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名も無き家事の負担 (2)

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今そこにある家事

私は、家事における目線の違い、作業の優先順位やメリハリは、ジェンダーによる差があるのでないかと考える一方で、それは、性差では無く、持って生まれた性格や親からの躾などの影響も無視できないのではないかとも推測します。

 

さて、我が家の家事ですが、一緒に暮らし始めて以来、夫婦それぞれが自分の得意分野だと思っている作業を受け持ってきたので、お互いに嫌々ながら引き受けている家事と言うものは存在しないと思っています。

 

もちろん、家事自体が自分の自由時間を削って行なわれるものなので、「明日の家事が待ち遠しい」などと思いながら眠りにつくようなことはありませんが、快適に暮らして行くために必要な作業なわけですから、その作業自体を不快に感じてしまっては、元も子も無いと言うのが私の考えです。そして、妻もそう思ってくれていると勝手な期待をしています。

 

もし、結婚するまで、あるいは、独り暮らしを始めるまで、全てのことを親がやってくれていた、と言う人は とても恵まれていると思いますが、いざ自活を始めれば、自分で考えて家事をこなす必要が生じます。

 

家事を、“快適に暮らして行くために必要なこと”と考えれば、答えは簡単に見つけられると思います。家の中が散らかっているよりは、きれいに片付いている方が気持ち良いと思えば、掃除したい気分になってくるのではないでしょうか。

 

掃除機掛けや雑巾掛けが面倒と感じる人もいるでしょうが、落ちているごみや埃を取り除き、家の中の全ての物をあるべき場所に戻す - リセット作業を週1回でも、2日に1回でもやってみると、作業後に清々しさを感じられると思います。快適に生活できる環境を整えておくのは、家事の第一歩です。今、目の前に快適な生活を送るためにできることがあれば、それは家事の一つです。

 

家事の住み分け

洗濯、風呂掃除は、家にいる限りは私の役割です。朝一番で洗濯機を回しますが、風呂の残り湯を使うので、洗濯物を干した後は、そのまま風呂掃除まで済ませてしまいます。また、洗濯機のカビ取りなど3か月に1回程度の作業や、3日に1回程度のトイレ掃除など、洗面所周りに属する作業は私の担当になっています。

 

一方で、洗濯物を畳んで収納するのは妻の役割です。これは、妻が衣類の畳み方と仕舞い方に拘りがあるためで、私には任せたくない作業だそうです。そして、その延長線上で、ファミリークローゼットの整理整頓は妻の役割となっています。

 

炊事はほぼ100%私の役割になっていますので、キッチン周辺の掃除や片づけは私の担当です。使った道具はすぐに洗うようにしているので、料理が出来上がった時に、シンクが洗い物の山になっていることはありません。

 

食器は、朝昼は各自が使った物は各自で洗うことにしていますが、使う食器が多くなる夕食後は食洗器を使います。洗浄後の食器類は翌朝に片づけます。この他、シンク周りやコンロ、換気扇などを含めたキッチンの掃除、整理整頓は私の担当になっています。

 

妻は、今のところ体を使う大きな作業は出来ませんが、リビング周辺の収納スペースの片づけや、食材や日用品の在庫管理、家計簿など、できる範囲のことをやっています。

 

こんな感じで、家事については、妻と私で住み分けが出来ています。二人の娘たちには、これまで家事の分担を強いたことはありませんでしたが、妻の闘病開始以来、小まめに私を手伝ってくれるようになりました。

 

このようなことをつらつらと思いうかべて、我が家の家事は問題無し、と一人悦に浸っていたのですが、ごみの分別は、私も娘たちも“なっておらず”、妻が一手に引き受けていると、最近になって初めて聞きました。

 

また、ティッシュボックスや爪切り、虫刺されの薬など、小物類がいつも決まった場所に“戻っている”のも妻のお陰でした。

 

妻曰く、言うことを聞かない相手に、何度も同じ注意をしてもストレスが溜まるだけ。片づけを自分の役目だと思えば小じわも増えない – だそうです。

 

確かに、言われてみれば、私自身、妻や娘たちに対して逐一細かい注意をすることは避けてきました。洗濯物を裏返しのまま出さないように、とか、最後に食事を終えた人が食洗器のスイッチを押すとか、些細なことですが、注意しても直らないことは、いつしか自分の役目だと割り切るようになりました。

 

それは、家族に対するささやかな失望と言うわけでは無く、自分の役目の範囲を少し手を伸ばして広げただけの話です。洗濯物を干す時に衣類の裏表を直す、自分が寝る前に食洗器が回っているか、風呂場の換気扇が回っているか確認する。全て自分の役目の延長線上にあるものです。

 

私は、妻もそのように思ってくれているのだろうと、自分に都合良く解釈してしまいますが、本当に私や娘に呆れているのかもしれません。いずれにしても、家族に注意して回ることで自分のストレスを膨らませてしまうほど、悲しいことはありません。

 

反対の立場からすれば、やらなければならないことでも、誰かからガミガミ言われてから取り掛かる作業ほど嫌なものは無いと思います。自分で気づいて、自分でやり遂げることができれば、これほど気分の良いことはありません。

 

それよりも、目線を広げて、自分ができる“サービス”をほんの少しだけ増やせば、より生活が快適になると考えた方が楽しく暮らせそうです。

 

私の場合は、他の家族からの“気づき”を期待せずに待っている状態なのだと思います。誰かに何かをやってもらうのではなく、自分で全て完結させることにし、もし、誰かが手分けしてくれることがあれば、それはラッキーなことだと受け止めるようにしています。

 

もし、相手に期待してしまうと、こちらがお願いしたことを忘れられたり、放っておかれたりした時に嫌な気分を味わうことになります。自分が良い気分で居続けたいなら、自分で気づいて自分で行なうに限ります。

 

家族の誰かが家事をしてくれることで得られる恩恵の享受者になることを当然と思うのでは無く、家族のために快適な暮らしの場を提供する奉仕者となろうと考えると、見える世界が変わってくるのではないでしょうか。

 

結局、突き詰めて考えると、家事は快適に過ごすための作業なのです。家族の誰かにだけ負担が集中したりストレスがかかったりして、不快な気持ちにさせてしまうようであれば、それは、家事の本来の目的を果たしていないことになります。

 

家族の一人一人が、どうやったら気持ち良く過ごせるのかを想像し、快適に暮らすために自分が出来ることは何かを考えれば、自ずと自分の役割を見つけることが出来るのではないでしょうか。