和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

楽しみな入浴時間

寒い季節、入浴時間は私の楽しみのひとつです。少しぬるめのお湯に肩まで浸かって雑念と戯れているうちに体の芯が温まってきます。以前は肩こりに悩まされていましたが、ゆっくり湯船に浸かるようになってからはそれもだいぶ改善されました。

 

かつて、日々仕事に追われていた頃は、お風呂の時間をもどかしく感じていました。自分だけの、リラックスできる時間のはずなのに、シャワーと一緒に頭の中の考えが流されてしまいそうな感覚に襲われ、カラスの行水で入浴を済ませると、次の日の会議の資料に目を通したり翌週の仕事の段取りを考えたりと、気が休まる暇のない生活を送っていました。

 

心にゆとりがなければ、気を休めることもできず、ますます心のゆとりを失ってしまう – そんな悪循環のうちに、本来楽しいひと時のはずの入浴や食事が面倒で気が重いものになっていました。

 

気が休まらない毎日 – 今だから当時の自分が分かるのですが、その最中の私は、不安や焦燥感に付きまとわれていることをはっきりと自覚していなかったのかもしれません。客観的に自分の置かれている状況を見るゆとりすらなかったのです。

 

仕事のない週末でも“気が休まらない”。翌週のために体力を温存しておきたいと無意識に考えていたのでしょう、何をするのも億劫で、せっかくの自分時間を無為に過ごしていました。

 

今が暇なわけではありません。自分の趣味や家のこと、やりたいことややるべきことはたくさんあって、地球がもっとゆっくり回ってくれればいいのにと思います。

 

それでも、今の忙しさは、自分にとって気が休まる忙しさなのです。忙しいのに気が休まるとは矛盾しているかもしれませんが、他人時間に縛られない忙しさは心の疲弊を伴いません。

 

だから、一日の疲れを癒す入浴時間を楽しめるようになったのだと思います。

娘のホームシック

無駄遣いは授業料

私たちの娘二人には、就職してからある程度の生活費を家に入れさせています。それ以外は自分が自由にできるお金です。お金が足りないと不満を口にする娘たちに、妻は、せめて小遣い帳くらいはつけるように言いますが、娘たちには馬耳東風。

 

娘たちからすれば、やりたいことに対して給料が追いついてこない状態なのでしょうが、若いうちはそんなものでしょう。

 

振り返ってみると、結婚する前までの自分自身のお金の使い方は無駄が多いものでしたが、当時の私が自分なりに考えて使ってきたお金は、全て自己投資と信じていました。

 

娘たちにしても、何年か先になって、今夢中になっているものが色褪せて見えることがあるかもしれませんが、実際にお金を使ってみなければ、自分の心を満たすものとそうでないものは分からない - 後知恵ではありますが、私はそう考えています。若い頃の無駄遣いは授業料なのだと思います。

 

ひとつ屋根の下で暮らしていても、親だからと言っていつまでも子ども扱いしていては、娘たちはいつまでも子どものままです。

 

親としては、娘たちに何かと口出ししたくなりますが、親の説教が逆効果なことは、妻も私も身に覚えがあります。親の過干渉に嫌気がさして家を出て行かれるよりは、娘たちを信じて見守って巣立っていくのを待っている方が親としての精神衛生上好ましいことなのだと、私はそう思うことにしています。

 

娘のホームシック

子どもの頃から成長を見守ってきた親の目には、依頼心の強いのんびり屋の長女に対して、次女は我が道を進むタイプに映ります。二人でいる様子からは、どちらが年上か分からないくらい下の娘はしっかり者に見えます。

 

あの子は自分たちが思っているよりも早くに親元を離れてしまうに違いない。妻と私はよくそんな話をしたものです。

 

先日、娘が一週間足らずの国内出張に出かけることになりました。これまで家族旅行や友人との旅行を楽しんできた彼女でしたが、一人旅は初めての経験でした。ましてや遊びではなく仕事です。

 

出発前から気が乗らなさそうな娘は、出張二日目にして – 妻曰く - ホームシックにかかってしまいました。宿泊先のホテルに帰ってきても、誰も自分を労ってくれるわけでもなく、仕事の愚痴をこぼす相手もいない。たかがそれだけのことですが、娘にとっては心細さや寂しさから、早く家に帰りたいと“べそをかきながら”妻に電話してきたそうです。

 

なんとも子供じみた話に、私は、娘が帰ってきたら揶揄ってやろうかと思いましたが、妻からは「内緒の話だから」と釘を刺されているので、これは妻以外誰も知らない話になっています。

 

大人ぶっていても、まだ子どもの部分が残っているのだとしたら、普段太々しく見える下の娘も、案外かわいいところがあるものだと、親としては妙に安心してしまうのでした。

生きるために生きる

生きがいの向こう側

妻が乳がんの摘出手術を受けてから丸三年が経ちます。がんを全て除去することは出来ず、がん細胞が増え始めたり転移したりする可能性が残るため治療は継続していますが、状態は安定しています。

 

毎年この時期、健康診断の日が近づくにつれて妻は沈みがちになります。五年生存率、十年生存率。自分はいつまで生きていられるのか。妻との会話の端々から、彼女が生への不安と死の恐怖を感じながら生きていることが分かります。そんな妻に、私は励ましや気休めの言葉を見つけられずに、ただそばについていることしかできません。

 

妻の闘病生活を支えてきて、私は生きることをより哲学的に捉えるようになりました。今まで何も考えずに生きてきたわけではありませんが、生きがいの向こう側にある目的を意識するようになりました。

 

三年前の当時も今も、私は妻と寄り添い支えることに生きがいを感じています。それは私自身の励みにもなっているのですが、では、日々生きがいを感じながら暮らしている先に何か目指すものはあるのか – と考えるとよく分からなくなってきます。

 

もちろん、その答えが簡単に見つかるわけではありません。もっともらしい答えのようなものは捻り出せたとしても、たぶんそれは正解ではないのでしょう。そもそも正解などないのかもしれません。

 

生きるために生きる

私は汽車に乗っています。目的地の書かれていない乗車券を手に、同じ車両の乗客と仲良くなったり喧嘩をしたりしながら旅は続きます。

 

同じコンパートメントには、途中下車する客がいる一方で新たに乗り込んでくる客もいて、顔ぶれは変わるものの、車窓の外は同じような風景が流れていきます。

 

私や、私と意気投合した隣席の乗客もいつか途中下車するのは分かっていますが、どの駅で降ろされるのかまでは分かりません。旅が続くにつれ、「もうそろそろ」と思う一方で、もう少し同行者と一緒に車窓からの景色を眺めたい気持ちもあります。いずれにしても、旅の終わりは本人には分からないのです。

 

だから私は、いつ汽車を降ろされてもいいように、旅仲間との会話を楽しみます。途中下車は突然告げられ、お別れの言葉を交わす暇すらないかもしれないのですから。

 

白昼夢なのかある夜に見た夢だったのかはっきりしませんが、私は最近何度か汽車に乗って旅をする夢を見ていたような気がします。

 

目的地のない旅。旅そのものが目的の旅。そんな旅行に時間を費やすのも“あり”なのだとすれば、最愛の人と、できるだけたくさんの時間を共有すること - 生きるために生きることを目的に生きるのも悪いことではないのかもしれません。