和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

ハラスメント呼ばわり

下の娘は自己主張が服を着て歩いているような性格です。自己主張の強さは両刃の剣ですが、妻も私もそれを受け止めて二十数年彼女と過ごしてきました。

学校の先生や学友と衝突を繰り返した高校時代は、私たちは定期的な三者面談以外にも学校に呼ばれることがありました。それでも、妻と私は娘の味方であり続けました。時に場の空気を読めない娘の言動は、周囲に細波を起こすことがありましたが、娘としては悪気があるわけではなく、些細な問題でも黙って見過ごすことができない ― ただそれだけだったのです。娘は先生から煙たがられても、クラスで浮いた存在となっても自分のスタイルを変えませんでした。

大学時代は、娘にとって最高に楽しい時だったのだと思います。コロナ禍の影響でキャンパスに足を運ぶ機会は制限されたものの、海外からの留学生も多く、それぞれにバックグラウンドの異なる学友に囲まれて、多様性をお互いに認めることを是とする環境の中、娘の考え方も受け入れてもらえていたのだろうと想像します。

そして、社会人となった娘は、再び悩みを抱えるようになりました。就職活動の時に、娘が自分の強みと信じていて、娘曰く、会社からも褒められていた「ハキハキして物怖じしない性格」は、今の上司の方には「無遠慮で、礼儀を弁えない」扱いづらい部下と映っているのだと、彼女はそう受け取っています。

先日、娘は上司の方から、とある社内会議での発言を控えるように指示されました。娘としては考え方が違うのであれば、事前に話し合いをしてギャップを埋めることを上司の方に提案したようですが、受け入れられられなかったことに「ハラスメントではないか?」と疑問を呈したそうです。それに対して上司の方は、上席者をハラスメントだと脅すこともハラスメントだと言い返し、結局は取り合ってもらえなかったとのことでした。

もちろん、これは娘から聞かされた一方的な話なので、鵜呑みにはできません。自分の子なので、親の贔屓目もあって「そこまで酷くはないだろう」と思う反面、上司の方としては、「会議の場で、自分と部下との意見の相違が露呈すれば管理能力を疑われかねない」、「お願いだから会議中は大人しくしていてくれ」という切実な思いがあったのかもしれません。全ては私の勝手な想像ですが、上司の方が娘に“激詰め”されている場面を思い浮かべて、その心中を察するのでした。

私の職場でも、部下に“圧され気味”の管理職は少なくありません。部下からの“ハラスメント呼ばわり”は、管理職の悩みの一つです。業務の指示や注意、警告。それらを部下が自分に対しての嫌がらせだと受け取れば全てハラスメントになってしまうのかと言えば、決してそうではありませんが、上に立つ人間にとっては“ハラスメント呼ばわり”は結構堪えます。私も、良かれと思って、仕事ぶりを注意したことに対して、当時の部下から“ハラスメント呼ばわり”されたときにはショックを受けたものです。

娘にそのことを伝えました。今回の一件では、娘も上司の方から“ハラスメント呼ばわり”され、ショックを受けたわけです。そうでなければ、週の半ばに実家に帰ってきて、べそをかきながら親に愚痴をこぼすことなどするはずがありません。

娘の上司の方への対応が「ハラスメント・ハラスメント」に当てはまるのかはともかく、今や、軽々しく「ハラスメント」という言葉を出さない方が良いのかも知れません。その言葉で、お互いに理解し合おうという意欲を失ってしまうような気がします。