和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

失ったものと大切なもの

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失ったものを忘れるために

大切なのに、その大切さに気がつかない存在を空気に例えることがあります。いつも傍にいることが当たり前になっていて、いざ失いそうになった時に、初めてその大切さを知るのです。

 

私の部下に既婚者の女性社員がいます。以前、別の部署で上司と部下だった彼女は、私が海外駐在の間に結婚しました。結婚式は身内で済ませるジミ婚で、しかもデキ婚。事後連絡を詫びながらも幸せそうな雰囲気が伝わってくるメールを受け、私は新婚の二人に旅行券をプレゼントしたのを覚えています。

 

それからしばらくして、本社の同僚から彼女が出産したことを知らされました。出産祝いに何か気が利いたものをと考えていた時に、同じ同僚から再び連絡がありました。出産祝いを見合わせるようにと言う彼は、こちらがその訳を尋ねる前に、生まれてきた男の子が先天性の疾患で治療中であると告げました。

 

その後、1週間も経たないうちに、残念な知らせが私の元に届きました。

 

数年後、私が駐在から戻った部署に彼女がいました。久しぶりの再会ではありましたが、私の方からは仕事以外の話はあえて向けないようにしていました。私の前任者からは、彼女があの後一度、流産していることを聞かされました。

 

季節が変わり、自己申告と面談の時期となりました。仕事の成果や今後のキャリアについて部下との面談を行ない、次の年度の目標を一緒に立てるというものです。ひと通り話を終え、私の方から彼女に、何か付け加えることが無いか尋ねました。彼女は、私が諸々の事情を全て知っていることを確認した上で、自分に変な気遣いはしないでほしいと言いました。私は“変な気遣い”の意味を彼女に問いました。

 

彼女としては、周囲からの憐憫にも似た配慮が我慢ならないとのことでした。余計な気を遣わずに、もっと仕事を振ってほしい。それが彼女の要望でした。子どもの死、そして流産。悲しい出来事を払拭するために仕事に専念したいのか、仕事を生きがいにすると決心したのか・・・。

 

私は、彼女の言っていることを理解はしつつも、心の重石を払いのけるための手段として仕事を彼女が選んだのだとすると、それはあまり健全な選択とは言えないと感じました。

 

今振り返ってみると、当時の私の考えはある種の驕りだったのかもしれません。子を失った悲しみは、想像することは出来ても、当事者でない以上、想像の域を超えることはありません。失ったものを忘れるために仕事に没頭するのは健全ではない。それは彼女の心に思いを馳せることが出来なかった私の未熟さから出た浅はかな考えでした。

 

失ったものに寄り添うこと

それから4年余り。彼女は私の隣の部署に異動になりましたが、私の部署の仕事を兼務で支えてくれています。

 

彼女はいつの頃からかは定かではありませんが、ご主人と“半別居”状態になっているようでした。二人で買ったマンションにはご主人が住んでおり、彼女は洗濯や掃除をするためにマンションに出入りする以外は、自分の実家で生活していました。

 

お互いに仕事を持っており、しかも、ご主人は毎晩帰宅が遅いようだったので、一緒に住んでいても夫婦で共有できる時間は少なかったのかもしれません。しかし、彼女が言うには、二人でいると楽しいと感じる時間よりも、子どもを失った悲しみを思い出す時間の方が多くなってしまうから、あまり一緒にはいたくないのだそうです。

 

そんな、微妙な状態が続いていた夫婦でしたが、今年になって転機が訪れました。

 

去る9月のことでした。その日は早朝から現地事務所とのテレビ会議があり、彼女にある案件の説明を頼んでおいたのですが、当日未明に彼女から電話が入りました。ご主人が緊急入院したため、会議を欠席したいとのことでした。

 

ご主人は、帯状疱疹から髄膜炎を併発したとのことで、その後10日ほど入院生活を余儀なくされました。後から聞いた話では、ご主人は体調不良と分かっていながら、今のご時世、通院することでコロナ感染のリスクが高くなることを心配して、かえって症状を悪化させてしまったようでした。

 

私も昨年、帯状疱疹を患いました。私の場合、脇の下から肩甲骨辺りにかけて痛痒い発疹と、ときたま心臓に差し込むような痛みを感じてから診察を受けましたが、放置しておくと失明や難聴などの後遺症を引き起こすこともあるので、甘く見てはならない病気なのです。

 

さて、ご主人が退院してから、彼女はマンションでの同居を再開したようでした。彼女からは、少し仕事をセーブしたいとの申し入れがありました。ご主人も、病み上がりと言うこともあり、仕事を控えてできるだけ早く帰宅するようになったようです。

 

“半別居”で、距離を取りながらも夫婦としての関係が続いていたのは、辛いことを思い出したくないからであって、お互いが大切な存在であることに変わりはなかったのです。ご主人の病気により、夫婦がそれぞれに存在の大切さを改めて知ったのだと思います。

 

そんな夫婦であれば、失ったものを辛い思いでとして忘れるのではなく、大切なものとして寄り添って生きて行くことも出来るのではないか、そう私は思うのです。