和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

当てに出来ないもの

当てに出来ないもの

バブル崩壊後に就職した私は、入社以来これまで、景気の良さを実感したことがありません。いつかまた景気は戻ると期待しながら、気がつけば定年まで片手で数えられる年齢に達してしまいました。

 

過去に何度か触れましたが、結婚当初に初めて作った家計のキャッシュフロー表は、その後何度か見直しを行なったものの、全て“下方修正”でした。収入は思いどおりには上がらず、ボーナスももらえるだけ有難い、といった感じでした。

 

私が幹部社員になってからのボーナスは、記憶違いでなければ、毎度、「幹部社員減額」として一割から二割減らされました。もらえるだけ有難いとは言え、私の頭の中では、ボーナスなどいつ支給されなくなるか分からない、当てにしてはいけないものになっていました。

 

もっとも、それよりもずっと前から、妻も私も会社の給料が右肩上がりに増えることを諦めていました。

 

定年退職までに得られる収入の合計は、会社員であれば高が知れています。副収入を稼ぐ道や投資で資産を増やす選択肢もありましたが、私たちはそれらを選びませんでした。

 

当てに出来ないものを期待して計画を立てても、結局は画餅に終わってしまいます。他方、出て行くお金は自分たちの責任で管理することが出来ます。

 

共同生活でのお金の使い道を決めるために、お互いの価値観のすり合わせに思いのほか苦労しました。お金の話は兎角生々しく、バラ色の(?)新婚生活から現実世界に引き戻してしまうものですが、それでも、妻はどのように感じていたかはともかく、私としては、結婚当初からお金の話を抵抗なく出来るようにしておいたのは良かったと思います。

 

身の丈

思うに、私は自分の父親の羽振りの良かった時と、小ぢんまりとした終の棲家で晩年を送った時の両方を見て来て、無意識に自分の将来と重ね合わせていたのでしょう。

 

お金に余裕のある時の生活レベルを急に下げることが出来ないのは、自分の両親を見て来てよく分かりました。一度味わった贅沢が贅沢で無くなると、自分の懐事情に合わせて財布の紐を締めるのに大きな抵抗を感じるようです。

 

最低限期待出来る収入の中で、自分たちの身の丈に合った生活を送る – 結婚生活がそれによって窮屈で息が詰まることはありませんでした。自分たちの「足るを知る」こと、得られる収入の使い道にメリハリをつけることで満足感を得る術を自然と学んだのだと思います。