和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

心穏やかに

業務終了

今年も残すところあとわずかとなりました。

 

週末は、家族四人で小ぢんまりとクリスマスパーティーを楽しみましたが、今年はどういう風の吹き回しか、娘二人が料理を担当することになり、私と妻は、予約してあったケーキの受け取りとお酒とつまみの買い出しだけで役目が終わったので、とても楽をさせてもらいました。

 

家族全員で年末を過ごすのもいつまで続くか分かりません。親としては、クリスマスなのに娘たちに浮いた話のひとつも無いのは少々気がかりではありますが、そんなことに愚痴をこぼしていては罰が当たります。

 

さて、会社も今年の営業はあと三日で終了。数年前までは、何かと翌年に持ち越しになる仕事があったのですが、今年に限っては先週までに必要な業務は全て終えることが出来たので、気分的にとても楽な最終週を迎えられそうです。

 

私とペアを組んでいる若手社員には、今週は有給休暇を取って休むように勧め、私が最終週の“留守番”をすることにしました。今年の春先から彼は私の相棒として一緒に仕事をするようになりましたが、この半年余りで思いのほか成長したと思います。

 

そのような言い方は上から目線の評価になってしまいますが、私が彼の年齢の頃は、仕事の段取りも悪く、時間をかける割に仕事の成果を得ることがなかなか出来ませんでした。その点、相棒は当初、あまり意欲的でないような雰囲気を醸し出していましたが、担当する仕事に面白味を見出してからは、とても良い仕事するようになりました。

 

今年もいろいろあったものの、結果として年末に心穏やかに過ごせる気分でいられるのは、私の相棒のお陰です。仕事の能力もさることながら、気持ち良く仕事が出来る同僚とは貴重な存在なのです。

 

心穏やかに

妻の治療はまだ続いていますが、それを除けば、今年は下の娘の就職も決まり卒業の見込みも立ったので、来年に持ち越す気がかりも無くなりました。来年の春には、正式に(?)子育てを卒業することになります。

 

この二十数年、親としての務めを果たしたと胸を張って言えるかはともかく、紆余曲折はあったものの、ここまでたどり着けたのは、妻のお陰でもあり娘たちのお陰でもあります。

 

自分の心が平穏なのは、全て自分次第です。とは言え、年越しに際して、さざ波一つ立たない穏やかな気持ちを抱くことが出来ているのは、家族や同僚といった周囲の人々に助けられているからなのでしょう。普段はあまりにも自分に近過ぎて見えなくなっていることこそ、自分に幸せを運んでくれるものなのだと思いました。

体質改善

職業病

毎年十二月に人間ドックを受診することになっていたのですが、今年は予定していた週に酷い風邪をひいてしまったため、年明けに予約を変更してもらいました。

 

以前は、人間ドックは憂鬱なイベントでした。肝臓の数値や尿酸値が高めで、毎回お医者さんからは食生活を改めるよう注意されることがお決まりでした。とは言え、不規則な食事時間や関係先との付き合いなど、“健全な”食生活を送るのは仕事柄無理だと勝手に諦めていました。

 

それが、この二年間で、検査結果の数値だけを見れば、私の体質は大きく改善しました。体重は十キロ近く減り、ほぼ学生時代の体形に戻りました。血液検査や尿検査でも要注意の数値は無くなりました。

 

コロナの感染防止のために酒席が無くなり、在宅勤務が主となったことで、夕食も家族とともに早めに摂る習慣になりました。しかも、我が家の場合は、妻の闘病に合わせて食事の内容も見直したので、結果として私自身の食事のバランスも良くなりました。

 

適切な食事と規則的な食事時間、そして、酒量のカット。これまで、仕事を理由に出来ないと諦めていたことは、案外簡単に出来てしまいました。裏を返せば、肝臓の数値も高尿酸血症も、職業病だと言い訳して原因を取り除こうとしなかった私が悪かっただけでした。

 

体重の壁

とりわけ、私には長い間、“体重の壁”があって、過去、適度な運動を心がけながらも、体重を減らすことが出来ずにいました。私自身、中年の域に達してからは、体重の微増やお腹周りの贅肉がつくのは避けられないものなのだと思っていました。

 

結局、社会人になって三十年も経ってから、運動量を増やすよりも、食事内容と食事時間を見直すことが体重を減らすための最善策だったのだと身をもって証明したのですが、こんな簡単なことに気づかなかった、あるいは、目を背けて来た自分の愚かさに呆れるばかりです。

 

運動と同じく、食生活の見直しもそれが長く続かなければ意味がありません。私の場合も元の不規則な食生活に戻ってしまえば、慢性疾患予備軍に逆戻りです。悪習から抜け出すよりも良習を維持する方が難しいのかもしれませんが、せっかく手に入れた体形と体質を何と手放さないようにしたいと思っています。

ぬくぬく

快復途上

一週間ぶりに仕事に復帰したものの、何となく本調子ではない状態が続いています。倦怠感とまでは言えないものの、仕事をしていても集中力が続かず、小まめに休憩しながらなんとか目の前の業務をこなしています。

 

若い頃なら、風邪は働きながら治すものと言い聞かせて出社したこともありましたが、今は誰かに頼りにされる役を演じるよりも、自分の体を労わりたい気持ちの方が勝っています。鞭打つ体はすでに若くは無く、老体の域に達しています。

 

特に、この一~二年の間、亡くなった知り合いの数が増えたことも私の考え方に影響を与えていると思います。

 

人生の満足度は、決して生きた時間と比例するものでは無いのでしょうが、亡くなった方々と自分を置き換えて考えると、自分はまだやりたいことを全て叶えられたわけでは無く、今この世から消えてなくなる自分を想像することが出来ません。であるならば、もう少しこの体には頑張ってもらわなければなりません。

 

小休止

妻が病に倒れるずっと前のこと。白髪や小じわが気になると言う彼女に、一緒に歳を取っていくのだから、と慰めにもならない言葉をかけたことを思い出しました。

 

お互いの風貌が歳相応に変わっていっても、それで夫婦仲がどうこうなるわけではありません。“共に白髪の生えるまで”一緒に過ごしてこられたわけですから、ここから先はボーナスステージ、歳相応に変わっていくことを楽しめれば良いと気楽に考えていた私でした。

 

元来、怠惰な性格の私が、この二年余りの間、自分の本心とは真逆の生活を送ってきたのは、妻を支えたい一心と、彼女のやりたいことを最優先してもらいたいとの願いからだったのですが、おそらく、心のどこかで自分のための小休止も望んでいたのだと思います。

 

実はとっくに体調は快復しているのに、本調子ではないと感じているのは、気持ちが元の生活に戻ることを拒絶しているのかもしれません。

 

風邪で寝込んでいる間の布団の温もりは、久しぶりに私に時間を気にしない休息を与えてくれました。私は無意識のうちに、ぬくぬくした布団に戻りたいと願っていて、それが気力の充実を妨げているのではないかと考えました。