和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

もったいない時間への焦り

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

息を吹き返したテレビ

以前の記事で、大晦日の夜にテレビが壊れた話に触れました。

lambamirstan.hatenablog.com

 

そのテレビは駐在から帰国した時に購入したものでした。駐在中にトランクルームに預けてあったものは、機能的には全く問題無かったのですが、地上デジタル放送に対応していない旧式のものだったためにお役御免となり、止む無く買い替えたのでした。

 

今の家に引っ越しした時、娘たちはもう少し大きな画面のテレビが欲しいと私にねだりましたが、問題無く動くものを処分するのはもったいないと思い、壊れるまで使い続けるよう娘たちに言い聞かせました。

 

十年くらいは持つだろうと思っていたテレビが故障したため、娘たちは「待っていました」とばかりに、ネットで新しく購入するテレビの品定めを始め、年明け早々に量販店の初売りに繰り出す準備進めました。

 

ところが、新しいテレビを買うはずだった朝、念のために本当に壊れてしまったのか電源を入れたところ、この三日間うんともすんとも言わなかったテレビが息を吹き返したのでした。

 

待ちに待った大画面テレビが遠のいたことに娘たちはがっかりしていましたが、私は大晦日から年明け二日まで静かな時間を楽しませてもらい、その上、余計な出費を避けられたことで何となく得をした気分になりました。

 

昨年末は、掃除機、炊飯器、加湿器と立て続けに故障に見舞われ出費が嵩みました。加湿器は娘たちよりも“年上”の年代物だったので諦めはつきましたが、掃除機と炊飯器は引越しの際に購入したものだったのでまだ五年足らずしか使っていなかったのです。そのため、テレビまで買い替えることになると思い、内心うんざりしていたのでした。

 

テレビ断ち

未だに年末のテレビの“沈黙”は何が原因だったのか分かりませんが、視聴習慣の無い私にとって、テレビの無い生活はこの上無い穏やかな気分を与えてくれました。いっそのこと、このままテレビの無い生活を楽しむのも一考では、と妻と娘たちに提案したところ、正月はテレビの前でまったりと過ごすのを楽しみにしていたのでテレビの無い生活はあり得ないと強く反対されました。

 

かく言う私もかつてはダラダラとテレビを見ている側でした。朝起きたらテレビを点ける。帰宅したらテレビを点ける。テレビがBGM代わりであり、時計代わりであり – そんな生活を送っていたこともありました。

 

ところが、何がきっかけか忘れてしまいましたが、実は自分がそれほどテレビを楽しんでいないことに気がついた時から見ることを止めてしまいました。とは言え、当初は全くテレビに触れないと言うことでは無く、新聞のテレビ欄で気になる番組や家族から特に勧められたものは録画して後で見るようにしていたのですが、それもやがて億劫になりました。

 

テレビを見る習慣 - と言うよりもテレビの前で過ごす習慣 – が自分の時間を思いの他浪費していることに気がついたことが、私がテレビ断ちをしたきっかけではありました。しかし、一旦そのような習慣を断って、例えば、時間を決めて視聴するとか、特定の番組だけ見るなど、ルールを決めるのが私には出来ません。

 

以前、禁煙では無く節煙をしようと思い立ったのですが、日に5本、と自分にルールを課すのが面倒になり、結局はたばこを止めてしまいました。テレビも同じで、ちょっとだけ楽しむと言うのが私には面倒で、かえってストレスになってしまい、テレビそのものを遠ざけることにしたのです。今では家族から勧められた番組に付き合う程度です。融通が利かない不器用な私の性格が幸いしたと言うことにしておきましょう。

 

無駄な時間に気づく時

誰でも平等に持っているはずの一日24時間ですが、無駄とは言わないまでも、もっと別のことに使えるはずなのにと思える時間があります。私にとってそれは、通勤時間であり、テレビの視聴時間です。移動中は大体読書に充てることが多いのですが、願わくは、読書は静かなリラックス出来る場所で楽しみたいものです。テレビも習慣化していた頃は、大した内容でも無い番組を惰性で見ていましたが、そんな時間の潰し方をするくらいなら、自分のためになる趣味や勉強に使えるはずでした。

 

結局、生きた時間を過ごすか否かは自分次第なのです。若い時には、時間が無いと言っていた割には実は無為に過ごしていた時間が多かった気がします。歳を重ねるにつれて、無駄な時間が気になって焦り始めた結果、そのような時間を“生きた時間”にする過ごし方が見えて来たのだと思います。

 

そんな話を娘たちにしようと思ったこともありますが、思い止まりました。年寄りから見れば、なんてもったいない時間の使い方をしているのかと思うことでも、若い人たちにとってはそれが大切なひと時かもしれません。後で振り返って、無駄なことをしていたと後悔しても良いのだと思います。若い時の時間の使い方は若い時にしか出来ないのですから。そんな無駄な時間の使い方に気づく時が彼女たちにもやって来るのでしょう。