和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

肩書とレッテル

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歓喜と無念の季節

この季節、どこの会社でも人事異動の話で持ち切りとなります。自分の会社だけでなく、取引先の人の動きも耳に入ってきます。昇進に歓喜する人、降格や出向で意気消沈する人、まさに悲喜交々です。

 

先日、お世話になった取引先の方の送別会をしました。送別会と言っても二人だけの“差し飲み”です。また、このご時世ですので、お店は6人用の個室を予約して、テーブルに二人、対角線に座ってソーシャルディスタンス対策も万全の体制で臨みました。

 

今回の飲み会は、残念ながらお祝いの席ではありませんでした。相手の方は、関連会社への片道切符の出向。もう本社には戻ってこないと断言していました。私は勝手に「この人はそろそろ役員になるのでは?」と思っていたほど優秀な方でしたので、最初に異動の話を耳にした時はとても意外でした。

 

他所の会社の方、ましてや降格人事でもあるので、こちらから根掘り葉掘り聞き出すような野暮なことはしませんでしたが、杯を交わすにつれて、先方から無念の言葉がこぼれます。どこの会社でも言えることですが、出世は成果だけでは決まらないものです。派閥争いや、上役への取り入り方次第でどう転がるか分からないものなのです。

 

お荷物か参謀役か

若手や中堅社員は、“いい年をして”自分より若い上司に使われている社員は、仕事ができないからだと決めつける傾向があります。以前、私の部署で、「だからあの人は出世できないんですよ」と、特定の人を酒席で愚弄する者がいて、私が窘めたことがありました。

 

仕事をバリバリこなしていた人も、自分が干されたと知った途端に、仕事に対する意欲を失ってしまうことがあります。それが長引くと、なおさら重要な仕事から遠ざかり、閑職に転げ落ちて行ってしまうこともあります。

 

本人にとっても会社にとっても、能力を無駄にしている点でもったいないことに変わりありません。また、下の人間にとっても、周りがあくせく働いている中で、独り手持無沙汰な体でいる中年社員がいると、士気を殺がれることになります。結局、本人の失意がさらなる不遇を呼び、その悪循環で“会社のお荷物”と言うレッテルを貼られることになってしまうのです。

 

余程会社に不利益を与えることが無ければ、会社は社員をクビにすることは出来ません。その結果、業績に貢献しない社内失業者が量産されることとなります。そのような人々にとっては、会社人生はすでに終わったものになっています。退職まで、茫洋とした空間が目の前に広がっているような状態の中に身を置くこととなります。

 

他方、そのような人ばかりではありません。出世のチャンスは失ったとは言え、自分の得意分野を武器に若い上司の参謀役としてチームに貢献する人もいるのです。やり甲斐や役立てる分野を探し、自分の能力を発揮しようと努める人は、会社の中で別の生きる道を見出すことができるのです。

 

もし、昇進の道が絶たれた時、どちらを選んだ方が充実した日々を過ごせるでしょうか。仕事が全てでは無いにしても、会社勤めを続ける以上、その時間を無為に過ごしていては、人生の無駄使いになってしまいます。

 

人生はまだまだ続く

私もこれまで、仕事で干されたり拾われたりを繰り返して来ましたが、その経験から言えることは、どんなに仕事に励んでも、報われない時は報われないというものです。学校の試験と違い、会社の中での序列は極めて主観的な要素で決められます。もちろん、業績への貢献度は重要な評価対象ですが、それを高く評価するか否かは上が決めることです。

 

もし、自分が上司に気に入られ、その上司が順調に出世街道を進めば、自分も引っ張り上げられるチャンスがやって来ます。しかし、どんなに仕事で成果を上げても、派閥争いに巻き込まれて昇進の道が途絶えてしまうことだってあります。そう考えると、自分の昇進だけを目標に仕事に邁進することが、なんて空しいことかが分かってきます。

 

私の勤め先にも、昇進が遅れたり、出世する希望を失ったりして、仕事に対する意欲を無くしてしまった人が少なくないことは、先に書いたとおりです。酒を飲ますと恨み節しか聞こえてこない人もいます。そんな気持ちで残りの会社人生を続けるなんて辛過ぎます。

 

組織の人員配置はピラミッドです。上に行くほどポストは少なくなるので、自分の期待どおりのポストに就けない人の方が多いわけです。入社当初は、“この会社で偉くなってやる”と意気込んでいても、毎年ふるいにかけられ、昇進する人間の数は少なくなっていきます。世の中、出世できなかった人の方が圧倒的に多いことになります。しかし、それでも人生はまだまだ続きます。

 

会社でどこまで出世したかなど、長い人生のほんの一要素でしかありません。それに固執する必要が本当にあるのでしょうか。行列を作って物を買う時、会社での肩書をひけらかしても、誰も割り込ませてくれはしません。逆に、万年平社員だからと言って、誰かに割り込まれることも無いわけです。会社から一歩外に出れば、社内での立場など関係無いのです。

 

また、自分の配偶者の、会社での地位を気にするような人は、配偶者を人としてではなくアクセサリーとしてしか見ていないことに気がついていません。いつも仕事が最優先の人と、家族のことを第一に考えてくれる人。配偶者としてはどちらが好ましいでしょうか。偉そうにソファにふんぞり返って、全く家事をしない“部長”は、家族から“役立たず”のレッテルを貼られることになるのです。

生きたお金の使い道

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生きるために働く

生まれてこの方お金に苦労したことが無いと言う人は、ある意味幸運です。何をするにもお金が必要な世の中、毎日生きて行く上でお金のことが頭から離れることはありません。“ある意味幸運”と書いたのは、お金に不自由していなくても、それで全て満たされるとは限らないからです。

 

とは言え、お金は大事です。ある程度の蓄えができると、頭の上を覆っていた不安が少しずつ薄れて行きます。心にも余裕が生まれてきます。しかし、人間の欲望は、現状に満足することをなかなか許してくれません。もっと○○が欲しい、もっと××がしたいと、新しい欲求の芽が顔を覗かせ始めます。

 

以前、折に触れいくつかの記事で書いたことがありますが、景気の波があるのと同様、人の一生も山あり谷ありです。私の実家は、私が中学生の頃まではお金に困らない生活を送っていました。その後、父の事業が破綻し、突然日々の生活が困窮するようになりました。

 

会社の儲けは従業員の給料を支払った後はほとんど残らず、専業主婦だった母が働きに出てやっと生活している状態でした。大学に入学して間もない頃に家の借金の額を親から聞き出すと、それが自分の想像をはるかに超える額に膨れ上がっていることが分かりました。そして、父からは一緒に働けないかと尋ねられたのです。

 

私は親の巻き添えにはなりたくないと、家を飛び出して独りで暮らすことにしました。家を見捨てた親不孝者でした。アルバイト先に紹介してもらった古びたアパートで独り暮らしを始めるようになると、生きて行くことの大変さが身に染みて分かりました。それと同時に、大きな借金を抱えた実家の生活レベルが分不相応なことも分かりました。

 

独り暮らしは自由気ままなところもありますが、それは、それなりの稼ぎがあっての話。学費と家賃で毎月のアルバイト代がほとんど消えてしまう生活、また、アルバイトのために講義を休む生活を送っていると、自分は何をしているのか分からなくなってしまいます。

 

このような状態で生活していると、日々のことで頭が一杯になり、「あれがほしい、これがほしい」と考える余裕すらありませんでした。

 

贅沢は敵?

就職すると、安定した収入を得られるようにはなりましたが、なかなか貯金ができず、結婚した時は貯金ゼロどころか、奨学金の返済と結婚式費用のための借金を抱えてのスタートでした。妻は高校卒業後結婚まで約8年間仕事をしてきたので、それなりの蓄えはありましたが、結婚の際、私は妻に結婚前の貯金を生活費に回すことは断りました。単なる私の強がりです。

 

新婚時代は切り詰めた生活を送っていましたが、侘しいとかひもじいという記憶は残っていません。分相応の生活を心がけていました。私が幸運だったのは、妻が浪費家では無かったことと、逆にやりくり上手だったことです。給料のうち一定額は貯蓄に回して、その残りで1か月を過ごすと言う、ごく当たり前のことを当たり前にやってくれました。

 

結婚後早くに夫婦共通の価値観とライフプランを持てたことも大きかったと思います。その過程で、自分たちに要る物と要らない物の仕分けができました。我が家の場合、新婚早々に自家用車を手放したことで、かなり負担が減ったと思います。また、転勤商売だったため、大きな家具や余計な物を買わないようにしていたことも自然体で節約できていた要因かもしれません。

 

それと、一番大きいのは、ローンを組まない習慣だったと思います。親の借金苦を見てきた私は、お金を借りてまで物を買うことに大きな抵抗を感じていました。したがって、どうしても必要な物は積立を行なって購入するようにしていました。

 

このように暮らしていると、自分たちは1か月いくらあれば生活できるのかが分かってきます。一方で自分の給料は毎年微々たるものですが増えて行きます。その増えた分は貯蓄に回します。自ずと毎年の貯蓄額は増えていくこととなります。

 

途中、子供が出来て、積立額が減った時期もありましたが、生活のレベル感は新婚当初と変わらず、です。

 

ここまで読まれた方は、私たちが“贅沢は敵だ”を絵に描いた生活をしているのではないかとお思いでしょう。節約ばかりでは楽しい生活なんて無理だと。

 

自分の満足感とは?

欲しい物を欲しいだけ手に入れられたら幸せになれるでしょうか? 何となく私にはそれが、塩水をお腹いっぱい飲むことを想像させます。お腹が膨れてこれ以上は飲めないのに、喉が渇いて仕方ない状態です。心がそのような状態だと、お金をどんなに使っても満たされることはありません。

 

欲しいと思っているものを手に入れる行為そのものに満足感を求めると言うことは、手に入れた瞬間に満足感を喪失することにもなります。

 

お金を価値あるものとして使うためには、自分にとって本当に価値のあるものにお金を投じることを心がけなければならないのだと考えます。

 

私たち夫婦は車の無い生活をずっと続けてきていますが、生活手段として車が必要な方もいますし、車を趣味として大切になさっている方もいます。そのような方々にとって、車のために費やすお金はまさに「生きたお金」になるわけです。

 

ほとんどの人にとってお金は有限だからこそ、野放図に使うのではなく、メリハリ ‐ 優先順位 ‐ が必要となります。自分が一生でどれだけ稼げそうか。それで何を手に入れられるか。あれもこれも手に入れられないのだとしたら、何が自分にとって必要なものなのかを考えることです。どうやったら自分の稼いだお金を「生きたお金」にできるかを考えることです。

働く理由と人生の意味 (3)

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親の期待とアイデンティティーの確立

生まれてきた子供に大きな期待をかけるのは、どの親も同じだと思います。健康に育ってくれればそれで満足と言っていた親も、周りの様子を見るにつけ、子供には将来、お金に困らない生活を送ってもらいたい、そのためには「良い学校」に通い、「良い仕事」に就いてもらいたい、と期待と夢が膨らんでいきます。

 

世の中の仕組みが良く分かっていない子供にとっては親が唯一の羅針盤です。もちろん、本当に子供自らの意思で習い事に通い始めることもあるでしょうが、親の独りよがりであることが多いことも事実です。スポーツ選手になるためのコーチレッスンや、楽器の英才教育はまだしも、進学塾に通っている子供の多くは、親がそうするようにしているだけではないでしょうか。

 

しかし、そんな子供もやがて気がつきます。「これは自分が望んだことなのか」と。もし、今まで操り人形のように誰かに動かされていた自分が、実は糸が切れても自分で動くことができると知った時、初めて親と向き合うことができ、自分で考える力を得ることができるのです。それでも親が子供を操り人形のように扱えば、子供は本当の自分を見失ってしまうことになります。自分で自分の道を切り開く機会を逸してしまいます。

 

そう考えると、操り人形の糸は必要最小限にしておいて、しかも、できるだけ早くに親の方からそれを切ってしまうのが良いのかもしれません。その糸とは、幼稚園や学校に任せきりにしてはいけない躾や道徳であって、親が子供に授けるべきものだと考えます。そして、子供がしっかり分別がつけられることを見届けたら、親の出番はそれでおしまいです。あとは、子供が自分は何者なのか ‐ どこから来て、どこに向かおうとしているのか ‐ を自分で考えさせることです。

 

「将来の夢」破れて「これからの夢」を抱く

実はここまで書いてきたことは、子供の教育の話では無く、大人である私たちがどう歩んできたかを振り返るためのものでした。

 

子供の頃に抱いていた夢を実現した人を私は尊敬します。もちろん、周囲の支えもあったのでしょうが、それでも一貫して自分の夢を追い続けてそれを勝ち取った強い意志は、誰もが持てるものではありません。子供の頃の夢を叶えられなかった人の方が断然多いのです。

 

しかし、「将来の夢」が破れたからと言ってそれで人生が終わるわけではありません。同様に、受験に失敗しても、就職に失敗しても、失恋しても、人生が終わるわけではありません。それらは人生のほんの一部のイベントでしかないからです。

 

それにも拘らず、夢が破れて自暴自棄になってしまう人がいます。叶わぬ夢を追い続けて時間を無駄にしてしまう人、引きこもって社会とのつながりを断ってしまう人、自ら命を絶ってしまう人。目の前の夢が破れたとしても、そこから先の人生で新しい夢を抱くこともできるはずなのです。

 

私も結局、子供の頃の夢だった探偵にはならず、また、途中いくつか別の夢に破れた後に、今の仕事に就いています。大学も第一志望の学校ではありません。仕事には就けましたが、自分の思い描いたようなものではありませんでした。仕事で干されたこともあります。失恋も・・・人並にしています。

 

それでも自暴自棄にならずにここまで来たのは、自分の人生の意味を探している途中だからだと思います。そして、生きて行くためには何らかの張り合いも必要となります。目の前の夢が絶たれたら、新しい夢を抱く必要があります。

 

人生の意味を探す意味は?

立川志の輔さんの落語の中に、「蚊に刺されると痒くなるのはどうして?」というくだりがあります。普段あまり気にも留めないことをあれこれ考え始めると、何となく自分が哲学者にでもなったような錯覚に囚われますが、自分の人生の意味とはなんだろう、一生のうち一度でも人様のお役に立つことをしなければならないのだろうか、誰の役にも立たないのだとしたら、自分の存在意義は何なのだろう、そもそも、人生の意味を探す“意味”などあるのだろうか、とつらつら考えていると、思考が循環して収拾がつかなくなってしまいます。

 

「人生の意味を探すのが“人生の意味”だ」などと、真顔でナンセンスなことを言う人も出てきそうですが、「何故自分は生きているのだろう」と考えても答えが見つからない時に、見当違いな理由を無理やりこじつけてしまっても意味を成しません。

 

蚊に刺されたら痒くなるのは、“痒くならないとどこを掻いていいのか分からないから”と言うのが答え(?)ですが、これまで多くの識者と言われる人々が導き出した人生の意味に対する答えも、誰もが腹落ちするようなものでは無いと思います。

 

痒くなったら、考える前に掻く。人生の意味が分からなくても、まずは考えずに生きていく、でも良いのではないでしょうか。

 

私は最近になって、人生の意味はその時々に自分が決めればいいことなのだと思うようになりました。私は歴史に名を刻むような功績を上げたわけでも無く、今後もそれは期待できないでしょう。それでも、私よりも長く生きるであろう娘たちの相談相手にはなれるはず。些細なことですが、これだけでも私の生きている意味になるのではないかと思っています。

 

もし、事故や災害などで家族が犠牲となり、私だけがこの世に取り残されたら。それで私の人生の意味は無くなってしまうのでしょうか。そうではありません。家族がこの世に生を受け楽しい人生を歩んだ証を何かの形で残してあげることが自分の人生の意味にもなるのです。縁起でもないことを、と妻に怒られそうですが。

 

自分が幸せな人生を送れたかどうかは、死ぬ間際まで分かりません。何故、どうして、と立ち止まって考えることも時には必要ですが、それでも答えが見つからなければ、歩きながら考えても良いのではないかと、今ではそう思うようになりました。