和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

折り合い

キャリアのために

以前、ある中堅社員が、育児休業を取得した後に自分の評価が大きく下がったと嘆いていました。それは今まで順風満帆で、同期の中でも出世頭だった彼のプライドを大きく傷つけました。

結局、彼は転職して会社を去って行きました。最後の会話で、彼は「(私のように)家族のためにキャリアを捨てることができなかった」と言いました。

私にとってキャリアとは固執したり捨てたりするものではなく、ましてや“家族のため”に捨てたという意識はありませんでした。

ただ、あの時、彼の誤解を解こうという気持ちが私の中から湧いてきませんでした。彼に自分のことを分かってもらう必要がなかったからです。それは、彼が会社を去り、もはや自分とは関係のない人間だからというわけではなく、誰かに自分の考えを理解してもらうか否かは私に何の影響も与えないからでした。

 

折り合い

おそらく、昔の私だったら、他人の目をひどく気にしていて、自分が誤解されていると思ったら必死でそれを解こうとしていたことでしょう。しかし、他人の目は自分には関係のないことなのです。それに振り回されることに時間を費やすことがどれほど無益なのか、私は身をもって体験しました。だから、私は彼の誤解を解くことをせず、彼の考えに異を挟むこともしませんでした。

キャリアを気にする人にとっては、私の勤め先のように減点主義で、それを挽回する機会の少ない会社では、生きづらいのでしょう。

自分にとって何が大切なのか、何を大切にすべきなのか – それはひとそれぞれです。退職していった彼のような考えも“あり”です。私のように家族との時間を第一にしたいというのも“あり”だと思っています。

詰まるところ、どこで折り合いをつけるかは、誰かに教えてもらうようなものではなく、自分自身で決めるしかありません。