和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

余人をもって(2)

攻めと守り

低付加価値業務の削減や組織スラックの創出は、本来、事業の飛躍のための“攻めの手段”なのだと思います。

 

翻って、私の勤め先で、そのような攻めの手段が有効かと問われれば、必ずしもそうではありません。現有人員は足元の業務を回すのに手一杯です。無駄な仕事の断捨離が実現できたとしても、その効果は人手不足による業務負荷が多少軽減されるに留まるだけでしょう。

 

ようやくマイナスがゼロなるだけでは組織としての余力を生み出すことにはなりません。そのためには、DXやCXの着手を論じる以前に“守り”としての人材確保が先なはずです。

 

どこの部署も年々“所帯”が小さくなっています。かつての“課”は課長以下少なくとも五人程度のグループで構成されていて、年齢のバランスも取れていました。

 

日常の業務では、直属の上司ではなく歳の近い先輩社員が指導役であり相談相手でした。現在、課長一人、部下一人の“課”も珍しくなくなりました。別の部署の社員が兼務となって課としての体裁を整えてはいるものの、部下からすると年の離れた課長が相談相手となります。

 

果たして、直属の上司に自分の弱みを曝け出す部下がどれほどいるでしょうか。同世代の先輩や同僚には打ち明けられる話でも、自分の評価者である人間との間には見えない壁があります。

 

人員構成の裾野が狭まったことで、同じ階層での悩みやアイデアを共有できる同僚が減ってしまったことは、人材流出の直接的な原因ではないにしても、遠因であることに間違いありません。会社が、ボトムアップで高付加価値業務が創出されることを期待しているのであれば、ボトムの階層を厚くしなければなりません。

 

余人をもって

優秀な人材の確保、魅力ある職場作り – 毎年、経営計画で謳われる題目は、それが叶えられないまま状況は悪くなっています。ほとんどの部署で定員割れが常態化していて人の取り合いになっている中で、組織の活性化を目的としたジョブ・ローテーションなどできるはずがありません。

 

私がまだ若くて尖っていた頃、上司に盾突くと決まって「代わりはいくらでもいる」と言われたものでした。今、そんなことを言える部署はどこにもありません。

 

そもそも、組織内で“余人をもって代え難し”などと言えるポジションは稀で、大概、誰かが抜けてもその穴を埋めための“余人”がいくらでもいる – それがかつては当たり前だったのです。

 

恐らくほとんどの管理職は部下に残業させないよう、定員割れの穴埋めを自らの身を削って行なっているのが現状でしょう。現場を任される管理職が恐れているのは、部署が仕事を回せなくなることです。自分がギブアップすればそれが現実のものとなります。

 

余人をもって“代えられる” – 今思えば、若き日の私が上司に文句を言いやすかったのは、自分の代わりはいくらでもいると開き直れる環境にあったからなのでしょう。当時の上司にしてみても、それが本音だったのか脅しだったのかはともかく、部員ひとりの代わりなどどこからでも引っ張ってこれることを知っていたからこそ、部下を突き放すことなど気にすることもなかったのです。

 

代えられる余人がいない中で、社内の閉塞感は高まる一方です。