和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

余計な一言

退任

先日、私の勤め先の決算発表と役員候補者が発表となりました。私の元上司の役員は退任となりました。

私が役職を下りることを申し出た時、のらりくらりとはぐらかす様な態度をしばらく続けていたのですが、それは、私の後任探しが面倒なだけだったのか、あるいは、自らの手で私を干す機会を逃すことを残念と感じたのか - 今となってはどうでも良いことなのですが、そんなどうでも良いことに限ってふとした拍子に頭に浮かんできます。いずれにしても、当時、上司との軋轢は深まる一方でしたので、もし、私が役職を下りるような状況に無くても、あの上司の下で働いていたなら今頃は仕事を干されて閑職に飛ばされていたことは間違い無かったことでしょう。

 

元上司は異常なまでに自らの評判を気にする人でした。所管する事業の業績が悪化した時、その打開策の検討に腐心するよりも、社内のプレゼンスが低下することを殊のほか気にしていました。

 

上に対しては悪い話ほど早め早めに伝えておくべきなのですが、元上司はそれが出来ませんでした。会社の経営では無く自らの保身に執着する姿勢。それを一昨年交代した新社長に見透かされてしまったのかもしれません。

 

いずれにしても、元上司は役員の中ではまだ“若手”だったので、本人はまさか自分が退任させられるとは想像していなかったことでしょう。

 

上昇志向が高く、人一倍自分の評価を気にしている人でしたが、その裏返しとして他人を評価したがる人でもありました。打合せの最中に、本題とは無関係の役員や他の部署の幹部社員の名前を挙げては、あまり評判が良くないとか、上司との折り合いが悪いなどと噂をまき散らすのが好きでした。

 

私は一度ならず元上司に他人の評判を軽々しく口にすることを諫めてきましたが、最後まで悪い癖は治りませんでした。それどころか、態度が気に喰わない私に対しては事あるごとに評価を恫喝の材料にしていました。

 

もっとも、私のような干されたり拾われたりを繰り返して来た人間にとっては、人事考課は脅しにはなりません。元上司からすれば、私のような自分と価値観の違う人間は気味の悪い存在だったことでしょう。

 

役員の異動が公表された後、なぜか部長から私宛に労いのメールが送られてきました。私が“まき散らした”わけではありませんが、元上司と私との不仲は社内でも知る人ぞ知る話でした。私が役職を下りてその後介護休業で仕事を離れたことも、どこでどのように話がすり替わったのかは知りませんが、降格させられて休職の一歩手前だったと言う噂が流れていました。

 

どこの世界でも人の噂、特に悪い噂は格好の暇つぶしの話題になります。根も葉も無い噂ですが、それを楽しむ人間は存分に楽しめば良いだけの話です。

 

余計な一言

部長の労いメールには、自分もこの一年あまり苦労して来たことと、私と折り合いの悪かった元上司が退いたことで、私の溜飲が下がったのではと言った内容が書かれていました。私にそんなメールを寄越して来たのは、余程伝えたい気持ちが強かったのでしょうが、仕事が忙しいと言っている割には随分とぜいたくな時間の使い方をしているものだと思いました。

 

私はその手のメールには滅多に反応しないのですが、見当違いである旨の短いメールを返しました。

 

私は元上司が役員を退任したことについて慰労の気持ちは無いものの、嘲弄するような気にもなりませんでした。私は役職が下りた日から元上司とは顔も合わせていません。それまでに嫌な思いをしてきたことはありましたが、上下関係が終わればそれまでです。過去のことをいつまでも根に持つほど時間を持て余しているわけではありません。

 

部長が、自分と同様に“留飲を下げた”人間と喜びを分かち合いたかったのだとしたら、それは良い趣味とは言えません。自分の苦手な相手に対しては成功を祈ることは出来ないにしても、失敗を期待することもしてはならないのだと思います。他人の不幸を見ても自分が幸せになるわけでは無いのですから。

 

むしろ、部長のメールは、私にとってはすでに割り切った過去ことをほじくり返すだけの、余計な一言以上の意味を持ちませんでした。

 

世の中には言わなくてもいいことが山ほどあります。誰かに伝えても仕方の無いこと、かえって相手を不快にさせることがあるのです。そんな余計な一言は自分の心の中にそっと仕舞っておくべきなのです。