老後生活への備え 心の安定を求めて

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老後生活スタートまでに済ませておきたい準備はいろいろあります。皆さんが真っ先に思いつくのは貯蓄や健康のことだと思いますが、この2つが満たされているからと言って、心の安寧が得られる保証はありません。

 

本能的欲求の鎮まり

諸説ありますが、人間の三大欲求とは俗に「食欲」、「睡眠欲」、そして「性欲」と言われています。そのような欲求は肉体的な成長とともに高まり、その衰えとともに鎮まっていくと考えられます。もちろんこれには個人差があります。私の場合、「食欲」は中学・高校でピークを迎え、20代半ばまでピークが続きました。その後は食事量の減少もさることながら、食べるものの好みも脂っこいものからあっさりしたものへと変わっていきました。最近では、たまに天ぷらそばを食べたりすると胸やけになったりします。「睡眠欲」も今は平均4時間くらいの睡眠時間でちょうどいい感じで、これは若い時の半分程度の時間です。「性欲」の衰えも年相応(?)だと思います。

 

その点、10代の私の頭の中は三大欲求が大きく占めておりました。明けても暮れても食欲、睡眠欲、性欲の3つが場所取りを競い合い、その隙間でもみくちゃにされた「知的好奇心」や「理性」が無理やり受験勉強に頭を振り向かせていたような気がします。

 

やがて、20代から30代、そして40代、50代と年を重ねるに従い、欲求を満たすものが変わってきました。すなわち「食欲」であれば、若い時は“大盛りの店”とか“食べ放題の店”のように胃袋を満たすものから、料理の質や感動を追い求めるようになりました。家での食事も“量よりも質”に変わっていきました。「睡眠欲」も以前はとにかく長く寝ることに執着していましたが、今は如何にしてぐっすりと深い眠りにつけるか、という睡眠の質を考えるようになってきました。その結果、早寝早起きの習慣がつき、夜更かしすることが極端に減りました。

 

欲求の強弱を測ることは困難ですが、私の場合、若い時と比較して明らかに生理的欲求に対する執着は薄れてきています。また、先ほど欲求を量ではなく質で充足するようになってきたと書きましたが、ごく最近は、そのようなこだわりすら消えかかっているような気がします。例えば、食事なども、腹をほどほどに満たすものにありつければいい、というような感じです。

 

話してみると、妻も似たような感じを抱いているようです。昔は休みと言えば、私と妻は1日かけて山や湖などに遠出していましたが、最近は、午前中は家でくつろぎ午後から映画を見たり、神社や寺院巡りをしたりと、余暇の過ごし方も“動”から“静”に移りつつあります。

 

欲求がコップだとすると、コップの大きさが年齢とともに小さくなっていく感じです。それに伴ってコップを満たす水も少なくて済みます。コップに水を満たすための労力が軽減されたことで、いわゆる「欲求不満」になることがほとんど無くなり、精神的に安定した穏やかな状態に達しているのだと思います。

 

不安からの解放

欲望と欲求とは似て非なるものです。コップが水で満たされているにも拘わらず、それに飽き足らずに水を注ぎ続けずにはいられない状態が欲望だと私は考えています。生理的欲求を超えてそのような状態になれば、それは病気でしょう。食欲を例に取ると、生きていくのに必要な食事を摂ってもなお満足できず、胃袋がはち切れそうになるまで、あるいは吐くまで食べ続けたいとなれば、それは欲望ではなく病気です。

 

しかし、人間には際限のない欲望というのもがついて回ります。権力欲、名誉欲、物欲等々。人よりも偉くなりたい、もっと褒められたい、あれが欲しい、これが欲しい。とりわけ、会社などの集団の中で日々競争に晒される人間は、権力欲や物欲(金銭欲)に取りつかれる傾向が強いのではないかと思います。

 

私自身、入社直後は、早く偉くなりたい、もっと給料が欲しいなどと思ったこともあります。そのためには、周りの人間に後れを取ってはならない。残業してでも成果を上げなければならない・・・。しかし、会社の中で多くの人間と知り合い、いろいろな出来事を見聞きしていく中で、そのような出世欲に囚われている自分に虚しさを感じるとともに、自分にとって最も大切なものは、やはり家族だと気づく契機が訪れました。

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昇進や昇給は望むものの、それ自体は目的ではないこと。目的は仕事で成果を上げること。その結果を会社に評価されれば良し。評価されなければそれまで。

 

社内でどれだけ昇進しても、最後は退職して“普通のおじさん”に戻るのだから、会社の役職には固執しない。普通のおじさんになった時の自分の価値を考えて行動する。

 

そのように考え方を変えた途端、気持ちがすっと楽になりました。思えば、若い時分からの生活レベルを維持してきているので、ある程度給料が上がろうが下がろうが、生活に支障が出るわけではありません。

 

会社では私の代わりなどいくらでも見つけられますが、家に帰れば、夫も父親も私以外にいません。首のすげ替えができないのです。そうなれば、私にとってどちらが重要な役割かは考えなくても分かります。

 

地位やお金へのこだわりを捨て、自分が持っている内的なものに目を向けることで、不思議と物への執着(物欲)というものも薄れていきました。これまでは、節約してあれを買おう、これをやろう、など欲しい物ややりたいことのリストがあったのですが、ほとんどがどうでもいいモノに格下げになりました。

 

今思えば、昇進や昇給へのモチベーションを維持するために無意識のうちに自分の目の前に人参をぶら下げていたのかもしれません。そのような欲やこだわりが無くなることで、漠然とした不安や焦燥感から解放されました。

 

知足者富

欲は人が向上しようとする原動力にもなりますが、際限のない欲は苦しみや不安の原因にもなります。生活を豊かなものにするためには、欲望に振り回されることなく、自分が持っている内的価値を見直すということも一考の余地があるのではないでしょうか。

 

これは、“身の程を弁える”、すなわち、“あるもので我慢する”と言う後ろ向きなことではありません。便利なものや様々な誘惑で溢れかえる時代だからこそ、自分にとって本当に必要なものは、実はお金や権力では手に入れることができないということに気づくことが大切なのではないかと思うのです。現役時代もさることながら、老後生活を充実したものにするか否かは、貯蓄額や健康も大事ですが、実は心の持ち方が大きな役割を担っているのではないでしょうか。