「がんばれ」は無責任な言葉?

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子育てが終わって

我が家は、次女が昨年大学に入学した時点で、子育ては終了したと思っています。もちろん、娘が卒業するまで学費を払わなければなりませんが、娘に対して「ああしろ、こうしろ」と口うるさく言うことはしないと、妻とも決めています。

 

振り返ってみると、私たちの子育ては、ぎりぎり及第点。むしろ、「負うた子に教えられる」を体現したものでした。

 

長女は今年就職しました。最初の二か月弱は在宅勤務でしたが、その後、郊外の営業所で目下新人研修を受ける毎日です。自宅からの通勤なので、家には食費や部屋代相当分のお金を入れさせるようにしています。娘といつまで一緒に暮らせるか分かりませんが、家の働き手が増えることは、何となく心強いものです。

 

今は妻も私も、それなりに穏やかな毎日を送っていますが、数年前に私たち家族が海外駐在から帰国した頃は、家の中の雰囲気もあまり良いものではありませんでした。一番の原因は娘たちの学校のことでした。

 

頑張り屋に「がんばって」は禁句

次女の話は、また別の機会に譲り、今回は長女のことを書いてみたいと思います。長女は私たちにとって初めての子だったので、子育ても手探りでした。

 

駐在先の北米で生まれた長女。お産が帝王切開だったことと、あちらの病院はすぐに退院させられてしまうため、妻は帰宅してからもしばらくは安静にしていなくてはなりませんでした。約一か月私は、“在宅勤務”をさせてもらっていました。おむつ替えや授乳、へその緒の消毒など、初めてのこと尽くしでしたが、自分の子の面倒を見られる喜びの方が勝っていました。

 

やがて、最初の駐在が終わり、帰国すると、私は仕事に忙殺されてほとんどと言っていいほど子供の面倒を見ることができなくなってしまいましたが、長女がパパっ子に育ってくれたのは、生まれたばかりの頃の記憶がどこかに残っているからか・・・などと自分に都合良く解釈しています。

 

親は子を持つとみんな親ばかになります。妻や私もその例に漏れず、自分の子が初めて何かできるようになると、「この子は天才か!?」などと有頂天になります。しかし、そんな時期もいつかは終わり、小学校、中学校へと進むにつれて、くじけそうになる我が子に叱咤激励を繰り返し、何とか落ちこぼれないように、と祈るようになっていきました。

 

2度目の駐在は、彼女が小学4年生の時でした。それから8年間、異国の地で長女は人生で一番多感な時期を過ごしました。言葉の壁や、引っ込み思案の性格。最初の頃の学校生活は彼女にとって苦痛だったことでしょう。彼女の顔から笑顔が消えました。それでも親ができることは、叱咤激励。「がんばれ」、「大丈夫だから」。それは、親として、長女が決して飲み込みの早いタイプではないけれど、今までコツコツといろいろなことに取り組んできたことを知っていたからこそ出た励ましの言葉でした。

 

まだ小学生とは言え、親の心配や期待を肌で感じていたのでしょう。長女は、苦しみながらも学校に行きたくないとは一言も言わず、中学校に上がる頃には現地人の友人もでき、勉強や部活など学生生活を楽しめるまでになりました。それと同時に始まったのが反抗期でした。

 

反抗期とは言っても、家庭内暴力など物騒なものではありませんでしたが、親との会話を避けるようになりました。これが駐在を終えるまで ‐ 長女が現地の高校を卒業するまで ‐ 続くのですから、親子にとってはとても長いトンネルでした。

 

それでも、現地では親が車を運転しないとどこへも行けません。したがって、長女も私にはあまり強い態度には出られません。会話は減りましたが、車でどこかに行く間、学校のことや将来のことなど、ぎこちないながらも、彼女はいろいろ話をしてくれました。

 

高校の卒業試験を控えたある時、車中で彼女がボソッとつぶやきました。「十分頑張っているから、何も言わないで」。私の帰任も決まっており、長女には何としても卒業してもらわないとならなかったため、妻も私も馬鹿の一つ覚えのように、毎日長女を励まし続けていたのでした。しかし、私たちは長女が毎日夜遅くまで勉強していることは分かっていたにも拘わらず、その彼女の心中を考えもせずに、もっと頑張ることを強要していただけなのです。

 

いつか子供も大人に

その一件以来、妻も私も長女には、勉強のことについては何も触れないようにしました。それは卒業後の進路についても同じでした。彼女は受験したい大学のことや帰国後に通う予備校など、自分でいろいろと考えていたのです。親の口出しの終わりが、長女の反抗期の終わりでもありました。長いトンネルを抜けたら、長女は大人になっていました。

 

帰国後、長女は予備校に通いながら帰国子女枠のある大学を何校が受験しました。しかし、これがうまく行きません。第一志望、第二志望、と不合格が続きました。元来能天気な娘も、さすがに受験の失敗が重なり、傍から見ていても落ち込んでいる様子が分かりました。

 

それでも、妻も私も何も言いません。妻はきっと口出ししたかったでしょう。それでも娘に全て任せました。大学に落ち続けていた長女は、友人たちが次々に進学先を決めていくのを見て、自分だけが取り残されていることに最初は焦りを、やがて、諦めを感じ始めていました。季節は冬。新年が目の前に迫ってきます。帰国子女枠での受験が駄目なら一般入試がありますが、一般入試向けの勉強などしてこなかった娘に勝ち目はありません。

 

私は娘に、どうしても大学で勉強したいことがあるなら、来年もう一度一般入試で受験に挑戦する道もあること、また、そこまでの覚悟が無いのであれば、別の道もあることを話ました。娘の答えは、そのどちらでもありませんでした。帰国子女枠で受験できるところはまだまだ残っています。今は目の前の試験に集中したいと言います。

 

私は迂闊なことを言ってしまったと後悔しました。まだ終わったわけでは無いのに。幸い、負けん気の強い娘だったからいいようなものの、私の軽率な一言で、やる気を殺がれても不思議ではありませんでした。

 

帰国子女枠の試験科目は、大学によりまちまちですが、小論文と面接がほとんど。これまで勉強のことは予備校に任せていましたが、そこから親子二人三脚で小論文の書き方を基礎から勉強し直す日々が始まりました。

 

年明け早々、長女に吉報がもたらされました。結果オーライではありましたが、努力が報われたことを娘以上に妻が喜んでいました。

 

親の心子知らずとは言いますが、我が家の場合、子の心親知らずでした。親にとっては、子はいくつになっても子ですが、子は知らぬ間に大人になっているものです。親が子供に期待することと、子供が親に期待することは違います。子供が何を期待しているのか ‐ 親にどうしてもらいたいのか ‐ を良く考えると、むやみに励ますことが、決して子供にとってのエールにはならないことだと分かりました。