和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

折り合い

キャリアのために

以前、ある中堅社員が、育児休業を取得した後に自分の評価が大きく下がったと嘆いていました。それは今まで順風満帆で、同期の中でも出世頭だった彼のプライドを大きく傷つけました。

結局、彼は転職して会社を去って行きました。最後の会話で、彼は「(私のように)家族のためにキャリアを捨てることができなかった」と言いました。

私にとってキャリアとは固執したり捨てたりするものではなく、ましてや“家族のため”に捨てたという意識はありませんでした。

ただ、あの時、彼の誤解を解こうという気持ちが私の中から湧いてきませんでした。彼に自分のことを分かってもらう必要がなかったからです。それは、彼が会社を去り、もはや自分とは関係のない人間だからというわけではなく、誰かに自分の考えを理解してもらうか否かは私に何の影響も与えないからでした。

 

折り合い

おそらく、昔の私だったら、他人の目をひどく気にしていて、自分が誤解されていると思ったら必死でそれを解こうとしていたことでしょう。しかし、他人の目は自分には関係のないことなのです。それに振り回されることに時間を費やすことがどれほど無益なのか、私は身をもって体験しました。だから、私は彼の誤解を解くことをせず、彼の考えに異を挟むこともしませんでした。

キャリアを気にする人にとっては、私の勤め先のように減点主義で、それを挽回する機会の少ない会社では、生きづらいのでしょう。

自分にとって何が大切なのか、何を大切にすべきなのか – それはひとそれぞれです。退職していった彼のような考えも“あり”です。私のように家族との時間を第一にしたいというのも“あり”だと思っています。

詰まるところ、どこで折り合いをつけるかは、誰かに教えてもらうようなものではなく、自分自身で決めるしかありません。

休職期間満了

以前の記事で触れた休職中の同僚が、休職期間満了となり退職します。

lambamirstan.hatenablog.com

 

先週送られてきた彼からのメールには、今月末で退職することと、私からの返信は無用であると書かれていました。二年近く続いた彼とのメールのやり取りは、あっけなく終わりました。

彼は自分なりに職場復帰に向けて格闘していました。仕事を離れてゆったりと心を癒すことが彼にはできなかったのでしょう。彼のメールは、職場復帰への希望と、思うように体調が戻らない焦りが綯い交ぜになっていることが少なくありませんでした。

彼は主治医と相談の上、リワーク(職場復帰)プログラムに参加しリハビリ出社も試みましたが、焦りが高まれば高まるほど復職への道は遠退いてしまいました。

私の周囲だけ病気休職者が増えたというわけではありません。会社が社員のメンタルケアに注力するようになったことで、心のバランスを崩してしまった社員を早めに休ませる方針を取っていることも一因なのだと思います。

それにしても - 残業時間の一層の削減や有休消化率の向上を進める会社の取り組みの甲斐なく、うつ症状の社員が増える傾向にあるのは、職場環境において依然としてストレスの原因となるものが取り除けないまま残っているのだと思います。

今や会社からパソコンや携帯電話が支給され、仕事の持ち帰りが手軽にできるようになりました。在宅勤務は仕事をサボる温床になり得るのと同時に、際限なく仕事にのめり込んでしまう社員の逃げ場をなくしてしまう危険もあります。

ワークライフバランスという言葉とは裏腹に、会社とプライベートの境界が曖昧になって、仕事が境界線から滲み出て私生活を占領してしまうようになれば、普通の精神状態でなくなってしまうのも無理はありません。

社員のメンタルヘルスを良好に保つのは容易いことではなく、働く身としては、会社に多くを期待しない方が良いのかもしれません。仕事のために体を壊しても、会社が自分や家族の一生を面倒見てくれるわけではないのですから、自分の身は自分で守るしかないのです。

謝罪と勝ち負け

「謝って済むなら警察は要らない」という言葉は、私たちの文化に根付いています。確かに、多くの場合、謝罪は問題を解決する第一歩です。しかし、最近の社内を見渡すと、謝罪を「勝ち負け」の一環として捉えられ、頭を下げることを拒む社員が増えているような気がします。もしかしたら、会社の外でも同じような傾向にあるのかもしれませんが、幸いにして私はそのような状況に巻き込まれたことはありません。

 

謝罪は、単なる言葉の羅列ではありません。それは、誠実さ、謙虚さ、そして他者への尊重を示す手段です。謝罪は、過ちを認め、修正するための機会でもあります。それを「敗北」の意味と勘違いして、自分の立場を守ることや自説を曲げないことばかりに拘り、過ちを認めることができなければ、やがて相手にされることもなくなるでしょう。

 

謝罪は、強さと誠実さの証です。謝罪することは、自己中心的な立場を超え、他者の感情や立場を尊重することです。謝罪は、問題を解決するための最初のステップであり、信頼関係を構築するための基盤です。

 

先日、社内の些細な出来事から、若手社員にそんな話をしました。そして、その後で、そんな年寄りの説教をしてしまった自分に気づき、相手に“謝罪”したのでした。

 

しかし、私の本心としては、これからの人に謝罪の大切さを理解してほしかったのです。謝罪は、職場でのコミュニケーションや人間関係を円滑にするためのスキルです。自分の過ちを認め謙虚に謝ることで、成長することができます。

 

謝罪は強さの証です。私は「勝ち負け」ではなく、共感と誠実さを大切にしたいと考えます。