和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

転職志願 群れから個へ

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プレゼンマシーンの本音

昨年の春まで私の部下だった社員が会社を辞めることになりました。このご時世、退職の挨拶に社内を回ることは出来ないので、残念ながら彼とは顔を合わせることなくお別れとなりました。私は彼から届いたメールに、月並みなはなむけの言葉を添えて返信しました。私はこういう時に気の利いた言葉が頭に浮かばず困ります。

 

このタイミングで会社を辞める決断をするのは勇気のいることだと思います。少し前であれば、転職先の選択肢も少なくなかったはずです。とは言え、会社がこの一年間新しい事業を展開することなく、経営陣も今後のビジョンを社員に示せない状況が続く中、彼のように自ら新しい道を模索する若者が出てくるのも心情的には理解出来ます。

 

私の返信メールに対して、すぐに彼からもう1通メールが届きました。新しい仕事は進学塾の講師とのこと。彼曰く、自分の言葉で話せる仕事に就きたかったと言うのが転職先を選んだ理由とのことでした。「自分の言葉」。私には思い当たる節がありました。“節”どころか、彼が本当に求めていることを知っていました。

 

当時入社6年目の彼は、部の中で一番の下っ端でした。情報収集や会議用の資料作成を任される傍ら、部内の雑用もそつなくこなしていました。経費節減の折、部内のサポートスタッフを削られ、若い社員にそのしわ寄せが来ましたが、彼は文句ひとつ言わずにコツコツと仕事に励んでいました。

 

彼の作るプレゼン資料は、非常に完成度が高いものでした。幹部会や役員会で使う資料を部内でレビューする時には、彼にプレゼンをしてもらっていましたが、その話しぶりは堂に入っていて、説明者としても申し分ありませんでした。

 

しかし、私には少し気がかりなところがありました。それは提案力でした。上からの指示や方向性を示せば、資料を作ることにかけては文句の付け所が無いのですが、それ以上のものが出てこないのです。言われた仕事はきちんとこなす一方で、現状を改善しようとか、何か新しいことに取り組もうと言う前向きなものが感じられない。自分の仕事に関心が無いのでは、と疑いたくなってしまうほど淡泊なところが私には引っかかっていたのでした。

 

興味の持てない仕事を続けるよりは

昨年の3月、彼の上司である課長から相談を受けました。ちょうど、期末の面談の時期。部下は面談シートに担当業務の自己評価や将来のキャリアなどを記載し、それを基に面談を行ないます。ところが、彼の面談シートはほとんど白紙に近い状態でした。そして、その面談の席で、彼は退職の希望を出しました。彼を有望な戦力として買っていた課長のみならず、私も驚きを隠せませんでした。

 

その前の年の面談シートには、彼らしい几帳面な文字が並んでいました。課長は、前年の面談では、彼に特段変わった様子は無かったと言います。私は、彼に余計な負荷はかけたくなかったのですが、直接面談することを提案しました。

 

広い会議室、私と課長、そして彼、十分な距離を置いて席に着きました。彼は、部の方針に沿った資料を作ったり情報を集めたりと努力をしてきたこと、しかし、仕事そのものにどうしても興味が持てず、自分なりのアイデアを出すとか、業務の課題を見つけることが出来なかったことを一気に話すと、私の反応を窺いました。

 

私は、彼の仕事ぶりを十分に評価していることや、焦らずに経験を積むことで発想の幅も広がってくることを話ましたが、その途中で、彼の辞意が固いことを課長から聞かされていたのを思い出しました。ここで無理に引き留めを試みても、彼を翻意させられないばかりか、悪い感情を抱いたまま物別れになる可能性の方が高いと感じました。彼が快く面談に応じてくれたのも、すでに自分なりの結論が出ていたからなのだと思いました。

 

私は彼に、転職の当てはあるのか聞くと、これから探すと言います。何がしたいのかを聞くと、分からないと言います。次の言葉を選ぼうとする私を彼が遮りました。

 

彼は、仕事が嫌だと言うよりも組織の中で働くのが自分には向いていないのだと言いました。大人数の中で周囲に気を配り、良い後輩、良い部下を演じることが苦痛なのだと。同僚との雑談すら疲れてしまうのだそうです。誰にも気を遣わず自分のペースで生きて行きたいと言うのが、会社を辞めたい理由なのだと言います。

 

己の“個”を殺して組織の中に埋没していく自分が我慢ならない – 私は彼の言い分をそういうことなのだと理解しました。

 

自分らしさを保つための道

専門知識の習得や仕事のスキルアップは、個人の努力次第で何とでもなりますが、組織の中で良好な人間関係を構築することや、企業文化を自分の中に受け入れることは思いのほか大変なものです。ましてや、生真面目な人間にとって、バックグラウンドや考え方の異なる様々な人間の中で仕事をすると言うのは、人並み以上に神経を擦り減らしていたのかもしれません。

 

彼の場合は、「自分の本来の姿とは違う自分を職場で演じることに疲れてしまった」と言うことなので、仕事の上で周囲からの同調圧力などがあったわけでは無いと思います。しかし、自分の本心とは相容れないある種の違和感を払拭できずにいたのであれば、彼にとってこの会社は、少なくとも最上の仕事場ではなかったのでしょう。

 

誰しも、多少の違いはあると思いますが、職場では違う自分を演じていると思います。本来の自分を出すことを抑え、自分らしくない振舞いをして、会社での自分を保つこと。それが群れの中での処世術なのでしょうが、本来の自分らしさを大切にするためには、群れから離れるより他は無いと言うのも理解できるような気がします。