ホームドラマに憧れて

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理想の家族

自分の人生設計。思い通りに行っている人はそう多くないはず。かつては就職するまでがゴール。勉強していい学校を出れば、いい会社に就職できる。そうすればひとまずは安泰。あとは退職まで会社が面倒を見てくれる。

 

そんな時代であれば、将来の計画も立て易いもの。家を買うのに長いローンが組めたのも、定年まで安定した収入が見込めたからでした。安定した将来が見込めるからこそ、結婚して子供を育てることに不安を感じずに済んだのです。

 

「亭主元気で留守が良い」とは1980年代に流れていたテレビコマーシャルですが、専業主婦としては、旦那はお金を稼いできてくれればそれでよく、日頃は家にいてもらわない方が気が楽で都合がいい、という風刺の利いたキャッチコピーでした。

 

私は最近テレビをあまり見ないので、流行りのドラマには疎いのですが、私が“テレビっ子”だった昭和の時代、ホームドラマに登場する家族は、例えば、父親が稼いで、母親は専業主婦。あるいは、家業を継ぐ父親とそれを支える母親。子供たちは学校が終われば近所の空き地で遊んでばかり。たまに、家計簿を見て今月も赤字だと頭を抱える主婦が登場しても、どこか微笑ましさが感じられたものでした。お茶の間を暗くするようなエピソードにはお目にかかれませんでした。住宅ローンの支払いに喘ぐ大人や、受験戦争に巻き込まれて遊ぶ時間もない子供は登場しません。

 

子供の時分にそんなドラマを見ていると、「ああ、自分も大人になれば、ああいう“普通の暮らし”を送るんだな」と子供心ながら自分の将来を思い描いたものでした。実際、小学生の頃には、友達の家は商店街で商売をしていたり、父親が会社員で母親は専業主婦という家庭がほとんどでした。私たち子供は学校が終われば、外で遊ぶのが普通。中学受験に臨む同級生の方が珍しかった時代です。そんな子供時代を送った私にとって、理想の家族像というのは“昭和の”普通の家族でした。

 

家族の証明

1970年代から80年代にかけて、日本は本当に良い時代にありました。途中石油ショックもありましたが、経済は右肩上がり。零細企業を営んでいた私の父親もその恩恵を受けました。

 

しかし、バブルの崩壊やグローバル化によってその様相は一変します。零細企業だった我が家は、バブル崩壊の予兆の中で事業が破綻しました。家計の収入が絶たれたことで、それまでの家族の団らんに亀裂が入りました。

 

中学から高校にかけて、徐々に不仲になっていく両親を見るにつけ、普通の家族であり続けることは、実は普通のことではないことを実感しました。幸いにして、私の両親はその苦境を乗り切り、父が他界するまで夫婦であり続けることができました。思うに、父も母もお互いに文句を口にするものの、心の底では憎み切れない間柄だったのだと思います。

 

両親の姿を見て、私は家族を持つということに大きな不安を感じていましたが、就職後2年足らずで妻と結婚しました。家族を持つことに不安を感じていたはずなのに、自分でも不思議です。若気の至りだったとは認めたくありませんが、勢いに任せた部分があったことは否めません。

 

結婚して家族になることは簡単なことです。紙1枚の手続きで家族になれます。ところが、家族であり続けるということは簡単なことではありません。小さな芽に毎日欠かさず水を与えることと似ています。水遣り自体は単純な作業ですが、毎日忘れずに行うことは簡単なように見えて簡単ではありません。水遣りを忘れてしまうとやがて芽は枯れ、枯れてしまった芽は2度と吹き帰すことはありません。しかし、毎日大切に育てていくと、幹の太い立派な樹になる可能性もあります。家族であることの証明は、努力して家族であり続けることに他なりません。

 

地道な努力

昭和と令和では、ドラマで描かれる家族像も変わってきているでしょうが、もし、それが自分にとって理想の家族だと思うのであれば、そうなれるような努力が必要です。私も家族を抱える身として、家族の笑顔が絶えない家であり続けることを第一に考えて生きています。

 

高度成長期と比べて、今は住みにくい世の中になってしまったかもしれません。共働きが増え、子供の教育費が上がり、塾に通う子供が増え、親も子も昔に比べて大きなストレスを抱えています。それでも、家族を思う気持ちは昔も今も変わらないはずです。そのような思いがあれば、毎日の水遣りも苦にはならないでしょう。

 

家族にとって必要な水遣りは、会話かもしれませんし、ほんの少しの思いやりかもしれません。お互いを気遣い、一緒に暮らす全員が笑顔で暮らせるように日々努める。そういうことを厭わずにできることこそが、家族の証明なのだと思います。