母の終活
一昨年までは妻と娘2人も一緒に年末年始を母親のところで過ごすのが恒例となっていましたが、昨年は母から「歳も歳だしゆっくり独りで過ごしたい」という話があり、私一人が押し掛ける形で母の顔を見に行って参りました。
母曰く、「部屋の片づけが段々億劫になってきて、娘たち(妻も含めて)に散らかっている家を見せたくない」というのが理由だったようです。身内なのだから気を遣う必要などないと思いましたが、そこは母の思いも理解できました。
さて、母と丸3日過ごした中で、何故か話すことが終活の話題ばかりになりました。これまでは妻と娘たちもいたので、母も辛気臭い話は避けていたのでしょうが、実の息子であれば、余計な遠慮は無くなります。
終活と言っても、母の場合、取り立てて財産があるわけでもないので、話す内容と言っても葬式のことや遺骨の処理のことくらいです。義母(父親の実母)と折り合いが悪かった母は、「父親と同じ墓には入りたくない」、「骨はどこかに巻いてくれればいい」、「遺産(と言っても、今住んでいる古家と土地)はわずかだけれど、兄弟で喧嘩しないように分けなさい」・・・と、“遺言”も大雑把なものです。
私は母に、そういう希望があるなら何か書き留めておいてほしいと伝えました。大した遺産はなく、家と土地を処分する手間を考えれば私は相続を放棄する方がましだと考えているので、遺言状などは必要ありませんが、葬式のあげ方や、訃報の送り先、遺骨の処理など、本人の希望を口頭で聞き置くだけというのは気が引けました。
結局、母の“エンディングノート”は未完で、次に会った時までに書いておくとは言っていました。母はこれまで自分が死ぬことや死んだ後のことを話題にしてこなかったのですが、どういう風の吹き回しか分かりませんが、自分の終活に目覚めたようです。
自分の死に方を考えてみる
そんな話を帰宅してから妻に伝えると、「お義父さんの命日が近いからかもね」と一言。20数年前、上の娘が生まれた翌年の2月に父親は亡くなりました。当時私は駐在中で、父の死の前日にも電話をし、次の一時帰国の時に初孫の顔を見せに行くと話したばかりでした。その翌早朝、父は息を引き取りました。突然の死でしたので、死後のことについて本人の希望など知る由もありません。一通りの葬儀を執り行い、その後菩提寺に納骨をしましたが、これが父の本当の希望だったのかは定かではありません。
そのようなこともあり、母としては自分が死ぬ前に、葬儀などに関して自分の希望を息子に伝えておきたいと思ったのでは、というのが妻の解釈でした。
そこで、妻が思いついたように口を開きました。「私たちも死んだ後のことを決めておいたらどうかしら。いつ死ぬか分からないし」
正月早々、縁起でもないことを言い出す妻に鼻白む私でしたが、言っていることは間違ってはいません。これまで、退職後の老後生活のことまでは頭にありましたが、自分の死後のことまではあまり真剣に考えていませんでした。しかし私もあと10年余りで父が他界した年齢に達することを思うと、そんな先の話ではないのかもしれません。もちろん、そんなに早く死ぬつもりはありませんが。
私たちのエンディングノート
思い立ったら即実践が私たち夫婦のモットー。正月休みでもあり、昼間からワインや日本酒をチビチビやりながら、妻と死後の話題で盛り上がりました。何という年の初めなのでしょう。
酒の勢いを借り(?)、思いつくままに決めておくことを書き出していきます。
一つ一つ真面目に話し合うと意外に時間がかかりそうで、後半の項目に行くに従い、いい加減になってきそうなので、“エンディングノート”はこれから時間をかけて作り上げていくことにしました。
また、夫婦それぞれで、生前知られたくないような秘密も無さそうなので、エンディングノートは連名で作ることにしました。
これから、2人の時間のある時にコツコツと死後のことについて話し合いたいと思っています。
この正月は手始めに(?)延命措置と献体のことを話し合いました。私としては、事故や病気で回復の見込が無い場合には延命措置は不要ということにしたいと思っています。また、死んだ後の体は医学の発展に役立つのであれば、献体も考えたいと思っています。これは全く勉強していないので、これから調べて行かなければなりません。妻は自身について、無用な延命は望んでいない点では私と同じですが、私が病床に伏して回復の見込が無い場合に、妻として自分の夫の延命措置は不要と医師に告げるのは無理と言い、まだ結論が出ていません。
自分の死に方についてあれこれと考え続けるのは、精神衛生上あまり良くなさそうなので、妻とはタイミングを見ながらエンディングノートの作成を続けていきたいと思っています。娘も、自分の父母が死ぬ話ばかりしているのは見ていて気持ちがいいものではないと言っていますので、できるだけ気楽な話題として扱うようにしたいと考えています。