中傷のための中傷、批判のための批判

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拒絶か、理解か

自分の考えにケチをつけられて気分が良い人はいないはずです。親切心から良かれと思ってアドバイスされたことでさえ、言い方、受け止め方によっては気分を害したり、修復不可能なほどに人間関係を壊してしまったりすることだってあります。悪気は無くても、物は言いよう。それだけ、物事の伝え方は気を遣うものです。もっとも、大半の人はそのような気遣いを自然と行なっているのではないでしょうか。

 

仕事でも私生活でも、人とのつながりの中で生きていれば、波風を立てずに過ごしたい人がほとんどだと思いますが、ときに、相手の気持ちはお構いなし、と言う自分本位の人間が現れます。自分の考えと少しでも違う人を敵視し、拒絶する。そればかりか、故意に相手の心を傷つけるような罵詈雑言の限りを尽くして、追い込もうとする人間もいます。

 

また、人の揚げ足取りに喜びを感じ、歯ぎしりする相手の顔を思い浮かべて、常に粗探しをする者がいます。人の考えに因縁をつけるだけ。そのような便所の落書き以下のことしか言えない人間は相手にする価値も無いのですが、真面目な人であればあるほど傷ついてしまいます。

 

とりわけ、SNSやブログへのコメントでは、度を越した誹謗中傷を行なう者がいますが、傍から見ても決して気分が良いものではありません。面と向かって相手を批判するほどの度胸が無い者に限って、遠くから石を投げつけ、自分は返り討ちに遭わない安全な場所に身を潜める – そんな、鬱憤を晴らせる場を求めているに過ぎないのでしょう。

 

私はブログを始めてまだ一年足らずですが、日々いろいろな方のブログを拝見し、勉強させられたり、考えさせられたりしています。これだけたくさんの方々がブログを書いているわけですから、自分と近い考え方をお持ちの方もいれば、そうでは無い方もいます。しかし、自分と異なる意見を持っている人がいるのは当たり前のことなのです。私は、人それぞれ考え方が違うということを尊重したいと思っています。それは、私自身が他の人々から自分の考え方を尊重してもらいたいという思いがあるからです。

 

私は自分と違う考えをお持ちの方から話を聞くのが好きです。考え方が違う人間同士でも、大抵の場合はどこか共通した部分、分かり合える部分があり、そこを足掛かりにお互いの理解を深め合えることが案外多いものです。

 

考え方が異なる人に直面すると身構える人がいますが、深く相手のことを知っているわけでも無いのに、最初から敵対ムードになってしまうのは、損な生き方だと思います。こちらが警戒すればするほど、相手にもその気持ちは必ず伝わります。それでは、最初から良い関係になることなど望めません。私は、自分の思想信条を冒されない限り、誰とでも普通に話すようにしたいと思います。

 

自分のことを分かってもらい、そして、相手のことも理解する。簡単なようで意外に難しいことですが、立場の異なる相手を非難したり屈服させたりすることよりも、余程健全な接し方だと思います。自分以外を拒絶すれば世界が狭まり、相手のことを理解しようと努めれば、世界は広がりを見せるのではないでしょうか。

 

批判しないと気が済まない人

誹謗中傷とまではいかないにしても、他人の考えを必ず批判する人がいます。自らの考えを披露するのではなく、誰かの考えに対して批判的なコメントをする。それによって自分のプレゼンスを上げようとしているのではないかと思われる政治家やタレントはいますが、一般人の間ではそんなことは必要無いのではないかと思うのです。もう少し他者の考え方に寛容であっても良いのではないでしょうか。

 

考え方の視野が狭く、持論以外を受け止められる度量が小さいと、結局は自分が損をすることになります。もちろん、それが分かっている人は、自分から好き好んで損することはしません。

 

厄介なのは、発言者の意図することと全く異なった捉え方をされることです。批判しないと気が済まない人間は、言葉尻を捉えて言いがかりをつけてきます。

 

私もかつて、失敗したプロジェクトの総括を役員会で説明した際に、一般的な話として、事業参入時の見通しの甘さに言及したところ、批判好きな役員から、別の特定の役員を非難していると言いがかりをつけられました。

 

当然のことながら、社内での反省会の目的は、“犯人捜し”をすることではなく、未来につなげる教訓を得ることです。失敗が誰のせいかなどの些末なことには誰も関心などないのです。件の説明資料にしても、それだけを読んでも個人を特定することは出来ません。もちろん、本人が読めば自分のことだと分かります。しかし、当の本人ですら、資料の記載内容に“クレーム”していないにも拘わらず、その件に関係の無い人間から文句を言われるというのは、心外以外の何物でもありませんでした。

 

結局、その資料は役員会終了後に回収され、改めて、内容が骨抜きになった資料が最終版として配布されました。本当に馬鹿馬鹿しいことなのですが、意味の無い批判によって真実に蓋をすることもあり得るのですから、無責任な批判は罪が重いと言えます。