和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

お金と時間に関する焦り

義姉が手術を受けるという話から、妻の老後資金に対する不安にスイッチが入ってしまいました。

lambamirstan.hatenablog.com

老後資金と老後時間。そのバランスをどのように取るのか。自分たちにとって最適なバランスとは ― 妻の不安が“伝染”したわけではありませんが、私は、この先ずっと生き方と死に方を考え続けるのだろうと漠然と思うようになりました。もちろん、それは行く末を悲観的に捉えるという意味ではありません。妻と私にとって、人生の第四コーナーから先をどう過ごすのがベストなのかを探し求めることになるのでしょう。

将来受け取る年金で生活できる自信のある人にとっては、貯蓄の多寡はそれほど気にならないのでしょうが、現役時代に羽振りよくお金を使っていた人にとっては年金だけでは生活レベルを維持できず、不足分を賄うのに資産運用を続けたり貯蓄を取り崩したりと、お金にまつわる手立てを講じる必要が出てきます。

老後資金の心配を考えだしたら切りはありません。目下の妻の不安は、「介護施設に入居するための資金」ですが、それ以外にもお金の不安はいくらでも出てきます。詐欺に遭ってお金を騙し取られたら。娘たちがお金で不自由するようなことになったら。ハイパーインフレになって年金では到底生活できなくなったら。

つい先日まで妻と私が想定していた「必要な老後資金」。その前提が変わってしまえば、想定している老後資金は不足するのは当然で、不安を最大限膨らませれば、お金はいくらあっても足りないことになります。

他方、私の不安はお金のことよりも、むしろ自分に残された時間に関するものです。人生百年時代とはいえ、健康寿命が飛躍的に延びるわけではないと思っています。たとえ平均寿命が八十代から百代に伸びても、健康寿命が二十年延びることはないでしょう。

平均寿命が延びることは、すなわち、自立的な生活を送れなくなる期間が延びるだけ、と考える私が悲観的なのかもしれませんが、私には九十代の自分が今のように家事をテキパキとこなし、誰の手助けも借りずに気ままな旅行を楽しむことを想像できません。

私たち夫婦のいずれかが介護を必要とし外出も困難になったら ― 少なくとも妻がそのような状態になったら、私ひとりだけが暢気に遊びに出かけたり旅行を楽しんだりというような生活を続けたいとは思わなくなるでしょう。楽しみのためにお金や時間を使いたいと考えてもままならない時がやってくるかもしれません。