和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

努力と無理 (2)

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囚人の穴掘り

入社後の最初の職場で、誰もが遅くまで机にかじりついている様を見て、私は、仕事とはこういうものなのだと思うようになりました。地方の事業所勤務の時はそれほど酷くはありませんでしたが、本社勤務になってからは、終電の時間までの残業は当たり前。たまに仕事を早く切り上げられた時は上司や先輩に連れられて夜の街に繰り出す – そんな風にして、私も会社人間の道を歩んできました。

 

家族よりも上司や同僚といる時間が長くなると、大切にしなければならないはずのプライベートは隅に追いやられ、仕事が生活の中心になります。上司からの期待、「自分で選んだ仕事」と言う足かせ。その一方で、長時間労働による肉体的な疲労と、納得できない仕事をやらされている自分への嫌悪感が蓄積して行きました。そうやって体と心に無理を強いた結果、私は30代半ばで限界に達してしまいました。

 

「無理」は、仕事の量だけでは無く、職場での人間関係、社風・企業文化と自分の思いとのギャップなど、様々なものから押し寄せてくるストレスの総体です。そのようなストレスが澱のように積もった結果、私は、ギブアップしてしまったのです。

 

もちろん、心の変調に至る経緯や理由は人それぞれなので、今、職場でメンタルの不調で休職中の社員をひとまとめに論じることは出来ません。

 

しかし、私の経験から言えることは、職場や仕事に生きがいや張り合いを求める自分がいる一方で、成功体験を得られない仕事を繰り返し続けることは、大きなストレスになりました。それは、業務の量的な圧迫感とは異なります。達成感をもたらさない仕事の繰り返しが、囚人の穴掘りのような懲罰的なものに感じられるようになるのです。

 

長期休養から復帰した私は、職場に過度の期待は持たないことと、もし、自分が部下を持つ身になった時には、部下に自分と同じ思いはさせたくないと漠然と考えるようになりました。

 

努力と無理

それから十数年経ち、会社も様変わりしました。しかし、それは決して良い方向にではありませんでした。

 

私が海外駐在から本社に復帰した頃の会社の状況は、貴重な戦力になるはずの年齢層が抜けて行き、中途採用による補充もままならず、不足した労働力の補填はそれぞれの部署任せ – そのような有様で、それは現在も変わりません。一般社員の時間外労働の上限が年々低くなる中、しわ寄せは中間管理職に来ることになり、彼らは疲弊して行きます。

 

現に、私の部署でも、一般社員が就業時間内に処理しきれそうにない仕事は、課長や部長が行なって何とかやり繰りをしていました。そうなると、本来管理職が行なうべき管理業務や企画立案のための時間が削がれてしまいます。

 

私が若手社員の頃、片づけられなかった仕事を、土日に出社してこなしていたことがありました。それが今や、週末のオフィスには若手社員の代わりに、幹部社員の姿が多く見られるようになりました。いくら「仕事はお金を稼ぐため」と割り切っていた私も、仕事が片付かなければ土日を潰して対応する以外にありませんでした。

 

平日は部下の仕事を手助けし、週末に本来の自分の仕事を片付ける。私も部下の課長二人も肉体的にも精神的にも疲れが溜まっていましたが、私は部下二人を励まし続け、何とか仕事を回している状態でした。

 

コロナ禍で在宅勤務が本格的に開始される前年、私は帯状疱疹や排尿障害を患い、滅多にひいたことの無い風邪をひくなど、明らかに体調がおかしくなっていました。二人の課長も時折通院のために休みを取っていました。

 

あの時、在宅勤務が導入されたことは不幸中の幸いでした。そして、私が自分の大きな過ちに気づいたのも在宅勤務がきっかけでした。無駄な会議や打ち合わせが減り、必要な会議も極力短時間で行うようにしたところ、使える時間が増えました。それによって一般社員の作業も捗り、管理職は管理の仕事に専念しやすい状況になりました。

 

本来であれば、在宅勤務の開始などを待たなくても行なうことが出来た工夫でした。私は目先の仕事をこなすことしか考えずに、効率化に気が回らなかったのです。日頃部内では合理化や工夫を促していた管理職としては汗顔の至りでした。

 

そして、もう一つの私の過ちは、部下を励まし続けたことでした。誰かから期待されて気分を害する者はいない – そう考えた私でしたが、励ましの声が、相手にしてみれば自分を追い詰める言葉になっていたかもしれないと言うことまで思いが至りませんでした。

 

何故、私は部下に休むように言わなかったのか、必要な努力と無理をすることは違うのだと学んだはずなのに、私は、また同じ過ちを、しかも自分の部下に対してしていたのです。

 

仕事をしていると、多少の無理は仕方無いと思う時があります。また、自分が出来る“多少の無理”を、無意識のうちに同僚や部下にも期待してしまうことがあります。励ましの言葉は、相手に無理強いを迫る刃にもなるのです。

 

必要な努力は怠らない、しかし、無理はしない。自分を大事にする。忙しい時ほど見失いがちなとても簡単な、そして一番大切なことです。