和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

気楽さの中の幸せ

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

塩おにぎりが好き

加齢とともに嗜好が変わるのは、その年齢にならないと分からないものです。若い頃は脂っこいものや濃い味付けのものが好きだった私も、揚げ物を食べた翌朝に、胸やけで目を覚ますようになってからは、あっさりとしたものを好むようになりました。

 

一方で、昔から変わらず好きなのはお米です。朝、少し長めの散歩から帰宅すると、炊き立てのご飯を塩おにぎりにして、漬物を摘まみながら食べるのが私の朝食です。シンプルな食事ですが、これが自分に一番合っているのだと思います。

 

ふと思い出したのが、大学生の頃のことです。家庭教師をしていた中学生がめでたく志望校に合格した時、そこのご家族に食事に誘われました。学生同士では、まず行かないようなレストランでの食事を終え、家路に着いた私は、途中のコンビニでおにぎりと缶ビールを買いました。レストランでは、親御さんを前に緊張していたのと、普段食べなれないものばかりだったので、正直、料理の味はあまり分かりませんでした。アパートの部屋に戻って、おにぎりをビールで流し込むと、ほっとした気分になったことを良く覚えています。

 

今でも、たまに家族で外食をすると、美味しい食事に舌鼓を打ちつつも、何故か帰宅後にお茶漬けが食べたくなってしまいます。家でちょっと手の込んだ料理を作って食べても、最後の“〆”にお茶漬けかおにぎりが食べたくなってしまうのは、それが私の性分に合っているからなのでしょう。

 

かつて、グルメブームと言うものがありました。私もほんの一時期、同僚と評判の店を探して訪れたことがありましたが、本当に美味しい食事も、最初に出会った衝撃を越えることは無く、食べ歩きをすればするほど、満足感は薄れて行きました。

 

私の中のグルメブームは、あっという間に去って行きましたが、それは、自分の家で自分の舌に合ったものを作って食べた方が楽だからでした。

 

質素に生きる

食べ物に限らず、「気が楽」と言うのは私の重要な判断基準です。大人数よりも独りの方が「気が楽」。車よりも電車に揺られた方が「気が楽」。流行に敏感でいるよりも自分の好みを通した方が「気が楽」。

 

自分が楽でいられる時間と空間を求めると、自ずと生活は質素、あるいは簡素になります。私が無駄だと思うのは、嫉妬や虚栄のためにお金を費やすことです。

 

他の誰かの目から見て、自分のことを幸せだと思われること - 羨ましがられること – と、自分が本当に幸せであることは別です。また、自分の目から見て羨ましいと思う人を真似たり追い抜いたと思ったとしても、それで自分の心が満たされるとは限りません。

 

自分の心を満たすものが何かを知らなければ、自分の心を穏やかに保ち続けることは出来ません。他者との比較でしか自分の幸せを測れないとするならば、無駄な時間と無駄なお金を生涯使い続けることになります。

 

嫉妬と虚栄にお金をかけても、その先には虚無しかなく、それは自己満足にも遠い、マスターベーションでしかないのだと思うのです。

 

削ぎ落すべきもの

外面を良く見せたいとか、周囲から羨ましがられたいと言った欲に囚われていると、そのような生活が出来なくなった時の自分がとても惨めに感じられるのではないでしょうか。

 

私は幸か不幸か、会社をクビにならずにここまで来ましたが、知り合いには、リストラされた人も少なくありません。そして、その中には、生活レベルを変えたくないと意地を張っていた人がいました。リストラされたことを周囲に知られたくない、知られるのが恥ずかしいと言う、そんなちっぽけな見栄を張ったがために、彼がどうなったか。

 

転職して収入が減ったにも拘わらず、虚栄に塗れた生活を続けた彼は、やがて消費者金融からの借金で生活を回すようになり、家のローンを滞らせ、あっと言う間に破綻しました。幸い、奥様の実家に転がり込むことが出来たので、一家離散とはなりませんでしたが、そんなことになる前にやるべきことがあったのではないかと、私は思います。

 

収入が減れば、それまでの生活が成り立たなくなることは当たり前です。外面さえ気にしなければ、収入が減ったなりに身の丈に合った生き方もできたのです。

 

転職活動をしている知人の中には、転職先の条件にとして、「生活レベルは落としたくない」と言う人がいます。また、婚活をしている知り合いは、結婚することによって生活レベルを落としたくないと言います。そのような人は、現在ギリギリの生活をしているわけではありません。それでも生活レベルに拘る理由は、他人の目を気にしてるからだと思います。自分自身では無く、他者から見られる自分の姿を気にしているに過ぎないのです。

 

見栄を張ったり、誰かを羨んだりする気持ちを削ぎ落すことが出来れば、もっと楽な生き方が出来るはずです。自分を苦しい立場に追い込んでいるのは、自分の心だと気づいていない人は意外に多いのではないでしょうか。

老後は何をする時間?

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

働けるだけ働く

定年延長の傾向はこれからも続くのでしょうが、仮に70歳が定年になった場合、高校卒業後にすぐ就職すると、50年近く“働き手”として活躍することとなります。それに伴い、老後の時間は短くなります。

 

平均寿命が延びたとしても、健康でいられる時間が延びることにはなりません。リタイア後の余生を充実させたければ、健康に気をつけることはもちろんですが、体力のあるうちにリタイアを決断すること、すなわち、自分の潮時を見極めることが大事だと思います。

 

私の勤め先では、定年は60歳。その後、65歳までは嘱託として働くことが出来ます。私が入社した頃の定年は58歳、嘱託期間は2年で、60歳になると完全にリタイアとなります。当時は60歳が年金の受給開始時期だったので、収入が途絶えること無く老後生活に移行できたわけです。

 

その意味では、完全にリタイアする年齢を65歳としているのは、年金受給時期まで働ける環境が整っていると言え、理に適っています。しかし、65歳から先の人生はどのようなものなのでしょうか。

 

晩婚化が進み、子育てや住宅購入時期が遅くなればなるほど、現役で働き続ける必要が増しますが、その分、余生は短くなります。元気に働いている間は、自分が予期しない病気や怪我に見舞われることなどあまり想像できないでしょうが - 想像したくもありませんが - 加齢とともに“働けなくなるリスク”が高まることは否定できません。

 

働けるだけ働く。でも、働きたくても働けなくなることも頭に入れておくべきだと思います。

 

働く理由

仕事に生きがいを見出している人は、“生涯現役”と言うのも良いでしょう。天職を全うすることを人生の目標にするのは素晴らしいことです。一方で、仕事はほどほどに、老後は自分の時間や家族との時間を大切に過ごしたいと言う人もいると思います。仕事を天職として捉えるか、あるいは、生活の手段として捉えるかで、自分の潮時は変わってきます。

 

私は、何となくぼんやりと就職してしまったので、老後を見据えた人生設計などを真剣に考え始めたのは、妻と結婚してからの話です。定年までに勤め上げると、どのくらいの蓄えが出来るのか、夫婦二人と、もし、子どもが生まれたら、どのくらいの生活費がかかるのかをざっと計算すると、何にどれだけお金をかけることが出来るのかがおおよそ見当がつきます。

 

私たちが結婚した当時は、バブル崩壊後で、給料が右肩上がりと言うのは幻想となり、先行きが見えない時代でした。その意味で、私たち夫婦が派手な生活を避け、貯蓄に励んだのは、漠然とした不安から逃れるための手段だったのだと思います。なぜ働くのか。私たちにとっては、不安を解消するためにしか過ぎませんでした。

 

アーリーリタイアメントと言う発想

「FIREムーブメント」と言う言葉をお聞きになった方もいるかと思いますが、実はそれほど新しいものではありません。“Financial Independence, Retire Early”。出来るだけ若いうちに働いて貯蓄に励み、蓄えた資金の運用益だけで生活できるようになったら仕事を辞めると言う生き方です。低金利の時代の現代では、生活できるだけの運用益を得るためには、相応の元手が必要で、普通の会社員ではなかなか手の届かないライフスタイルだと思います。

 

90年代後半、私は最初の海外駐在で北米の地に移り住み、ファミリータイプの一軒家を借りて新生活をスタートさせました。隣家は私たちよりやや上の年代のご夫婦で、キンダーガーテンに通う女の子が一人と言う家族構成でした。

 

女の子の送り迎えは夫婦が交代で担当しているようで、私が家を出る時間帯に頻繁に顔を合わせるようになりました。その頃、妻は妊娠7か月で、右も左も分からない私たち夫婦に、隣家のご夫婦はファミリードクターを紹介してくれたり、お昼をご馳走してくれたりと、親身に接してくれました。

 

話を聞くと、ご夫婦ともに数年前まで勤めていた会計事務所を退職して、今は不動産の家賃収入と金融資産からのリターンで生活しているとのことでした。私が、アーリーリタイアメントやFIREと言う言葉を初めて知ったのもこの時でした。

 

現在日本で使われている“アーリーリタイアメント”は、一般的な定年の時期よりも少し早く退職するといったイメージではないでしょうか。これに対して、件のご夫婦は、生涯暮らして行けるだけの貯蓄・運用益を人生のステージのかなり早い段階で達成していたようです。 “働いてお金を稼ぐ”段階を出来るだけ早く卒業して、自分だけの時間、家族のための時間を手に入れると言う大きな目標を持っていたのです。

 

積極的なリタイアメント

アーリーリタイアメントと言う発想は、当時の私にとっては、羨ましいとは思うものの、自分とは縁の無い話だと勝手に割り切っていました。また、就職したら定年まで働くのが当たり前、定年後は余生だと思い込んでいたのです。

 

人生の目的、それを達成するために必要な目標・手段。若い頃、将来の不安を拭い去ろうと働き続けてきた私は、50歳に差し掛かってから、ようやく、根本的なことを考え始めたのでした。お金を稼ぎ、蓄えること。本来、充実した人生を送るための手段が、いつの間にか目的になっていないか。人生の本当の目的は何なのか。家族との時間を大切にしたいのであれば、もっと積極的に働くことからの卒業を考えても良かったのではないかと思っています。

最良の一日と最悪な一日

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

一日をリセットする時間と空間

「今日も良い一日だった」と思いながら布団に潜り込めたらどんなに幸せでしょう。

 

数年前までの私は、その日一日を振り返ることをしませんでした。若い時に比べて、家族と向き合う時間は作れるようにはなりましたが、それでも職場でのストレスが全く無くなったと言うわけではありませんでした。良い日も悪い日も、終わったことを考えても仕方ないと思っていました。仕事のある平日は、そのようなことすら考えられず、布団に入ると死んだように眠りにつくような日々を過ごしていたのです。

 

しかし、悪いことが重なって起きている時期に、一日を振り返らずに過ごしていると、消化しきれなかった悪い感情が不意に湧き上がることがあります。

 

結果に納得できなかったことや、反論することを我慢して自分を押し殺したことなど、不満やストレスにふたをしてやり過ごしたとしても、それは自分の心の奥に仕舞われただけで、消えて無くなったわけではありません。結局、そのような自分の深いところに押し込められた感情は、再び水面上に顔を出すチャンスを窺っているのです。

 

私の拙い経験から、未消化の感情をうやむやにしておいても、いずれはそのような感情から目を逸らすことが出来ない時が来ることを知りました。そして、ある時期からは、余程帰宅が遅くならない限りは、寝る前の30分から1時間は、余計な情報をシャットアウトして、内省するための時間に充てるようになりました。

 

順調に行った日でも全てが悪い方向に流れてしまった日でも、布団に入る前に自分の感情と向き合い、自分に嘘を吐いていないか、意地を張っていないか、自分の本心は何を考えているのか、など自問自答することを一日の終わりに行ないます。そのように一日をリセットすることができると、次の日は余計な感情に引き摺られずに過ごせるようになりました。

 

感情の伝播

もちろん、毎日すんなりとリセットできるわけではありません。感情の整理が上手くできなかった翌日は、予想どおりのチグハグな一日になってしまいます。

 

それでも、自分の感情と向き合っていれば、日々の自分をコントロールすることがしやすくなります。すなわち、その場の感情で行動したり発言したりすることが無くなります。

 

気分の波は人に伝播します。自分が不機嫌でいると、家族や同僚に不快な感情が伝わるものです。機嫌の悪い人と一緒にいるとこちらまで嫌な気分になることを知っていれば、せめて自分だけは不機嫌の種蒔きをするのは止そうと考えるのではないでしょうか。

 

自分が気分よく一日を過ごすためには、周囲の人々に不快な思いをさせないことです。感情は伝播します。もし、自分が負の感情をまき散らすようなことをすれば、いずれそれは自分に返ってきます。自分で自分を不快にさせるような原因を作ることを止めれば、良い一日が増えることになると思うのです。

 

踊らされない心

逆に、自分の周りに負の感情をまき散らす人がいたら、どうしたらいいのでしょうか。職場でも学校でも、常に不機嫌の人がいます。何が気に食わないのか、自分が機嫌が悪いことの原因を全て周りに押し付けるような人です。

 

そのような人を見ると、つい諫めたくなります。しかし、私の場合、職場では、自分の監督責任下にある者を除いて、諭したり忠告したりすることは止めました。

 

むしろ、外からの負の感情に晒されても、それに乗らないことを心がけています。不快な言動を注意したり、ましてや売られた喧嘩を買ったりすることなど、誰が得をするのでしょうか。少なくとも自分が得をすることなどありません。嫌な気持ちだけが残り、“良き一日”が台無しになることにしかつながりません。

 

その日を自分にとっての最良の一日にするためには、周囲の人々にとっても最良の一日になるよう、自分自身が良い種を蒔くのと同時に、他者の持つ負の感情に踊らされないように心がけることが肝要だと考えます。