再放送しています。テレビをあまり見なくなった私ですが、なつかしさのあまり、つい見入ってしまうドラマもあります。

 

その一場面に、お互いの自宅にあるファックスでやり取りをするシーンがあります。主人公は聴覚に障害を持っているため、電話での会話ができません。そのファックスは、コミュニケーションアプリと同じような使い方で、紙にしたためた文字で“会話”をしているのです。ただ、アプリと違って、やり取りには時間がかかります。見ていて非常にもどかしさを感じるのですが、それがこのドラマに引き付けられる魅力なのでしょう。紙に書いた文字や手話でのやり取り、うまく気持ちを伝えられなかったり、誤解が生じたりと、見ている者にもどかしさを感じさせ、思わず二人を応援したくなる、そんなドラマなのです。

 

ドラマでは、二人はファックスでのやり取りの後、お互いに会いたい気持ちを抑え切れずにそれぞれの家を飛び出して、すれ違いになってしまうのですが、好き合っている相手にすぐにでも会いたい、と言う気持ちは今も変わらないのではないかと思います。もし、すぐに会える相手なら、アプリではなく直接会って話をした方が気持ちは伝わるのではないかと…思うのはアナログ人間の私だけでしょうか。