和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

久しぶりの飲み会

管理職になって初めてグループリーダーを務めた時の面々と数年ぶりに顔を合わせました。退職前に送別会をアレンジしてくれたSさんには、落ち着いたらこちらから声をかけると言ったまま、何となく先送りにしたままタイミングを逃していました。

 

先月Sさんから、元部下のひとりが退職するので送別会を開催するので、私は必ず出席するようにとの連絡がありました。これでかつての私のグループ七人のうち、私を含めて五人が“元社員”となります。すでに退職した私がそれを寂しく感じるのは、依然として会社員の習性が抜け切っていないからなのかも知れません。

 

「落ち着いたら声をかける」と言いながら、結局、声がかかるのを待っていたみたいな形となり、何となくばつが悪い思いを引き摺りながら会場の居酒屋に足を運びましたが、いざ懐かしい顔ぶれを見たらそんなことは吹き飛んでしまいました。散り散りになっても皆それぞれに活躍している様子。嬉しさについお酒が進んでしまった夜でした。

 

翌朝、妻からは、寝室が酒臭くて眠れなかったとお叱りを受けてしまいましたが、たまには羽目を外すのも悪くないものだと思いました。

後輩との昼食

元の職場の四年下の後輩から食事の誘いがあり、会社の近くで昼食を一緒にしました。酒好きの相手は飲み会を提案してきましたが、私は会社員時代の延長線上の習慣を避け、明るい時間帯に変えてもらいました。

 

誘いの理由は敢えて聞かなかったものの、仕事を引退した人間をわざわざ冷やかすような暇があるとも思えません。案の定、後輩は早期退職すべきか否か思案中でした。

 

独身の彼は、すでにご両親は鬼籍に入っており、自分のこれからを決めるにあたって妨げになるようなものは少ないはず。退職を躊躇しているのは老後資金の問題なのだろうか ー などと私は勝手な想像を巡らせましたが、それは見当違いでした。

 

彼の、やや冗長で婉曲的な話を私なりに解釈すると、退職して自分の自由にできる時間が増えることよりも、会社という拠り所を失うことへの不安が大きいと言いたかったようです。

 

昔読んだスティーブン・キングの小説の中で、刑務所生活は最初は地獄のようでもやがて慣れて、その生活が長くなればなるほど刑務所に依存するようになってしまい、外での生活に戻れなくなってしまう、というニュアンスのセリフがありました。

 

当時の私は学生で、もちろん、刑務所にご厄介になった経験もなく、ピンとくることはありませんでした。社会人になって、その小説を原作とした映画(邦題『ショーシャンクの空に』)を見てもそれは変わりませんでしたが、三十代から四十代、そして五十代と歳を重ねるにつれ、ふと思い出すそのセリフが自分の中で重くなっていく気がしていました。

 

会社も刑務所と似たようなもの、などとブラックジョークを言うつもりはありませんが、会社員という肩書をぶら下げて生きているうちに、そして、それが長くなるにつれて、失うことへの恐怖心にも似た感覚が湧いてくる人もいるのかもしれません。

 

私は会社員の自分に不満や不安を抱きながらも、金銭的な事情や仕事への責任感とは別の、組織に属している安心感を失いたくないという気持ちが少なからずあったのだと思います。その気持ちを払拭できたのは、たまたま妻の看病や在宅勤務のおかげで自分を見つめ直す時間があったからだけでした。

 

私の話に相槌を打つ相手の表情からは、安堵なのか落胆なのか感情を読み取ることは出来ませんでしたが、そうこうしているうちに食後のお茶も飲み終え、久しぶりの再会はお開きとなりました。

 

久しぶりに訪れた元職場の周辺は再開発工事の真っただ中。目に映る光景もだいぶ変わってしまいました。

間抜け面

夕食の支度をしている私を見ていた娘から、最近の私の顔が“間抜け面”になったと言われて、ショックを受けました。

 

“間抜け面”とは娘の語彙力の拙さ故のことで、険の無い柔和な表情と言いたかったのだろうと良い方に解釈することにしました。

 

瞬間的に顔に現れる喜怒哀楽とは別に、普段の顔つきというものはその時々の精神状態が滲み出るものなのだとしたら、確かに今の私は緊張感や切迫感とは無縁の毎日を過ごしていることは自覚しており、娘の目に映った“間抜け面”は今の私の精神状態をそのまま表しているのでしょう。

 

娘に、以前の私の顔はどうだったのか聞くと、不機嫌にならないように無理をしている様子だったとのこと。退職前の数年、自分としては上手く感情のコントロールが出来ていて、心穏やかに過ごしていたつもりだったのですが、家族には私の心のうちを見透かされていたのでした。