和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

ぬくぬく

快復途上

一週間ぶりに仕事に復帰したものの、何となく本調子ではない状態が続いています。倦怠感とまでは言えないものの、仕事をしていても集中力が続かず、小まめに休憩しながらなんとか目の前の業務をこなしています。

 

若い頃なら、風邪は働きながら治すものと言い聞かせて出社したこともありましたが、今は誰かに頼りにされる役を演じるよりも、自分の体を労わりたい気持ちの方が勝っています。鞭打つ体はすでに若くは無く、老体の域に達しています。

 

特に、この一~二年の間、亡くなった知り合いの数が増えたことも私の考え方に影響を与えていると思います。

 

人生の満足度は、決して生きた時間と比例するものでは無いのでしょうが、亡くなった方々と自分を置き換えて考えると、自分はまだやりたいことを全て叶えられたわけでは無く、今この世から消えてなくなる自分を想像することが出来ません。であるならば、もう少しこの体には頑張ってもらわなければなりません。

 

小休止

妻が病に倒れるずっと前のこと。白髪や小じわが気になると言う彼女に、一緒に歳を取っていくのだから、と慰めにもならない言葉をかけたことを思い出しました。

 

お互いの風貌が歳相応に変わっていっても、それで夫婦仲がどうこうなるわけではありません。“共に白髪の生えるまで”一緒に過ごしてこられたわけですから、ここから先はボーナスステージ、歳相応に変わっていくことを楽しめれば良いと気楽に考えていた私でした。

 

元来、怠惰な性格の私が、この二年余りの間、自分の本心とは真逆の生活を送ってきたのは、妻を支えたい一心と、彼女のやりたいことを最優先してもらいたいとの願いからだったのですが、おそらく、心のどこかで自分のための小休止も望んでいたのだと思います。

 

実はとっくに体調は快復しているのに、本調子ではないと感じているのは、気持ちが元の生活に戻ることを拒絶しているのかもしれません。

 

風邪で寝込んでいる間の布団の温もりは、久しぶりに私に時間を気にしない休息を与えてくれました。私は無意識のうちに、ぬくぬくした布団に戻りたいと願っていて、それが気力の充実を妨げているのではないかと考えました。