和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

言葉と気持ち

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礼儀作法以前に

自分の思いを正しく相手に伝えることは、コミュニケーションが成立するための根本です。相手に対して感謝の気持ちがあっても黙っていては伝わりません。逆に美辞麗句を並べて感謝の言葉を伝えても、それが本心でなければ、すぐに相手に見透かされてしまうことでしょう。

 

思いを言葉に出さないのは壊れた笛のようなものです。心のこもっていない言葉は空虚な音に過ぎません。思いと言葉が一致した時に、初めて相手に自分の気持ちが伝わるのだと思います。

 

さて、年度が替わり、私の勤め先でも新入社員の研修が始まりました。毎年必ず耳にするのが、「今年の新入社員は礼儀がなっていない」と言う、上からの“お叱り”の言葉です。しかし、しばらくすれば、大体の新入社員は外に出しても恥ずかしくない程度の礼儀作法を習得するものです。

 

本当の問題は、十数年、あるいはそれ以上社会人をやっていて、挨拶もろくに出来ない社員がいることです。礼儀作法以前のことが満足に出来ない相手と良好なコミュニケーションを期待することは無理な話です。

 

親子の間で挨拶やお礼を言ったりするのが気恥ずかしいと言う人もいるかもしれません。身内同士のコミュニケーションについては他人が口を挟むものでは無いので、それでもいいでしょう。大昔の私の上司に、奥さんやお子さんとの会話が無いと言う人がいました。その人は、私や他の部下が何かを報告しても、「ありがとう」や「サンキュー」でも無く、「ああ」とボソッと言うだけでした。私は、自分が役に立っているのか分からず、張り合いの無い中で仕事をしていた記憶があります。

 

私は、むしろ、最も親しいはずの関係だからこそ、家族の中での言葉は大切にすべきだと思います。娘たちには「ありがとう」と「ごめんなさい」は、その状況ですぐに言えるように躾けました。それは、エチケットとしての礼儀作法以前に、社会生活を送る上で必要なことだからです。また、勤め先で感謝や謝罪の言葉を蔑ろにする者が多かったからかもしれません。

 

空気を乱す振舞い

プライベートでも仕事でも、気分良く過ごすためには、その場にいる全ての人間が雰囲気作りに責任があります。職場のチームが良好な状態を維持するためには、そのチームを構成する一人一人がムードメーカーとなる必要があります。

 

出退社時の挨拶や、就業時間中の声掛け。それぞれの部員が順調に仕事をこなしているか、困ったことは無いか、お互いに気遣いながら仕事をするためには、言葉によるコミュニケーションは抜きに出来ません。

 

また、たとえプライベートでどんなに嫌なことがあっても、それを職場に持ち込むことは慎まなければいけません。チームが良い状態で仕事を進めようとしても、たった一人の気分のせいでせっかくのムードをぶち壊してしまうことだってあるのです。負の感情は伝染するのです。

 

かつて、感情の起伏が激しい上司を持ったことがあります。機嫌の悪い時はその顔を見れば一目瞭然。周りの人間は触らぬ神に祟り無しとばかりに、話しかけようともしません。たった一人の気分が職場の雰囲気を支配していました。ましてや、それが、本来ムードメーカーの先頭であるべき立場の人間だと、チームの士気など上がるはずなどありません。

 

人間ですから、誰しも年がら年中、ご機嫌な状態を続けられることは出来ないにしても、自分の感情で職場の空気をかき乱してしまいそうであれば、仮病でも使って休んでしまった方がまだ同僚に迷惑がかからないだけマシです。

 

言葉と気持ち

口から出る言葉は気持ちに引き摺られます。気持ちが重ければ、言葉が出てこないことだってあります。言葉と気持ちは連動しているのだと思います。

 

以前、私が精神的に追い込まれて会社をしばらく休んだことを記事に書きました。

lambamirstan.hatenablog.com

 

体を動かすのも億劫なほど、最悪な精神状態でしたが、妻はそんな私に対して、無理せずゆっくり休むように言う一方で、一緒にいる自分や子供たちへの挨拶だけはするように言いました。

 

一日の始まりと終わり。「おはよう」と「おやすみ」の言葉を交わすことで家族とつながります。同様に、「ありがとう」、「頂きます」、「ご馳走様」など、言葉を誰かに伝えることで、気持ちの方が動かされることを知りました。

 

そんな経験もきっかけの一つだったのでしょうが、私は職場では顔見知りでなくても意識して挨拶するように心がけています。また、部下が、些細な事でもチームや自分のために行ってくれたことに対して感謝の言葉を掛けるようにしています。部下の働きがチームへの貢献になっていることを、思っているだけでは無く、言葉で伝えることが大切なのです。気持ちが言葉となって口から出て行くのであれば、言葉を発することで気持ちが湧き起こることもあるのです。

 

調子が上がらない時、気分が沈んでいる時こそ、自ら発する言葉がそんな心を温めてくれるのだと思います。

他力本願な夢

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語る夢は人任せ

今の時代、テレビのドキュメンタリー番組を真に受ける人はいないと思います。たとえノンフィクションと謳われていても、そこには一定の演出や仕込みがあることを、視聴者は“お約束”として理解した上で楽しむものです。

 

さて、先日私が見たドキュメンタリー番組は、高校を卒業したばかりの青年が上京し、有名レストランで働き始める様子を追ったものでした。青年は、両親が離婚した後、父親も若くして他界し、その後、祖父母に育てられました。彼は、料理人となって店を構えることが夢だと語ります。料理人となることが夢だと言う割には、家では炊事の手伝いすらしてこなかったようでした。修行先での初日、米の研ぎ方すら覚束ない様子に、見ているこちらは不安を感じます。

 

修行先のオーナーや先輩シェフの面々は面倒見が良く、包丁も握ったことが無さそうな青年に一から仕事を教えます。当初彼は、料理の手順をメモしたり、休憩時間を割いて調理師の勉強をしたりと、やる気を見せていましたが、しばらくすると、先輩の叱咤に体がすくみ、やがて仕事を休みがちになってしまいます。

 

オーナーと青年の祖父は元修行仲間で、昔のよしみで青年を雇い入れました。そのような事情から、オーナーは青年を優しく励ましながら仕事を続けさせようとしますが、その思いは伝わらず、ついに青年は夢であるはずの料理人の道を諦めると言い、故郷に帰ってしまいます。

 

私は、青年が先輩から叱られ挫けそうになるのも演出で、彼が修行先で苦労を重ねながら料理人になる夢に向かって歩み始めると言う、予定調和のエンディングを期待していました。そのため、上京した彼が半年も持たずに帰郷し、また、その後、彼を大切に育ててくれた祖父が病死してしまう結末に、何ともやるせない後味の悪さを感じました。傍らで一緒に番組を見ていた妻は一言、「根性無し」とつぶやきました。

 

たしかに、私の目にも彼は根性無しに映りました。番組の様子からは、青年が不当に扱われいる様子は無く、むしろ、彼を大切に育てようと言う周囲の人々の優しさが伝わってきました。先輩が彼を叱りつける場面もありましたが、新入りが先輩に怒鳴られることはよくあることです。それが度を超してはいけませんが、少なくとも番組を見る限り、心が折れてしまうような行き過ぎた対応があったようには思いませんでした。

 

料理人になって店を構えることが夢だと青年は言いましたが、いとも簡単に諦めてしまうものは夢などではありません。それは、ただぼんやりとした期待であって、自分のためにそれを叶えてくれる誰かを無意識のうちに頼っていたのではないかと思います。何不自由無く育ててもらい、“コネ”で就職口まで世話してくれた祖父。その祖父がかつて料理人だったことから、自分も何となく料理人になることを夢想していただけなのかもしれません。

 

叶えたいと思っているだけでは夢は実現できません。周りの人々に縋る前に、自分自身の努力が必要なのです。

 

崖っぷちで仕事をする

昔と今を単純に比較するのは意味の無いことなのかもしれませんが、私が学生時代にしていた様々なアルバイトは、どれも楽しく和気あいあいという仕事はありませんでした。

 

ガソリンスタンド、居酒屋、建築現場、運送業、塾教師。幸いにして、どの職場でもいじめのようなものはありませんでしたが、どれをとっても、始めたばかりの、仕事の段取りすら分からない頃は叱られてばかりです。物を売ったり、サービスを提供したりしてお金を稼ぐ以上、頂くお金に見合った仕事をするのが当然で、きちんとした仕事ができていなければ叱られる、ただそれだけのことです。

 

かく言う私も、アルバイト先で叱られて帰ってきた夜には、内心、辞めたいと思ったことは何度もありました。しかし、ぎりぎりの生活をしていると簡単にアルバイトを辞めることは出来ませんでした。

 

件の青年も、先輩に叱られて、精神的にきついと言うような愚痴をこぼしていましたが、“一人前の料理人になるまでは故郷には帰らない”くらいの強い決意があったなら、結果は違っていたでしょう。番組で映し出された程度のことでやる気を殺がれてしまうようでは、料理人の道だけでなく、どのような職業でも続かないのではないかと心配になりました。それとも、今まで仕事をしたことも無く、要領の悪い初心な青年でも、決して傷つかないように優しく指導してくれる奇特な職場があるのでしょうか。

 

彼にとって幸運だったのは、いつでも祖父母が優しく迎え入れてくれる、帰る場所があったことでした。だからこそ、あれほどあっさりと仕事を辞める決断ができたのでしょう。それは、彼にとって、成長する機会を奪ってしまうと言う不幸でもありましたが、祖母が生きている間は、彼がそれに気づくことは無いのだと思いました。

仕事と家庭 介護休業が始まって

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自分のための介護休業

介護休業に入って1週間が経ちました。妻は、たびたび私に対して、会社を休ませることになってしまい申し訳ないと口にします。休業は、私が後悔しないために自らの判断で決めたもので、誰かに強いられたものでは無いと妻に何度となく説明したのですが、妻は自身を責める気持ちを拭えないでいるようです。妻の闘病を支えるために自分が最大限できること、それを考え導き出した結論であり、それは、自分のための介護休業でもあります。

 

会社に介護休業の申し出をすると決めた時、最初に当時の上司に話をしました。上司の反応は大体予想がついていたので、私は最初から“相談”では無く、自分が決断したことを伝えるだけにしようと決めていました。

 

案の定、上司の口からは、「看病できる身内が他にいないのか」、「これから先のキャリアのことを良く考えろ」と言われました。コロナ禍以前に、私が母親の様子を見に行くために有給休暇を取ることにさえ良い顔をしなかった上司なので、このような反応が返ってくることは承知していました。たかが休業の申請書に印鑑をもらうために、散々嫌味を言われましたが、ようやく上司は根負けして介護休業の申請書に捺印しました。

 

私にとって家族は、仕事や自分のキャリアと比べる対象ではありません。仕事と家庭は無理をして両立させるようなものでは無いのです。私の考えは最後まで上司に理解してもらえませんでした。

 

気がつかなかった重圧

妻の看病と家事に専念できる環境を手に入れられたのは、私の望みであり、自分の願いが叶ったこと自体が私に精神的な安定感をもたらしてくれました。そして、もう一つ、これまで感じていた表現し難い圧迫感が消失したことが、私にとって大きな発見でした。

 

圧迫感が消失して、初めて私を取り囲んでいたものが取り除かれたのだと気がつきました。原因は自分が一番よく分かっています。これまでの約30年間の会社人生で、仕事や人間関係から来るストレスに対峙し耐えることが当たり前の生活を過ごしてきました。まるで、ゆっくりと深海に潜り続けるように、重圧を重圧と感じないよう自分の心を慣らしてきたのだと思います。

 

それが、休業開始を境に重圧が取り除かれました。深海から海面まで急浮上して胸いっぱいに新鮮な空気を取り込むような - 実際にそのようなことをしたら潜水病になってしまいますが - あるいは、見えない拘束具から解放されたような感じでしょうか。突然到来した心の軽さは、戸惑いを産むことにもなります。

 

私は自分のことを仕事人間だと認めたくはありませんでしたが、仕事から完全に切り離されてからも、携帯電話に触れた時やパソコンを立ち上げた直後に、無意識に仕事関係のメールをチェックしようとする自分に気がつきます。これまでの業務は部署の人間に引き継いでいるので、今さら私が心配することなど何も残ってはいないのですが、習慣とは恐ろしいものです。

 

また、介護生活は私の予想していたものであり、差し当たっての不満と言うものは無いのですが、その“不満の無い”状態に対して、気がつくと、何か不足しているものは無いかと自問している自分がいます。不満が無いことに不安を感じるなど、ナンセンス極まりない話ですが、ぼんやりとしたかすかな不安が不意に頭をかすめることがあります。

 

これは、圧迫感が突然消え失せたことに心がまだ慣れていないせいなのか、あるいは、時間的な余裕ができたことで、考える必要も無いことを考えてしまうためなのでしょう。仕事で忙しい時には、余計なことを考える暇も無かったので、他愛も無い心配事が頭に浮かんでくると言うことは、自分は今恵まれた状況にあると言うことなのかもしれません。

 

心は自分勝手

仕事に明け暮れていた頃は、もっと自分の時間が欲しい、家族と過ごす時間を増やしたい、と願っていましたが、こうして、自分の持ち時間を妻のために振り向けられる環境を手に入れると、今度は、この状況を出来るだけ長く続けたいと言うわがままが芽生えます。

 

介護休業は5月末までの予定で会社から承認されています。それまでまだかなりの時間があり、誰かに気兼ねすること無く、妻のリハビリや通院の付き添いを行なうことが出来ます。

 

しかし、私の休業中に妻がどのくらい快復するのか、これから先、仕事に復帰することが最善の策なのか、そのようなことを考え始めると、途端に軽かった心を見えない手によって再び海の底に引き込まれるような感覚に襲われます。

 

妻の看病と家事に専念したい自分と、少し先の将来を気に掛ける自分。二人の自分が葛藤を続けています。ようやく手に入れた精神的な安寧が指の隙間からこぼれ落ちることを恐れ、不安感が頭をかすめているのです。

 

安心や不安は心の持ち様次第なのですが、その心はときに身勝手な振舞いをすることがあります。本心と理性は着地点を未だ見つけられずにいます。