和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

イライラとカリカリ

心配事

妻は三年前の手術の後、毎年今くらいの時期に検査を受けています。がんは寛解とはならないものの、薬でコントロールできているようで、主治医の先生からは経過良好と言われています。

今年も検査の日が近づくにつれて、妻が沈みがちになっているのが分かります。万事順調、心配無用 -私の励ましの言葉は逆効果で、かえって妻の不安を煽っているようです。

そんな気配を察してか、下の娘は先週、休みを取って妻を旅行に連れ出しました。転職したばかりで休みの取れない上の娘は、独りで留守番するのは嫌だと言い出し、結局私も居残りさせられることになりました。

 

言い訳

上の娘は転職して以来、イライラしなくなり夜もぐっすり眠れるようになったと言います。料理の手伝いやその他の家事に気が回るようになったのは、自分にゆとりができたからなのでしょう。

たぶん、私もそうなのだと思います。三年前に家事をワンオペでやると宣言した頃の私は、夫や親としての責任のようなものに突き動かされていただけだった気がします。自分が楽しんでいないことを楽しいと思い込ませていたのかもしれません。

だから、ふとした拍子にイライラしている自分に気づくことがありました。一日が終わって、ホッとする時間帯に、明日のことを考えてイライラしたりカリカリしたり。何か原因があるわけではありません。得体のしれない焦燥感や不安感があるだけでした。

仕事で忙しくしていた頃も同じような感覚がありました。週末のひとときに次の週の仕事のことを考えてイライラ、カリカリ。それで何かが解決されるわけではないのに、頭の中は焦りや不安に満たされていました。

おそらく、あの頃の私は必要のない心配事を悩んでみせていただけだったのだと思います。自分は精一杯悩んでいたではないか - 家族の一員としての責任が十分に果たせなかったり、仕事が上手く運ばなかったりした時の言い訳を無意識に作り上げていただけだったのかもしれません。

料理作りの張り合い

料理作りの張り合い

今の家を建てる時に、私の身長に合わせてキッチンを設えてもらいました。「どうせ週末しか料理をしないのに」と文句を言う妻を押し切ってまでそうしたのは、たまの料理作りが私の息抜きになっていて、それを老後の楽しみのひとつにしたいという気持ちが私の中にあったからでした。

 

とはいえ、私は料理の腕に自信があるわけでも特別な拘りがあるわけでもありません。手の込んだ料理は作りません。いつものスーパーでほぼ決まった食材を買い込んで、できるだけマンネリにならないように組み合わせて料理するだけです。

 

今、毎日の食事のメニューは、妻のその日の体調によって決まります。以前は妻の分だけ別に用意していましたが、今は、家族全員同じメニューです。

 

妻のお腹の調子があまり良くなければ、くたくたになるまで柔らかく茹でたうどんやおかゆがご飯の代わりに食卓に並びます。ハンバーグは好きだけど“重い”と言われれば、ひき肉と豆腐を半々にして豆腐ハンバーグが夕飯のメインになります。体調の悪い時でも妻が食事を楽しめるように工夫することに、私は妙な張り合いを感じています。

 

ゆとりの時間

振り返ると、これまで平日のほとんどは妻が夕飯の支度をし、娘たちが小さかった頃は、入浴から寝かしつけまで妻が受け持ってくれていました。

 

帰宅の遅かった私に不平をぶつけていた妻の口からやがて文句も聞かれなくなり、頼りにならない夫をあてにしなくても生活が回るようになった頃に、その頼りにならない夫が病気休職一歩手前となり、妻に余計な負担をかけることになりました。

 

夫婦の間で貸し借りの話をするのは意味のないことかもしれませんが、私は妻に対してとても重い負い目を感じています。

 

今の私が毎日妻や娘たちのために食事を用意することは、苦ではなくむしろ楽しみになっていますが、心の片隅に妻に対する贖罪の気持ちがあります。

 

夫婦そろっての生活があと何年続くか分かりませんが、私の体が元気に動く間はキッチンに立ち続けたいと思っています。

 

今の私の姿は、三年前の自分からは想像がつきません。きっかけは妻の闘病でしたが、私はそれよりもずっと前から、家族と食卓を囲んで穏やかに過ごすことを望んでいたのでしょう。こんな形で時間と心のゆとりを手にしたのは、私の愚かさ故のことですが、せっかくのゆとりの時間を大切にしたいと思います。

通院の付き添い

三週間に一度、妻は抗がん剤の投与を受けています。倦怠感や吐き気、発熱やお腹の不調、それらがようやく治まる頃に次の通院日がやってきます。

 

そんな繰り返しは、そばで見ている私にとってもつらいものでしたが、今は比較的副作用の軽い薬になり、以前に比べると妻の体への負担も和らいでいるように見受けられます。

 

だからと言って、定期的な通院が憂鬱なものであることに変わりはありませんが、妻も私もそれを日常の生活に溶け込ませて、受け入れたふりができるようになりました。そして、副作用が鎮まって体調が快復するつかの間に、好きなものを食べたり小旅行をしたりと、ささやかな楽しみを見出すようになりました。

 

妻は当初、通院付き添いのために私が会社を休むことを快く思っていませんでした。私に「普通にしてくれていればいい」と妻が発した「普通」に私は引っかかりました。

 

風邪気味の妻を置いて出張に出かけたこと。休日の約束を仕事ですっぽかしたこと。仕事以外のほとんどを妻に任せきりにしてきた私の「普通」とは、妻をひとりで病院にやることなのだろうか。妻が過去の私の行ないに対する不満を「普通」という言葉に閉じ込めたのだとしたら、その時すでに私は妻にとって当てにならない同居人に成り下がっていたのかもしれません。

 

夫婦の関係はうまく行っている – そう思っていたのは私の独りよがりだったのか。私は、うまく行っているはずの相手から見放された、あるいは、見放されそうになっている自分に焦りを覚えました。

 

それから早三年余りが経ちました。

 

私が妻の通院の付き添いを続けているのは、妻から見放されそうになったからとか、今までの行ないに対するささやかな罪滅ぼしのためとか、そのような裏の意図があるわけではありません。

 

妻の本心は怖くて聞けませんが、もし、妻が内心、私を頼りにならないと思っていても、すぐに信頼を取り戻すことなど私にはできません。

 

しばらく前まで、私は、自分が妻にしてやれることは何なのかを考えてばかりいましたが、今は妻にしてやりたいことを思うようになりました。通院の付き添いもそのひとつ。後付けの理由かもしれませんが、今の私が心底そう思っているのなら、それでいいことにします。