和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

欠員補充

新年度を迎えて一週間が経とうとしています。私の部署には新入社員一名が配属されることになっており、新人研修を終えてゴールデンウィーク前には欠員の穴が一つ埋まることになりますが、それで部署の仕事が俄かに楽になるわけではありません。

新入社員を受け入れる課は、かつては課長以下五名で仕事を回してきました。それが、この三年余りの間に、異動や転職によって減員となり、欠員が補充されないままに今では課長と部下一人になっていました。欠員は他の部署からの兼務で凌いできました。

昨日、新入社員を受け入れる課の課長と話す機会がありました。課長が「新人が仕事に慣れたら、いずれ私の仕事のサポートもしてもらう」と気前の良いことを言ったのは、欠員補充が叶って一安心したからなのでしょう。私は課長の上機嫌に水を差しはしませんでしたが、心中はあまり穏やかではありませんでした。

欠員の補充は喜ばしい話とはいえ、新入社員がすぐに戦力になることなど期待できません。たった一人の部下は、自分の仕事に加えて新人を指導する仕事が増えるわけで、一時的にはむしろ業務負荷が増えることを覚悟すべきなのです。

新入社員からすれば、一回り以上も年上の社員が指導役になります。年齢差による考え方やコミュニケーションの取り方の違いは、ともすれば大きな壁にもなります。

私は悲観的なのかもしれません。しかし、若手社員の転職に歯止めのかからない我が社において、新入社員の受け入れは、ひと昔前よりも一層責任重大で、能天気に浮かれている状況ではないということは知っておく必要があります。

再雇用嘱託の退職

使い勝手

来週から新年度というタイミングで三月の人事異動の追加発令が公表されました。追加されたのは両手で余るほどの自己都合退職者。その半分は定年退職後に再雇用された嘱託社員でした。

六十歳の定年後、本人が希望すれば五年間は嘱託として働ける制度にも拘わらず、年度末の区切りで複数名が自己都合で退職するというのは、私は今まで聞いたことがありませんでした。

ただ、それは私にとって大きな驚きではありません。

数年前から採算性の悪い地方の事業所を統廃合する計画が立てられており、それに伴い地元での新卒採用を中止していました。それ以降、人手不足は本社からの転勤者で回していましたが、今のご時世、単身赴任を嫌う社員は少なくありません。そのしわ寄せを被るようになったのは、独身の社員や再雇用嘱託の社員でした。現場においては、とりわけ経験豊富な再雇用嘱託の社員は使い勝手が良く、そのニーズが高まりました。

 

悪平等

今、会社は単身赴任者へのインセンティブとして手当の復活を検討しています。会社が、「属人的な手当を廃止し」、「給与の平準化を図る」として、単身赴任の二重生活による負担を軽減するための「単身赴任手当」を廃止したのはほんの数年前のことです。

当時、社員の中からも反対の声が多かったにも拘わらず、それを押し切って強行した給与制度の改定でした。お金が全てではなくとも、昨今、単身赴任を忌避する社員が増えているのは制度の改悪と無関係とは言えないような気がします。

“社員は勤務地によって給与に差をつけない”というのは一見もっともらしく聞こえますが、勤務地ごとのハードシップや家族と離れ離れに暮らすことの経済的・精神的な負担を無視すれば、それは処遇の平準化ではなく悪平等になってしまいます。

会社は、転勤や異動に伴う苦労は人事考課に反映すると言いますが、社員の側からすれば、評価の差は見えません。また、今の制度では、会社員としての終盤にどんなに苦労をしても、再雇用嘱託の給与に反映されることはありません。

現役時代より給与が下がった上に、会社員としての最後の数年間、住み慣れない土地で過ごすのは耐えられない社員もいることでしょう。

新年度を迎える直前になって自己都合退職者を公表したのは、会社にとって都合の悪い事実だからなのかもしれません。

折り合い

キャリアのために

以前、ある中堅社員が、育児休業を取得した後に自分の評価が大きく下がったと嘆いていました。それは今まで順風満帆で、同期の中でも出世頭だった彼のプライドを大きく傷つけました。

結局、彼は転職して会社を去って行きました。最後の会話で、彼は「(私のように)家族のためにキャリアを捨てることができなかった」と言いました。

私にとってキャリアとは固執したり捨てたりするものではなく、ましてや“家族のため”に捨てたという意識はありませんでした。

ただ、あの時、彼の誤解を解こうという気持ちが私の中から湧いてきませんでした。彼に自分のことを分かってもらう必要がなかったからです。それは、彼が会社を去り、もはや自分とは関係のない人間だからというわけではなく、誰かに自分の考えを理解してもらうか否かは私に何の影響も与えないからでした。

 

折り合い

おそらく、昔の私だったら、他人の目をひどく気にしていて、自分が誤解されていると思ったら必死でそれを解こうとしていたことでしょう。しかし、他人の目は自分には関係のないことなのです。それに振り回されることに時間を費やすことがどれほど無益なのか、私は身をもって体験しました。だから、私は彼の誤解を解くことをせず、彼の考えに異を挟むこともしませんでした。

キャリアを気にする人にとっては、私の勤め先のように減点主義で、それを挽回する機会の少ない会社では、生きづらいのでしょう。

自分にとって何が大切なのか、何を大切にすべきなのか – それはひとそれぞれです。退職していった彼のような考えも“あり”です。私のように家族との時間を第一にしたいというのも“あり”だと思っています。

詰まるところ、どこで折り合いをつけるかは、誰かに教えてもらうようなものではなく、自分自身で決めるしかありません。