和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

歳を重ねることの価値

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加齢で性格が変わる?

先日、妻の通院に付き合った時のことです。事前予約制の病院でしたが、いつも受付時間どおりに診察が受けられるわけでは無く、15分~20分程度の遅れは当たり前でした。

 

その日、妻と私が待合室のソファで診察を待っていると、60代半ばとみられる男性が、受付のカウンター越しにスタッフの女性を大声で怒鳴り始めました。大きな声でのやり取りなので、その男性と受付スタッフの声が聞くともなしに耳に入ってきます。

 

どうやら、予約時間を過ぎているのに自分が呼ばれないことに立腹している様子。まだ若い受付スタッフでしたが、毅然とした態度で呼ばれるまで待つようにその男性に言いました。恐らく、その物言いが気に食わなかったのでしょう。目上の人間に対する態度を詰った挙句、男性は責任者を呼べとさらに大きな声を上げました。

 

病院を訪れる人々は、大概どこか体の調子が悪いからそこにいるわけで、早く診察を終えて家に帰りたいと言う思いは誰でも同じです。しかし、待合室の混雑の様子から、待たされているのは自分だけではないことは容易に想像がつきます。

 

私の周囲の目上の方々からは、年を取るとせっかちになって嫌だという愚痴をたまに聞きます。持って生まれた性格が、加齢とともにそう簡単に変わることがあるのか。その点については私は懐疑的です。お年寄りの中には、泰然自若とした姿勢を持ち続けている人もいるのですから、気が短いことやせっかちなことを老化現象だけで片づけるのは少し違う気がするのです。

 

命じられる立場から命じる立場へ

私がまだ30代半ばの頃、当時の担当役員と喧嘩になったことがあります。役員会の資料作成の指示があったと思うと、それが出来上がる前に、別の会議の資料を作るよう指示がありました。期限は“すぐに”。そして、数時間もすると催促があります。こちらの説明も、「そんなに時間がかかるわけないだろう」で一蹴。これでは、担当役員の面倒を見るだけで1日が終わってしまい、肝心の主業務に支障が生じてしまいます。そのことを直属の上司に言っても及び腰で役に立ちません。

 

そんな状況が1年余り続き、ついに私はその役員に、資料作りの指示はもっと早めに出してほしいことと、気まぐれで資料作りの指示を出すことはやめてほしいと伝えました。せっかく時間をかけて作った資料が会議で使われなかったことが少なくなかったからです。

 

予期はしていましたが、担当役員の逆鱗に触れてしまった私は、その後しばらく主担当を外されました。それはともかく、当時私が思ったことは、人に指図する側の人間は、部下が日頃どれくらいの仕事を抱えているのかなど気にもせず、自分の指示した仕事がどれほどの時間を要するのか想像すらしません。

指示を受けた側は出来るだけ早く仕上げようと努力しますが、それでも時間はあっという間に過ぎて行きます。指示した側は、待たされる立場なので時間が長く感じます。そのギャップが、上の人間が部下の仕事の進め方を見て、“もたもたしている”とか“気が抜けている”などと見当違いの評価をすることにつながるのだと思います。

 

会社の中で長く働けば、後輩や部下が出来、いつしか自分は実務を行う立場から、指示する立場に変わっていきます。いわば、“待たされる立場”になります。実際に仕事をしている人間の苦労を想像することができれば、闇雲に自分の部下を急き立てることはせず、抱えている仕事や進捗を考えて業務の配分を行うことができるのです。それが出来ない人間は、年を取ると、周囲から気が短いとかせっかちと言われることになるのではないでしょうか。

 

年齢を重ねることの価値

自分に従う人間が増えると、それだけで自分が偉くなったと勘違いする人間がいます。会社では役職が上がり、部や課の長となると部下を持つことになりますが、それは、仕事を進める上での役割の話であって、周囲の人間からの人望とは無関係です。

 

仕事上の権限や人事権を持っていることは、その人間自身の価値とは関係ありません。下の人間から信頼を寄せられる存在になるためには、自分自身を磨く努力をしなければなりません。

 

自分自身を磨くことは、座学だけでは不十分で、様々な分野での成功や失敗など豊富な経験や、その反省を抜きには成し得ないことだと思います。年齢を重ねることの価値は、成長と老化の坂道を上り下りする時間を如何に有効に使うかで決まるのです。

 

その価値を理解できずに年を取ってしまった人間は、組織の役職や、単に年齢を重ねたことだけをもって、自分は敬われて然るべき存在なのだと錯覚してしまうのです。

 

一方で、重ねる年齢に伴って様々な知見を得てきた人は、決して相手の職業や役職、年齢だけを見て態度を変えたりしません。それは、肩書や加齢自体に何の価値も無いことを良く分かっているからだと思います。

 

お年寄りを敬う心は大切にしたいと思いますが、それは、これまで私たちの国を支え、経験から培った知恵を後の者に継承する大切な存在だからです。決して年を取った者が「もっと敬え」と周囲に強要するようなものではありません。敬われるべき存在は、自ら声を上げなくても周囲から敬われるのです。

恥かきの度胸

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人付き合いの名人

私の会社の大先輩でユニークな人がいました。すでに鬼籍に入って5年以上経ちますが、たまにその人のことを思い出すと顔が緩んでしまいます。

 

その先輩は、誰とでもすぐに親しくなれることが特技と言ってもいいくらいで、初対面の人でもあっという間に相手の懐に入っていってしまうような人でした。それが、日本人であっても外国人であっても変わらないところがさらにすごいところでした。

 

他方、先輩は憎めない性格で、下の人間は親しみを持って接するのですが、上司や同僚からの評判はいまひとつ。先輩の、奥様一筋で会社の仕事よりも家庭を大切にする生き方を疎んじていました。思うに、先輩は生まれたのが20年早過ぎたのだと思います。

 

言葉の通じない土地で

さて、ある時、ロシアのある地域の駐在事務所にその先輩が駐在したことがあります。前任者が体調を崩し、急遽後任を探さなければならなかったのですが、社内にロシア語が話せ、事務所の所長を任せられる社員がいませんでした。そこで、会社は窮余の策として、ロシア語の話せる若手社員とその先輩の“ペア”を駐在させることにしました。

 

当時、私の勤め先では、ロシア企業とのビジネスは低調で、駐在事務所と言ってもやることは情報収集だけでした。決して花形の勤務地ではなく、“人気”もありませんでした。ところが、先輩は現地駐在の社命を快諾して、彼の地に飛び立っていきました。当時単身赴任者は半年に一度、帰国休暇を取得することができました。先輩は一時帰国するたびに、元の職場にロシア土産を持って訪れるのですが、同僚からはあまり構ってもらえません。その代わり、若手社員からは暖かく迎えられていました。

 

先輩が駐在してから1年ほど過ぎた頃、先輩と“ペア”で駐在していた若手社員が一時帰国しました。彼は私の二つ下で、奥さんを帯同しての駐在だったので、その時が初めての帰国休暇でした。彼の奥さんは私と同期だったため、彼ら夫婦を招いてぞれぞれの同期数名で慰労会を開きました。その時の彼の土産話が、先輩の現地での活躍ぶりを如実に表していました。

 

先輩はロシア語を全く話せないにも拘わらず、通訳代わりの若手社員と一緒だったため、駐在前の語学学校への通学も許してもらえませんでした。事務所には現地人スタッフが2名。秘書の女性と運転手兼通訳の男性です。事務所の中では英語が話せれば業務に支障はありません。問題は、外部の人間と会う時です。現地人の男性社員が通訳としてついて来てくれるのですが、こちらの発言と相手の発言を正しく通訳しているのか、それを確認するためにはロシア語が話せる必要がありました。そのためにわざわざ会社は若手の彼を一緒に駐在させたのです。

 

最初の頃は、週末の買い物も、彼が先輩のお供について行かないとならなかったのですが、一か月もしないうちに、先輩はひとりでどこへでも出歩くようになったそうです。また、先輩は事務所からほど近いアパートに住んでいましたが、アパートの住人ともすぐに打ち解けてしまったそうです。そして、彼に、隣近所の住人とパーティーをするので、次の週末にアパートに来るように言いました。

 

彼はそんな先輩の話をにわかには信じられませんでした。つい数週間前に駐在してきてロシア語も覚束ない先輩が、こんなにも早くに環境に順応できるはずが無いと彼は思ったのです。大学でロシア語を専攻し、日常生活には不自由しない彼ですら、異国の環境にまだ慣れていませんでした。

 

親しくなるための道具

週末の昼下がり、若手社員夫婦が先輩のアパートを訪ねると、すでに近所の住人を交えて酒盛りが始まっていたそうです。ビールは水代わり、宴が盛り上がれば“ウォッカで乾杯”が延々と続きます。私も数回ロシアを訪問しましたが、宴会の場が盛り上がると、ひとりひとり何かを祝して乾杯の音頭を取らされます。「皆さんの健康を祝して」と言うのはお決まりですが、「日露の友好が続くことを祈って」とか、「誰々の長生きを祈って」など、乾杯のネタであれば何でも良いのです。

 

さて、先輩の様子を見てみると、確かに隣にいる誰かと歓談しているのですが、驚いたことに、日本語と片言の英語、そしてボディランゲージで“会話”をしているではありませんか。若手社員はその不思議な光景にしばし言葉を失ってしまいました。そして話相手もまた、ロシア語と片言の英語で先輩に応じていました。

 

しかし、考えてみれば、アパートの住人が集まっての酒盛りです。正式な会議ではないので、話の内容が正確に伝わらなくても困ることはありません。和気あいあいとした雰囲気作りの方が大切なのです。

 

若手社員は、先輩の振舞いを見て感服したと言いました。お互いに言葉は通じずとも、身振り手振りと片言の共通語でそれなりの意思疎通はできるもの。先輩が気をつけていたのは、会話の流れを止めないことのようでした。

 

たしかに、海外からのお客さんとの懇親会でよくある光景は、言葉のキャッチボールがぎこちないことです。特に上の人間同士で通訳を介してのやり取りとなると、時間がかかる割りに話の内容が薄いことがままあります。これでは本当に親しい間柄にはなれません。

 

恥をかくことを恥ずかしいと思うな

先輩のロシア駐在は3年足らずで幕を閉じました。ロシアとの間で新しいビジネスが立ち上がる話が出てきたため、担当部署から新たに所長が送られることになったからでした。

 

先輩は短い駐在期間でアパートの住人だけでなく、関係省庁の実務担当者とも良い関係を築いていたのです。人脈は人が変われば一から作り直しになります。どんなに前任者が顔つなぎをしても、信頼関係は本人が努力しなければ勝ち得ることは出来ません。

 

その数年後に、ロシアの駐在事務所は閉鎖になりました。先輩があのまま駐在を続けていたら、もしかしたら違った結果になっていたかもしれないと思うと、残念な気がします。

 

思い返すと、先輩はトラブルや失敗に巻き込まれることや恥をかくことを厭わない人でした。仕事の失敗も、上からの叱責も、正面から受け止め、そして、受け流す。恥をかいても、それを後に引き摺らない、大らかさと度胸を持っていました。

 

私は、失敗や恥をかくことを恐れてチャンスを逃してしまった経験がたくさんあります。海外出張の際など、現地の言葉が流暢に使えなかったばかりに、格好良く話せない自分のことばかりを気にして、折角の人との出会いの場を無駄にしてしまったことや、関係の良くなかった上役を避けて仕事を進めようとしたこと。恥やトラブルを正面から受け止めることが出来ていれば、もっと違う自分になっていたかもしれません。

 

そう考えると、恥をかくことを恥ずかしいと思う心を持っていると、大切なチャンスを逃すことになるのではないかと思うようになりました。とは言え、すぐに先輩のようになれるとは到底思えないのですが。

衰えと成長

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鏡の中の自分

私が中学生の頃でした。母親が洗面所の鏡の前に佇み、頭の生え際を指でなぞりながらため息を吐いていました。当時、母は40に差し掛かったばかりでしたが、白髪が気になるようでした。

 

その頃は、自分もそのくらいの年齢になれば白髪が生えてくるのかと、あまり深く考えもしていませんでしたが、自分が30代後半になると、ちらほらと白いものが気になるようになってきました。最初は白髪を見つけるたびに抜いていましたが、次第にそれも億劫になるほど白髪が増え、無意味な格闘は止めることにしました。

 

普段、自分の顔を見るのは髭剃りの時くらいですが、たまに、まじまじと鏡の中の自分を眺めると、年波に晒された中年の顔がそこにあることに愕然とします。

 

自分もそうなら、他人も然り。久しぶりに知人に会った時に相手の風貌が変わっていると、誰でも相応の年齢を重ねるものなのだと感じる一方で、いざ話をしてみると、そこには以前と変わりない知人がいることに安心感を覚えます。

 

外見の変化は抗いようがありませんが、中身の人間はそう簡単には変わりません。もちろん、痴呆症や器質的な疾患で記憶や判断力が大きく損なわれる可能性もありますが、そのようなことがなければ、体がどんなに衰えても中に住む自分は自分なのです。

 

勉強することの意味

体は、生まれてから20代前半くらいまでに成長のピークに達し、やがて、老化と言う坂道を下って行きますが、中の自分は体とは違い、成長し続けるものだと私は思っています。

 

しかし、体が成長し健康状態を維持するために、適度な栄養や運動が必要なのと同じく、中の自分が成長するには学習と経験が欠かせません。

 

学習や経験など、自分を成長させることに資することを大きな意味で勉強と捉えると、人は日々勉強し続ける生き物だと言えます。

 

勉強とは、学校で習うことだけではありません。自分が関心を持った物事に関する知識を習得することや、意図せず遭遇した出来事から後学のために教訓を得ることも含まれます。お金持ちもそうでない人も、年寄りも若者も、1日の長さは変わりません。仕事に追われで“勉強”する時間なんか作れないと言う人もいるかもしれませんが、自分に訪れる何等かの経験は全て勉強につながると考えれば、周囲に対する自分の目が変わってくるのではないでしょうか。

 

選り好みできる知識、避けられない経験

本や映画などは、自分で選んで読んだり見たりできます。知識として吸収したいものは、自分の意思で思い通りにできることがほとんどです。

 

他方、経験と言うのは、選り好みできるものがある一方で、自分の意図しない形で訪れるものが少なくありません。素敵な出会いや、人生の岐路となる出来事に遭遇することもあるでしょう。反対に、受験の失敗、失恋、仕事のトラブル、身内のいざこざ。その最中にある時、人は苦しみ、もがき、逃げ出したい感情に駆られることもあります。

 

選り好みできない経験ですが、自分にとって良い経験も悪い経験も、全て勉強と思うと“経験の仕方”が変わってきます。

 

私は大学受験に失敗して一浪しました。仕事上のトラブルは数知れず。親や親戚との間のトラブルも経験しました。女性に振られたことも一度や二度ではありません。若い頃は、失敗した自分やトラブルに巻き込まれた自分を恥じたり後悔したりするだけで、できればそんな嫌なことは早く忘れたいと思い、黒歴史を記憶の箱に閉じ込めて、二度と思い出さないようにしようと考えるばかりでした。

 

ところが、歳を重ねるにつれて、かつては思い出したくなかった記憶が、不意に懐かしく思えたり、逆に、誰かをやり込めた“誇らしい記憶”が、穴に身を隠したいほど恥ずかしいものに変わったりすることがあります。年をとっても、肉体の中にいる自分は変わらないというのは、思い、考える主体自体であって、その主体は常に成長し続けているからこそ、かつての記憶の受け止め方が変化していくのでしょう。

 

もちろん、事故や事件に巻き込まれたことによるトラウマは、どんなに時間をかけても決して“懐かしい”記憶になどはなりません。ただ、時間をかけ、その後経験する様々なことから、心の傷を少しでも和らげる術を見出す可能性は残されているのではないかと考えるのです。

 

不意に訪れるもの

経験豊富な人とは、どんな人のことを言うのでしょうか。「私は失敗したことがありません。私の言うとおりにしていれば、万事大丈夫です」と言う人の言葉を私はあまり参考にしません。

 

何事も順調にいっている時は、自分を信じられるため、人の意見に耳を傾ける必要を感じません。誰かに縋ろうとするのは、自分が苦境に立たされ、自分のこれまでの経験では困難の泥沼から抜け出せない時ではないでしょうか。

 

そんな時、多くの失敗を経験し、その中から同じくらい多くの教訓を習得した人こそが経験豊富な人なのではないかと思います。

 

私は、務め先でときたま社外講師を招いて経営セミナーを開催する時には、講師の方に必ず失敗談とそこから何を得られたかを尋ねることにしています。失敗から得た教訓を次のチャンスに活かせる人の言うことは重みが違います。

 

不意に訪れるものは大概悪いことですが、いろいろな分野の人々からの失敗談やそれを克服した経験を聞くことによって、自分の身に何か降りかかった時に参考にできる知見を持っておくということは大切なことです。

 

自分が得たものを贈り物に

以前の記事で、自分の死後について書いたことがあります。

 

lambamirstan.hatenablog.com

 

私は、死んで肉体が滅びれば、心や記憶は霧消し、自分はこれまで出会った人々の記憶の中でしか生きることが出来ない。そう考えています。

 

自分がこれまで培った経験を子供や後輩に伝えていくことが、年老いても自分が成長し続けるためのモチベーションなのだと思っています。