理想を追い求めて
大学の同期に少し変わった男がいます。たまに開かれる同期会には今まで一度も顔を出したことが無いのですが、忘れた頃に電話がかかって来て飲みに誘われるのです。何とも捉えどころのない男で、仲間と一緒に行動することはありませんでした。私とも特別仲が良かったわけではありませんが、不思議と縁が切れずにここまで来ました。私が海外駐在の間も、思い出したようにメールを送り付けて来て次の一時帰国の予定を聞き出すと、勝手に店を予約して日時を指定してくるような図々しい男でもあります。
彼は二浪、私は一浪なので、私はいつも敬意と揶揄いを込めて、彼を“さん付け”で呼んでいます。彼が学生時代から「早く結婚したい」と口癖のように言っていたのは、自分の姉の子供、すなわち甥っ子が可愛くて、自分の家族を早く持ちたいというのが理由でした。そんな事情を知っていたため、私は彼と会うたびに「まだ結婚しないの?」と聞くのがお約束です。
会うたびにお腹周りが成長している彼でしたが、前回あったのは昨年の秋。やはり未だおめでたい話は聞かせてもらえませんでした。なぜ彼は結婚しないのか。今まで会うたびに何度も聞いてきた彼の言い分を繋ぎ合わせると、こういうことになります。
自分の理想の家庭像というのは、自分の家族。会社員の父、専業主婦の母、少し歳の離れた姉。子供の頃は、学校から帰ってくると家では手作りのおやつを作って待っていてくれる母親がいて、学校の宿題を手伝ってくれる姉がいる。父親は普段はあまり話す時間がないけれど、休みの日には近くの河原でキャッチボールをしてくれる。そんな平凡だけど落ち着けるような家族を持ちたいと思っていた。
母親は料理が得意だけでなく、家事全般を見事にこなす女性。自分もそういう女性と結婚したいと思っていた。会社勤めをするようになってから、何人かの女性と付き合ったが、理想の相手は見つからなかった。
30歳を目前にして、自力で相手を探すことを早々に諦め、結婚相談所に入会した。合コンとかお見合いパーティーのような“軽薄な”ものでは無く、もっと真剣に結婚相手を探したかった。
相談所を退会するまでの約10年間、数十人の女性と会った。最初の頃は何度かデートするくらいに親しくなった相手もいたが、全て自分から断った。理想の女性はなかなか現れなかった。35歳を過ぎたあたりから、会える相手の数が極端に減ってしまった。結婚相談所の相談員からは、自分の理想が高過ぎること、結婚相手は母親代わりではないことを何度も“遠回しに”言われていたが、身にしみて感じるまでに大分時間がかかってしまった。
鏡の中の自分
30代半ばになって、彼はふと気づいたそうです。町で偶然知り合ったのならともかく、結婚相談所に登録している女性があえて年の離れた相手を希望するだろうか。余程の高給取りなら別だが、自分は普通の会社員で収入も平均的。自分が女性だったら、自分のような男を相手にするだろうか。
気がつけば、鏡の中の自分は額も広く目尻の皺も目立つ中年男になっていた。会ってくれる女性の数は減る一方、自分の理想は変わらないまま。これでは結婚相手を見つけられるチャンスは遠退くばかり。分かってはいるけれど、それでも、じきに理想の女性が現れるかもしれないという思いは捨てきれず。
30代はあっという間に過ぎてしまい、40歳になったのを機に結婚相談所を退会することに決めた。自分から積極的に探しに行かなければ、理想の女性は見つからない。
足かせになるこだわり
それから彼は、本格的な婚活に乗り出します。方々のパーティーに顔を出して何人もの女性とデートを繰り返しました。
私は彼から、当時付き合っていた“彼女”を紹介してもらったことがあります。付き合って4か月目と言っていたでしょうか、小柄で華奢な女性でしたが、大柄の彼が尻に敷かれているような感じでした。とても良い雰囲気の2人だったのですが、次に彼と会った時には、彼女と別れた後でした。
別れた理由。彼曰く、彼女に専業主婦になってもらいたいという思いにこだわり過ぎたとのこと。やはり、彼としては自分の母親が理想の女性だったのでしょう。
女性も仕事に生きがいを見出す時代に、家に収まることを強いることは考えが古過ぎると言えます。また、自分の母親を結婚相手の理想とすると、相手がなかなか見つからないのも頷けます。
妥協しない男
彼がぽつりと呟きました。「俺ってマザコンか?」。
私はたった1度だけ彼の自宅にお邪魔したことがあります。まだ学生時代で、深夜アルバイトから自分のアパートに戻ると彼が待っていました。前の晩から私の部屋の前で待っていたと言う彼の足元には、コンビニの袋に入ったビールが数本。部屋に招き入れようとすると、彼は私を遮り、乗ってきた自分の車に私を押し込みそのまま自宅に“連行”しました。
まだ朝の7時を過ぎたばかり。彼が自宅のドアを開けると母親が飛び出してきて、連絡無しに一晩帰ってこなかった息子を咎めましたが、その横にいた私に気づいて口をつぐみました。大学生の母親なのでそれなりの年齢ではありましたが、美人のお母様でした。その日は彼の部屋に上がると、温くなったビールを飲みながら他愛もない話をし始めましたが、徹夜明けの私は缶ビールを1本も空けないうちに寝落ちして、そのままに昼近くまで眠ってしまいました。
後になって彼から、あの夜、当時付き合っていた彼女に振られ、そのまま私のアパートに車を走らせたという話を聞きました。一方の私は彼の失恋話などはどうでもよく(?)、美人の母親の顔しか記憶に残っていませんでした。
家事が得意で美人の母親を持つ息子としては、自分の結婚相手の理想が高くなるのも無理はない気がします。それをマザコンと呼ぶかどうかは別として。
彼は自分の理想が高過ぎることは重々承知していて、そんな理想の女性が目の前に現れることは無さそうだと思っているようですが、妥協して結婚し、後になってから失望するよりも、今のままの方が気が楽なのだそうです。