和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

内緒の話(1)

言わない約束

今でも家族の間で笑い話のネタになるのエピソードがあります。

 

下の娘がまだ幼稚園に上がる前、妻がとある資格試験にめでたく合格しました。私は妻が以前から欲しがっていた財布をお祝いに買うことを思い立ちましたが、平日は時間が無かったため、週末にこっそりと買い出しに出かけることにしました。

 

当時、上の娘がピアノを習っていたので、妻が娘の付き添いで出ている間に、私は下の娘とショッピングへと繰り出しました。目当ての品物はすぐに手に入り、妻よりも先に帰宅した私はサプライズのプレゼントを押し入れの隅の方に隠しておきました。下の娘には、プレゼントのことは内緒だと言い含めました。

 

しかし、妻と上の娘が帰って来るや否や、下の娘はそわそわし出して何かあることは誰が見ても分かってしまう様子でした。それでも娘は何とか内緒の約束を守ってくれました – と私が思っていただけなのですが。

 

夕食を終えて、頃合いを見計らって私は妻にプレゼントを渡しました。ラッピングを解いて、それが欲しがっていた財布だと分かると飛び跳ねるように喜ぶ妻でしたが、見るからに大袈裟な喜びように私が戸惑っていると、妻が下の娘から夕食の前に話を聞いていたとお腹を抱えて笑いながら言いました。下の娘は、声を潜めて「パパには内緒だけど、プレゼント買ってあるから」と妻に耳打ちしたそうです。年端も行かない子どもに「言わない約束」を守らせようとするのは無理な話でした。

 

思うに、子どもの心は配慮や計算抜きの純粋なものなのです。内緒と言われれば打ち明けたくなる。教えてはダメだと言われれば教えたくなる – それが子どもにとっての秘密なのでしょう。

 

娘も今や分別のある大人に成長しましたが、時たま「内緒の話」が蒸し返されると、顔を赤らめて「しつこい!」と怒り出します。そんな時の顔は子どもの頃と変わらず、それを見て妻も私も余計に笑いを堪えられなくなってしまうのでした。

 

知らなかった振り

では、大人になれば秘密を守れるかと言うと、必ずしもそうとも言えません。

 

私が海外駐在中、職場の同僚から、付き合っている彼女にプロポーズするので手を貸してほしいと頼まれたことがあります。何か特別な手助けをするとのではなく、彼の親しい同僚でレストランを貸し切り、食事の最中に彼が彼女にプロポーズすると言うものでした。

 

表向きは会社のいくつかの部署の合同懇親パーティーでした。参加者は、彼女以外の全員が事情を知っています。

 

サプライズの段取りはこうでした。パーティー当日、彼は仕事が片付かないことにして、会場のレストランに姿を見せません。そうこうしているうちにコース料理は進んでメインディッシュが各テーブルに運ばれてきます。そこで厨房から彼がクローシュ(金属製のふた)を被せた皿を持って登場。驚く彼女の前でそれを開けるとお約束のエンゲージリングが現れて彼がプロポーズの言葉を口にする – なんともベタな脚本(?)ですが、彼が自分で考えたのですから誰も文句は言えません。

 

ところが、ここで別のサプライズが起こりました。彼女の隣に座っていた友人が – おそらく、これから起こることを想像して酷く興奮してしまったのでしょう – 隠れていた彼が厨房から姿を現す前に、「もうすぐ、あそこから彼が出て来るのよ!」と叫んでしまったのでした。“脚本”を知っている、彼女以外の参加者の目は、驚きのあまりその友人に釘付けになりました。サプライズがサプライズでなくなった瞬間でした。彼女はこれから起きることを知ってしまいました。

 

唯一、現場で起こっていることを知らない彼は、顔を幾分紅潮させて、指輪を隠している皿を手にこちらに向かってきます。友人はようやく自分がとんでもないミスをしてしまったことに気づき、両手で口を塞いでいました。

 

私はその後のプロポーズの場面に立ち会って、彼女が本当に心優しい人だと知りました。厨房から姿を現した彼を見て立ち上がって驚き、件の友人や周囲の同僚に「どうなっているの?」と身振りを交えて尋ね、彼がプロポーズの言葉を捧げている間も後も“知らなかった”振りを貫き通しました。そして、彼の一世一代のプロポーズを受け入れ熱い口づけを交わしたのでした。

 

周囲からは盛大な拍手が沸き起こりました。それは二人の前途への祝福と、計画が無事に成功したことへの安堵が込められていたのだと思います。

 

彼女はきっと、彼が自分の考えた脚本どおりにプロポーズ出来たことにしたかったのでしょう。そして、プロポーズの瞬間に立ち会った誰もが同じ思いだったはずです。あれから十年近く経ちましたが、私はその素敵な秘密が守られていることを祈っています。(続く)