和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

コミュニケーション不調 (2)

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

暗中の探り合い

コロナ禍以前の職場では、同じ部署の面々の様子は嫌でも目に入ります。部下の仕事ぶりを見れば、その日の調子も分かります。しかし、在宅勤務が基本になってからはそうは行きません。毎日の定例のミーティングも、仕事の進捗状況を報告し合うことを言い訳に、モニターの画面に映る部員の様子や声の調子から、普段と変わりが無いかを知ることが目的のひとつでした。

 

それが、最近は部員のほぼ全員がカメラをオフにして打ち合わせに臨むため、耳を澄ませて話ぶりに聞き入るようになりました。もしかしたら、若い世代はそのようなコミュニケーションに違和感が無いのかもしれませんが、私のような古い人間は、話をする時は相手の目を見るように言われ続けていたせいか、どこか居心地の悪さを覚えずにはいられません。

 

直接対話に慣れ親しんだ世代からすると、新しいコミュニケーションのスタイルを受け入れることに難渋し、若い世代は、新しいものに柔軟に対応し、それを自分のスタイルに合わせて変化させていくことに長けているのだと思います。カメラをオフにした面々は、画面上では個々の名前を示すアイコンしか見えません。整然と並んだ名前に向かって、自分の話が伝わっているのか気にしながら話すのはある種の空しさを感じるのでした。

 

在宅勤務では、上司が部下の一挙手一投足まで全て管理することは不可能です。自ずと成果により重きを置くような仕事の指示を行なうようになります。日々の業務進捗は、朝の定例ミーティングで報告してもらっています。それで問題は無いはずです。

 

私がそれでもなお、顔が見えないコミュニケーションに居心地の悪さを感じているのは、自分が部下を信頼しきっていないからなのでしょう。暗いモニター画面を通じて部下の反応を気にするのもそのせいです。自分の考えを伝えることに腐心し、成果を上げるためにこれまで以上に細かな指示を出すことで、自分が一番嫌っていたマイクロマネジメントに陥ろうとしていたのかもしれません。

 

コミュニケーションツールに囚われない関係

さて、下の娘も大学の講義はリモートで受講しているのですが、こちらは私と違って新しいスタイルを楽しんでいる様子です。聞くと、リモートでの講義では“顔見せ”は必須。講義で出された課題をグループでこなすのも、お互いの顔を見ながら行なうのが普通だと言います。

 

リモート講義において、教授が学生たちに“顔見せ”を義務化するのは、講義に出席していることを確認するために必要なことです。娘も不平はあるものの、それをやむを得ないものと受け止めています。一方、学生だけのグループセッションでは、誰が決めるでもなくカメラをオンにして会話を楽しんでいる様子。思うに、学生同士のようなフラットな関係では、対面もリモートもあまり意識すること無く、コミュニケーションの道具が変わってもお互いの距離感は変わらない関係が維持できているのだと思います。

 

見えなくなるもの

翻って、私と部下との間はフラットな関係ではありません。私が部下に歩み寄ろうとしても、それは私の独りよがりであって、部下側の受け止め方は違うのでしょう。仕事を指示する側と指示される側。評価する側と評価される側。見る側と見られる側。社内で同じ空気を吸いながら仕事をしていた時には気にしていなかった上司と部下の関係性が、ビデオ会議システムにより、如実に実感させられるものになったのです。

 

仕事のあり方が変わっていく中で、ベストなコミュニケーションの模索は続いています。年明けから私は、毎朝の部内定例ミーティングには出ないことにし、個々の部員への業務の指示や報告は二人いる課長に全て任せることにしました。業務の進捗は課長から報告を受けることとしました。もし、私が顔を出さないことで、部員間でのコミュニケーションが活性化するのであれば、このやり方が正しいことになります。私としては、それはそれで寂しさを感じることになりますが、仕方ありません。このやり方が吉と出るか凶と出るかは分かませんが、しばらく様子を見たいと思っています。

 

ひとつだけ気がかりなのは、部の一体感や連帯感をどのように維持するかと言う点です。部の組織目標が達成されれば、部員の一体感や連帯感は必ずしも必要無いのかもしれません。業務分担に従って部員がそれぞれの役割を担い、上の人間がそれぞれのパーツを組み合わせて仕上げる。評価されるのはアウトプットであり、プロセスは関係無いと言う考えもあります。

 

しかし、大きな組織の中には、潜在能力はあるのに成果に結びつかない働き方をしている者もいます。仕事ぶりを見て、ほんの少しのアドバイスで“大化け”した社員を私は何人か見てきました。成果を上げても、成果に結びつけることが出来なくても、部下がその過程でどのように仕事に取り組んできたのか。在宅勤務下でのリモートな関わりの中で、プロセスが見えなくなってしまうことを私は不安に感じています。