和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

好機を見つける目

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こんなはずじゃない現実

数か月前のステイホームの期間中、テレビではひと昔もふた昔も前のドラマを再放送していました。私も妻も、普段テレビに噛り付くことはしないのですが、かつてヒットしたドラマをわざわざ録画してまで見てしまいました。ドラマそのものの面白さもさることながら、当時の自分たちの姿と重ね合わせて、遠い過去を懐かしむことができました。

 

歳を取ると、折に触れ過去を振り返ることが多くなります。バブル期に大学生だった私は、卒業して就職すると、トレンディードラマの中のような生活に手が届くと夢想していたこともありました。恐らくその頃が、一番大きな希望を抱いていた時期だったのでしょう。

 

しかし、現実はそう甘くは無く、しかも、就職前夜にはバブルが弾けてしまい、右肩上がりの会社人生と言う夢は、そのスタート時点で“夢のまた夢”になってしまったのでした。金融機関に就職した同級生の中には、勤め先が倒産し、路頭に迷う者もおりました。今と違って転職のハードルは高く、新入社員に毛の生えた程度の経験では、次の職場を探すことは容易なことではなかったようです。

 

人生、「こんなはずじゃなかった」と嘆く瞬間が何度かありますが、今年はまさに多くの人にとってそのような一年になったのではないでしょうか。昨年の今頃は、オリンピックへの期待と盛り上がり、海外からの訪問客、海外旅行者の増加など、先行きの明るさを予見するような話で溢れていましたが、たった一年足らずの間に、私たちの生活を彩っていた鮮やかな背景は霧消してしまいました。「こんなはずじゃなかった」。でもこれが現実であることに間違いないのです。

 

 

初心に帰ることを邪魔するもの

勉強でも仕事でも、理想を高く持つことは悪いことではありません。理想を高く持ち、成功体験を重ねていければ、それが、さらなる高みを目指すための大きな糧になることは間違いないでしょう。

 

中には、夢や理想に固執してしまい、自分の置かれている現実を見ることが出来なくなっている人がいますが、多くの人は、高い理想に現実がついて行かないことを比較的早い段階で知り、どこかで折り合いをつけることがほとんどです。そうすることによって、自分の別の可能性を発見し、新しい理想を掲げて現実との帳尻を合わせようとするのです。

むしろ、中途半端に成功体験を重ねた後に、挫折を味わってしまった人は、理想と現実のギャップの大きさに苛まれることが多々あります。

 

私の勤め先には、役所から天下ってきた役員や幹部社員が数名おりますが、ほとんどと言っていいほど、役人時代の習慣を拭い去ることができず、民間企業で仕事をすると言うことを一から学ぼうとしません。役所での成功の方程式が、転職した先でも通用すると本気で信じているのです。また、余計なプライドを捨てられず、“商人”に徹することが出来ない。会社のために、では無く、自分のセカンドキャリアをどのように輝かせるかしか考えていないのです。

 

言葉には出さなくとも、「自分は役所を出されて、こんなところで働く人間ではないはず」と言う態度が滲み出てくるのです。しかし、考えてみれば、同期入省で事務次官や審議官になる者はたった一人。それ以外はある年齢に達すれば、退官を余儀なくされるわけですから、それを甘んじて受け入れるしかないのです。

 

人生の終盤近くまで成功体験を重ね、プライドを高めてしまった人間は、それを捨て去って初心に帰ることはなかなかできないのかもしれません。

 

塞翁が馬

私にも、何をやっても裏目に出てしまう時期がありました。仕事も家庭も、自分では努力しているつもりでも、何かが悪い方へ悪い方へ進んでしまう。そうなると、自分がやっていることが全て徒労に感じてしまいます。逆に、何が変わったわけでも無いのに、うまく事が運んでしまうと言う時期もあります。

 

そう考えると、人生は自分の努力とは違う領域で動いているのではないか、所詮努力することは無駄なことで、万事塞翁が馬なのかと思ったこともあります。

 

たしかに、その時置かれている状況が福となるか禍となるかは、誰にも予測できません。とは言え、全て運任せにして、何の努力もせずに宝くじが当たるのを夢見る人生を送るのが良いのでしょうか。ほんの少しでも運命に抵抗できるチャンスがあるのなら、そのための努力をすべきなのではないかと、私は思います。

 

ひたむきに努力を続けていても、万人に平等に好機が訪れることはありません。しかし、好機をものにできるか否かはその人にかかっています。折角の恵まれた機会が訪れても、それをものにできる準備を怠っていたら、目の前のチャンスを逃し続けることになるのではないでしょうか。

 

今自分の置かれている状況の中で、何ができるのかを考え続けることは、決して無駄ではありません。努力を続けること、初心を忘れないこと、そして、自暴自棄にならないこと。そのような謙虚な心さえあれば、好機の訪れを見逃すことは無いのだと考えます。