和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

休職期間満了

以前の記事で触れた休職中の同僚が、休職期間満了となり退職します。

lambamirstan.hatenablog.com

 

先週送られてきた彼からのメールには、今月末で退職することと、私からの返信は無用であると書かれていました。二年近く続いた彼とのメールのやり取りは、あっけなく終わりました。

彼は自分なりに職場復帰に向けて格闘していました。仕事を離れてゆったりと心を癒すことが彼にはできなかったのでしょう。彼のメールは、職場復帰への希望と、思うように体調が戻らない焦りが綯い交ぜになっていることが少なくありませんでした。

彼は主治医と相談の上、リワーク(職場復帰)プログラムに参加しリハビリ出社も試みましたが、焦りが高まれば高まるほど復職への道は遠退いてしまいました。

私の周囲だけ病気休職者が増えたというわけではありません。会社が社員のメンタルケアに注力するようになったことで、心のバランスを崩してしまった社員を早めに休ませる方針を取っていることも一因なのだと思います。

それにしても - 残業時間の一層の削減や有休消化率の向上を進める会社の取り組みの甲斐なく、うつ症状の社員が増える傾向にあるのは、職場環境において依然としてストレスの原因となるものが取り除けないまま残っているのだと思います。

今や会社からパソコンや携帯電話が支給され、仕事の持ち帰りが手軽にできるようになりました。在宅勤務は仕事をサボる温床になり得るのと同時に、際限なく仕事にのめり込んでしまう社員の逃げ場をなくしてしまう危険もあります。

ワークライフバランスという言葉とは裏腹に、会社とプライベートの境界が曖昧になって、仕事が境界線から滲み出て私生活を占領してしまうようになれば、普通の精神状態でなくなってしまうのも無理はありません。

社員のメンタルヘルスを良好に保つのは容易いことではなく、働く身としては、会社に多くを期待しない方が良いのかもしれません。仕事のために体を壊しても、会社が自分や家族の一生を面倒見てくれるわけではないのですから、自分の身は自分で守るしかないのです。

謝罪と勝ち負け

「謝って済むなら警察は要らない」という言葉は、私たちの文化に根付いています。確かに、多くの場合、謝罪は問題を解決する第一歩です。しかし、最近の社内を見渡すと、謝罪を「勝ち負け」の一環として捉えられ、頭を下げることを拒む社員が増えているような気がします。もしかしたら、会社の外でも同じような傾向にあるのかもしれませんが、幸いにして私はそのような状況に巻き込まれたことはありません。

 

謝罪は、単なる言葉の羅列ではありません。それは、誠実さ、謙虚さ、そして他者への尊重を示す手段です。謝罪は、過ちを認め、修正するための機会でもあります。それを「敗北」の意味と勘違いして、自分の立場を守ることや自説を曲げないことばかりに拘り、過ちを認めることができなければ、やがて相手にされることもなくなるでしょう。

 

謝罪は、強さと誠実さの証です。謝罪することは、自己中心的な立場を超え、他者の感情や立場を尊重することです。謝罪は、問題を解決するための最初のステップであり、信頼関係を構築するための基盤です。

 

先日、社内の些細な出来事から、若手社員にそんな話をしました。そして、その後で、そんな年寄りの説教をしてしまった自分に気づき、相手に“謝罪”したのでした。

 

しかし、私の本心としては、これからの人に謝罪の大切さを理解してほしかったのです。謝罪は、職場でのコミュニケーションや人間関係を円滑にするためのスキルです。自分の過ちを認め謙虚に謝ることで、成長することができます。

 

謝罪は強さの証です。私は「勝ち負け」ではなく、共感と誠実さを大切にしたいと考えます。

歯がゆい思い

使えない有休

年度末が近づき、人事部からは有休消化を促す“お触れ”が回ってきました。かつて、残業時間“ほぼ”ゼロを達成し、有給消化率も九割を超えた我が部署ですが、それも今は昔。業務量はそのままに欠員が常態化している今の体制では、与えられた有休の半分も使えれば御の字。これから忙しくなる年度末までの間に休みを取る雰囲気ではありません。

欠員が常態化していても、傍から見れば仕事は回っています。いや、仕事が勝手に回ることなどなく、残された部員が少しずつ負担を増やしてなんとか仕事を回しているのです。それは、あくまでも欠員が補充されるまでの間の“辛抱の時期”。しかし、そんな異常事態の中で仕事を続けていれば、やがては疲弊してしまいます。

有休や産休・育休、社員が働きやすい制度は立派に整っていても、周囲に気兼ねなく使えない制度は無きに等しいのです。

 

歯がゆい思い

今の職場のピリピリした雰囲気。たまにしか出社しない私はそれを感じ取ることが出来ますが、上司や同僚はそれほど深刻に受け止めていないようです。

思うに、一人一人が自分のことで精一杯で、隣の席の同僚を気遣うだけの余裕がないのでしょう。仕事を回すことに汲々として、生産性や働きやすさは二の次なのです。

権限のない今の私の言葉は、上司からすれば、暢気な人間の戯言でしかありません。

ほんの数年前に、残業ゼロを達成した部署の顔ぶれはほとんど変わっていません。同じ顔ぶれの組織の雰囲気がこんなにも変わってしまったことに、私は歯がゆい思いを感じつつも何もできないでいます。