和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

恥かきの度胸

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人付き合いの名人

私の会社の大先輩でユニークな人がいました。すでに鬼籍に入って5年以上経ちますが、たまにその人のことを思い出すと顔が緩んでしまいます。

 

その先輩は、誰とでもすぐに親しくなれることが特技と言ってもいいくらいで、初対面の人でもあっという間に相手の懐に入っていってしまうような人でした。それが、日本人であっても外国人であっても変わらないところがさらにすごいところでした。

 

他方、先輩は憎めない性格で、下の人間は親しみを持って接するのですが、上司や同僚からの評判はいまひとつ。先輩の、奥様一筋で会社の仕事よりも家庭を大切にする生き方を疎んじていました。思うに、先輩は生まれたのが20年早過ぎたのだと思います。

 

言葉の通じない土地で

さて、ある時、ロシアのある地域の駐在事務所にその先輩が駐在したことがあります。前任者が体調を崩し、急遽後任を探さなければならなかったのですが、社内にロシア語が話せ、事務所の所長を任せられる社員がいませんでした。そこで、会社は窮余の策として、ロシア語の話せる若手社員とその先輩の“ペア”を駐在させることにしました。

 

当時、私の勤め先では、ロシア企業とのビジネスは低調で、駐在事務所と言ってもやることは情報収集だけでした。決して花形の勤務地ではなく、“人気”もありませんでした。ところが、先輩は現地駐在の社命を快諾して、彼の地に飛び立っていきました。当時単身赴任者は半年に一度、帰国休暇を取得することができました。先輩は一時帰国するたびに、元の職場にロシア土産を持って訪れるのですが、同僚からはあまり構ってもらえません。その代わり、若手社員からは暖かく迎えられていました。

 

先輩が駐在してから1年ほど過ぎた頃、先輩と“ペア”で駐在していた若手社員が一時帰国しました。彼は私の二つ下で、奥さんを帯同しての駐在だったので、その時が初めての帰国休暇でした。彼の奥さんは私と同期だったため、彼ら夫婦を招いてぞれぞれの同期数名で慰労会を開きました。その時の彼の土産話が、先輩の現地での活躍ぶりを如実に表していました。

 

先輩はロシア語を全く話せないにも拘わらず、通訳代わりの若手社員と一緒だったため、駐在前の語学学校への通学も許してもらえませんでした。事務所には現地人スタッフが2名。秘書の女性と運転手兼通訳の男性です。事務所の中では英語が話せれば業務に支障はありません。問題は、外部の人間と会う時です。現地人の男性社員が通訳としてついて来てくれるのですが、こちらの発言と相手の発言を正しく通訳しているのか、それを確認するためにはロシア語が話せる必要がありました。そのためにわざわざ会社は若手の彼を一緒に駐在させたのです。

 

最初の頃は、週末の買い物も、彼が先輩のお供について行かないとならなかったのですが、一か月もしないうちに、先輩はひとりでどこへでも出歩くようになったそうです。また、先輩は事務所からほど近いアパートに住んでいましたが、アパートの住人ともすぐに打ち解けてしまったそうです。そして、彼に、隣近所の住人とパーティーをするので、次の週末にアパートに来るように言いました。

 

彼はそんな先輩の話をにわかには信じられませんでした。つい数週間前に駐在してきてロシア語も覚束ない先輩が、こんなにも早くに環境に順応できるはずが無いと彼は思ったのです。大学でロシア語を専攻し、日常生活には不自由しない彼ですら、異国の環境にまだ慣れていませんでした。

 

親しくなるための道具

週末の昼下がり、若手社員夫婦が先輩のアパートを訪ねると、すでに近所の住人を交えて酒盛りが始まっていたそうです。ビールは水代わり、宴が盛り上がれば“ウォッカで乾杯”が延々と続きます。私も数回ロシアを訪問しましたが、宴会の場が盛り上がると、ひとりひとり何かを祝して乾杯の音頭を取らされます。「皆さんの健康を祝して」と言うのはお決まりですが、「日露の友好が続くことを祈って」とか、「誰々の長生きを祈って」など、乾杯のネタであれば何でも良いのです。

 

さて、先輩の様子を見てみると、確かに隣にいる誰かと歓談しているのですが、驚いたことに、日本語と片言の英語、そしてボディランゲージで“会話”をしているではありませんか。若手社員はその不思議な光景にしばし言葉を失ってしまいました。そして話相手もまた、ロシア語と片言の英語で先輩に応じていました。

 

しかし、考えてみれば、アパートの住人が集まっての酒盛りです。正式な会議ではないので、話の内容が正確に伝わらなくても困ることはありません。和気あいあいとした雰囲気作りの方が大切なのです。

 

若手社員は、先輩の振舞いを見て感服したと言いました。お互いに言葉は通じずとも、身振り手振りと片言の共通語でそれなりの意思疎通はできるもの。先輩が気をつけていたのは、会話の流れを止めないことのようでした。

 

たしかに、海外からのお客さんとの懇親会でよくある光景は、言葉のキャッチボールがぎこちないことです。特に上の人間同士で通訳を介してのやり取りとなると、時間がかかる割りに話の内容が薄いことがままあります。これでは本当に親しい間柄にはなれません。

 

恥をかくことを恥ずかしいと思うな

先輩のロシア駐在は3年足らずで幕を閉じました。ロシアとの間で新しいビジネスが立ち上がる話が出てきたため、担当部署から新たに所長が送られることになったからでした。

 

先輩は短い駐在期間でアパートの住人だけでなく、関係省庁の実務担当者とも良い関係を築いていたのです。人脈は人が変われば一から作り直しになります。どんなに前任者が顔つなぎをしても、信頼関係は本人が努力しなければ勝ち得ることは出来ません。

 

その数年後に、ロシアの駐在事務所は閉鎖になりました。先輩があのまま駐在を続けていたら、もしかしたら違った結果になっていたかもしれないと思うと、残念な気がします。

 

思い返すと、先輩はトラブルや失敗に巻き込まれることや恥をかくことを厭わない人でした。仕事の失敗も、上からの叱責も、正面から受け止め、そして、受け流す。恥をかいても、それを後に引き摺らない、大らかさと度胸を持っていました。

 

私は、失敗や恥をかくことを恐れてチャンスを逃してしまった経験がたくさんあります。海外出張の際など、現地の言葉が流暢に使えなかったばかりに、格好良く話せない自分のことばかりを気にして、折角の人との出会いの場を無駄にしてしまったことや、関係の良くなかった上役を避けて仕事を進めようとしたこと。恥やトラブルを正面から受け止めることが出来ていれば、もっと違う自分になっていたかもしれません。

 

そう考えると、恥をかくことを恥ずかしいと思う心を持っていると、大切なチャンスを逃すことになるのではないかと思うようになりました。とは言え、すぐに先輩のようになれるとは到底思えないのですが。