ひきこもりの言い訳
中高年の引きこもりが珍しくない時代になりました。
引きこもりの息子の暴力に怯え、老齢の父親がその息子を刺し殺してしまったという事件がありました。加害者が元高級官僚だったことで注目を浴びていますが、事件そのものは痛ましいという言葉だけでは表し切れない暗澹たる気持ちにさせられるものでした。
引きこもりと言っても、事情は様々で一括りに論じることはできませんが、親が何故自分の子供が中高年になるまで引きこもりを認めてきたのか、そこに至る前に何か解決する術は無かったのか、と考えさせられてしまいます。
よく、「好きで生まれてきたわけではない」、「自分を産んだ親が自分の面倒を見て当然」と開き直るタイプの引きこもりがいますが、このような悪態をつく人間でも、最初からそのようなことを思っていたわけでは無いはずです。
生まれてこの方、たった一度でも“嬉しかった”とか“楽しかった”という感情を抱き、この世に生を受けたことに感謝したことがあったのなら、自分の親にそんな口を利くことなどできないはずです。自己の挫折の遠因を親に求めることで、自分は安全な場所に避難することができるからこそ、引きこもりを正当化するのです。もし、自分は生まれてこなければ良かった、好きで生まれてきたわけでは無いと思うなら、自分を産んだ親を憎み、とっくに家を飛び出しているでしょう。そう考えると、引きこもりの言い訳は、問題を先送りし事態打開を拒否するための言い逃れにしか過ぎないのです。
腫物に触るように接する親
私の従兄の話ですが、もう60歳になろうとしている男で筋金入りの引きこもりがいます。大学を卒業後就職して、30歳手前で仕事を辞めて以来、親に面倒を見てもらっています。私はその従兄とは引きこもって以来顔を合わせていません。死んだという知らせが無いので、生きているのでしょう。
従兄は母方の親戚筋では一番の成功者でした。現役で国立大学に合格し、卒業後は大手電機メーカーに就職。しかし、その後誰にも相談無く会社を辞めてしまいました。親にもその理由は分からないそうです。それからは再就職を目指すでもなく、自室にこもったままここまで来てしまいました。同じ屋根の下にいるにも拘らず、親子が顔を合わせることはほとんどありません。食事は伯母が部屋の前まで持って行きます。
私は、親に財力があるのなら、仕事をしない子供が家にいたっていいと思います。どうしても社会生活に馴染めない人間はいます。しかし、仕事をしないで一日中家にいるのであれば、病気でない限り、せめて家族の役に立とうという気持ちは持つべきです。家から一歩も出ない、あるいは出られない人間でも、家の掃除や洗濯くらいしたって罰は当たりません。
それでも伯母は、部屋に閉じこもったままの従兄の面倒を見続けます。伯父は従兄がまだ幼い時に他界しており、伯母が女手一つで従兄を育ててきました。子供がそうなってしまった原因は自分の育て方に原因があると自責の念に苛まれているのかもしれません。親からしてみれば、中高年になっても子供は子供なのでしょう。
子供の引きこもりを容認するのも、勘当して家から追い出すのも、親の躾の範疇かもしれません。中高年にもなって、今更親が躾けるというのも変な話ですが、従兄を約30年間面倒見てきたことで、かえって自活することすらできない男にしてしまったのは確かに伯母の責任です。60歳の男がこれから社会復帰となると、不可能とは言わないまでも、ほとんど望みがありません。
何ができるか考えてみる
だれも好き好んで引きこもりになったわけでは無いと思います。学校でのいじめ、仲間からの孤立、仕事上での挫折など、生きてれば様々な困難に直面します。その時々のちょっとしたきっかけで引きこもりが始まることはあり得ます。私だって、自分に限って、絶対そうはならないとは言えません。私の娘たちだっていつ引きこもりになるやも知れません。したがって、引きこもりになってしまったこと自体を非難はしません。
しかし、いつまでも自分の境遇を憐れんだり、全て他人のせいにしたり、“引きこもり”を正当化する人間には同情しません。親や思いやりのある誰かが手を差し伸べるのを期待してはいけません。現状に変化を起こすためには、自分が動き出さなければならないのです。もし、ほんの些細なことが引きこもりの理由であったとしたら、ちょっとしたきっかけで引きこもりを終えることだってできるかもしれません。
もし、あなたが引きこもりで家から一歩も外に出られないとしても、自室の掃除くらいはできるでしょう。身の回りを片付けることができるなら、まだ活力が残っている証拠です。そうであれば、家族の役に立てることができるのではないでしょうか。家事手伝いだって立派な家族の一員としての役割です。また、今の時代、クラウドワーカーとして家計の手助けを行うことも可能です。自分は何ができるか考えてみる。そして、できることから始めてみる。これがトンネルから出るための第一歩です。