和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

虚無と充実(1)

夢のその先

私が今の勤め先に入社した頃、海外駐在が目標のひとつでした。今思えば、なんて子供じみた目標を掲げていたのだろうと恥ずかしくなってしまいますが、仕事を知らない若造にとっては、“海外で活躍することイコールカッコいい”と短絡的に考えていたのでした。それが、本来自分が望んでいたことなのだと思い込んでいました。

 

当時の私にはその先を見据えるだけの考えも無く、手段と目的と目標が“一緒くた”になっていて、そのことにすら気づいていませんでした。

 

比較的仲の良かった同期入社の社員は、日頃、「偉くならないと自分のやりたいように仕事が出来ない」と口癖のように言っていました。彼は、入社して五年足らずで会社を去り、ベンチャー企業に転職しました。

 

当時、私は“自分にとってのやりたい仕事”について深くは考えていませんでした。そればかりでなく、十年後、二十年後の、自分の将来像すら思い描けずに、ただ目の前の業務をこなしているだけの毎日を過ごしていました。

 

夢と言う言葉を使うほど大層なものでは無かったにしても、私の大きな目標だった海外駐在が叶ってしまうと、私は次なる目標を見失いました。正直に言うと、見失う対象である目標など無かったのです。“その先”を考えることすらしていなかったのですから。

 

自分の将来像を具体的にイメージ出来ないまま、流されて仕事をしても、自分を利することはなく、むしろ害をもたらすことを私は身をもって経験しました。

 

日常の自分と本来の自分

三十代半ばに体調不良をきっかけに、私は仕事との距離を置くようになりました。承認欲求、上昇志向、上司の評価 - 自分の仕事に対するスタンスは、そんなものとは無縁なのだと考える自分と、“周囲から信頼され仕事を任される自分” を保ちたい自分。知らず知らずに後者に支配され、自分や家族のために割きたい心のゆとりが無くなっていたことに私は気づきました。

 

会社での役職が上がったり下がったりしても、銀行残高が増えても減っても、自分の“こうありたい”姿に影響を与えるものではありません。日常での一喜一憂が、本来の自分が目指すものに影響を与えないのであれば、そもそも、私は一喜一憂してきた対象を間違っていたことになります。

 

以来、私にとって、会社で働くことは生活の糧を得るための手段に変わりました。自己実現の場や“信頼される自分”を演じる場を求めなくなりました。日常の中の“こうあるべき”自分と、本来の“こうありたい”自分を分けることで、自分自身の限界と可能性が見えて来たのだと思います。(続く)