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家計簿と小遣い闘争

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家計簿代行

妻の闘病生活が始まって以来、私が家計簿の管理を担当することになりました。

 

妻は家計簿を手書きでつけることに拘り続けていました。今のご時世、表計算ソフトもあれば、使い勝手の良い家計簿アプリもあるはずなのに、そのような便利なツールには目もくれません。それは、彼女にとって家計簿は文字通り家計を管理するための帳簿であるのと同時にプチ日記の役割も果たしていたからです。

 

私はこれまで何度も日記をつけ始めたことはありますが、一週間と続いた試しの無い人間。日記は責任が持てないので、とりあえず、表計算ソフトで即席の家計簿を作りました。

 

しかし、実際に自分で家計簿をつけ始めると、お金の出入りがなかなか合いません。家計簿など小遣い帳に毛の生えた程度のものと甘く見ていました。

 

我が家にはキッチンの脇に妻が書き物をするカウンターがあるのですが、日々買い物をした時のレシートはその上の小箱に貯めておくことになっています。今までは妻が週末ごとに小箱のレシートを確認しながら家計簿をつけていました。

 

ところが、暢気な私は月末にまとめてやれるだろうと高を括り、月を跨いだ最初の週末に一か月分の、小箱から溢れかえったレシートと格闘しました。これがいけませんでした。月初に下ろしたお金は、使ったお金と手元の残金にピッタリと一致・・・しません。

 

そんな私の様子を見て、妻は私に最低週に一回は家計簿をつけることと、使途不明金は放置しないことを“厳命”しました。最初の月の家計簿は結局帳尻が合わず、“使途不明金”は私の小遣いから補填することで許してもらいました。

 

その後、毎週末私は家計簿をつけ – もちろん、使途不明金の無いことを確認し - 妻は抗がん剤の副作用が抜けた、調子の良い時に私の家計簿をチェックする、と言うのがお決まりとなりました。

 

しかも、妻は、私が表計算ソフトに記帳したものを確認しながら、自分の家計簿に手書きで写して行くと言う、傍から見ると随分と非効率なことをしていました。

 

私はそれを見て、時間の無駄では無いかと、やんわりと言ったことがありましたが、妻曰く、「この時間が楽しい」のだとか。妻にとっては、家計簿をつけることは仕事であり趣味だったのだと、銀婚式を過ぎた今になってようやく気がつきました。

 

 

最近、比較的副作用の強く無い抗がん剤に代わってから、妻の体調の良い日が増えました。これまでは、三週間のサイクルの最初の週は倦怠感と戦い、翌週は白血球の数が少なくなることから微熱や下痢などに悩まされ、最後の週になってようやく普通の体調に戻ることを繰り返してきましたが、今の薬に代わってからは、床に臥せっているのは数日だけになり、頭髪もうっすらと生え始めてきました。肌の調子も良くなったようです。

 

自分の体調が良くなったこともあり、妻は元のように家計簿は自分でつけると言い始めました。もっとも、これまでも、私のつけた家計簿をダブルチェックすると言っては、実質的に家計簿の“つけ直し”をしていたわけですから、なにが変わったわけでも無いのですが、妻からお役御免を言い渡された私は、内心ほっとしました。

 

小遣い闘争

何の自慢話にもなりませんが、私の小遣いは結婚以来ほとんど増えていません。まだ結婚して間もない頃、会社の送別会や忘年会などで出費が嵩んだ時に、家計の交際費から出してもらうように妻に交渉したこともありましたが許してもらえず喧嘩になったことがあります。妻の言い分としては、小遣いには予備費も含まれているのだから、普段から不意の出費に備えて貯金しておくべきとのことでした。

 

夫婦共同で作ったキャッシュフロー表については、別の記事で触れたので重複は避けますが、結婚当初の予定では、二人の小遣いは年々微増することとなっていました。ところが、給料の方は私たちが期待していた通りのカーブを描いてくれません。

lambamirstan.hatenablog.com

 

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毎年四月は、我が家では一足遅れの春闘ならぬ小遣い闘争の時期でしたが、それも結婚してからの数年で幕を下ろしました。

 

思いどおりに昇給しないのだから小遣いの値上げは無理な話、と諦めたと言うよりも、貰っている小遣いの中でやり繰り出来るようになったことの方が大きいと思います。

 

結婚前後はお互いの金銭感覚や価値観が同じ、あるいはかなり近いと感じていましたが、それでもいざ一緒に暮らしてみると、私は妻を“ケチ”と思い、妻は私を“無駄遣い”と嘆き、それぞれのお金の使い方の肌感覚が違うことに戸惑った時期がありました。

 

しかし、一緒に暮らして行く中で、私は妻のお金に対する考え方を理解するようになり、妻も私の考え方に理解を示してくれるようになりました。前向きな受け止め方をすれば、それは「妥協」では無く「歩み寄り」なのでしょう。